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企業経営について  「活・喝・勝」


救ってもらえる者と救う者

9歳の子の両親が亡くなったら、どうなるだろう。悲しみに暮れるだけでは、生きていくことはできない。自分がその9歳の子だったら、生きて行くことなど考えられるだろうか。

親鸞は、9歳の時に出家した。出家することで、仏に救いを求めたのだ。生きるためには、必死で救われようとしたのに違いない。

人間は、皆、苦しみから逃れ、救われたいと願うであろう。ある人は、後世の苦しみを逃れるために、後世の幸せのために、神に仕えようと宗教に救いを求めることであろう。

私は、これまで救われたい思ったことが二度ある。

一度目は、自分の長男が障害者だと知った時だ。神をも恨むくらいの気持ちでありながら、その裏腹に神に何とか解決してほしいと願った。息子を一人で生きていけるように救ってほしいと思った。

しかし、その息子のお陰で、世の中には、同じような悩みを持つ人がいることを知ることができた。

そして、同時に、その障害者の何倍もの人が、障害者を手助ける活動をしていることも知った。人間は、これほどまでに優しくて、助け合える存在だということを私は知ることができた。

15年前、息子がこの世に生まれてこなかったら、私は、助けられることも助けることも、その意義について深く理解することはできなかったであろう。

そして、二度目に救われたいと思ったことは、会社を設立してからだ。そして、この気持ちは現在でも継続している。私は、強く救われたいという気持ちを常に持ち続けている。

いつでも、私に手を差し伸べてくれる人がいたなら、その人に、私は全てを託す覚悟がある。言いかえれば、それくらいほどに、私の芯は、もろく弱いのかも知れない。だが、現実的には、誰が私など救う必要があろうか。救われるはずもない。

会社設立した1年目。

私は、無給で無休で働いた。たった一人で作った会社で、必死にもがくも何もできなかった。やがて、仲間が集まり、私を救ってくれた。

しかし、一年目から常に倒産の危機であった。だが、事務所を無償で貸してくれ、救ってくれた人がいた。給与まで出してくれた。

それから次々に出会った人が、私を救ってくれた。

それでも、私は、今でも救いを求めている。常に会社の状態は不安定で、気を抜けばすぐに倒れることもありえる。だが、私が救ってほしいと願うのは、倒れそうだから救いを求めているのではない。乞食のように、手を差し出して、何かを恵んでほしいとねだっているのでもない。

それは、本当に救ってほしい時に、救ってもらえるようにしたいからである。

けれど、救ってほしいからと言って、救ってくれはしない。

だから、卑しいかも知れないが、私は、自分が将来、救ってほしいから、今、救うことを大切にしようとしている。

数年前、会社が倒産しそうな社長と出会った。初めて出会った時から、その社長の人柄と、その社長を支え耐え忍んだ社員のことを素晴らしいと思い、救うことを決意した。その結果、自分の会社が、危機的な状況を向えることも、承知の上だった。『救う者は救われる』の中で、「今度は、私が助けを求める側になる」とその心境を書いた。

先日、韓国・ソウルに行った時、その社長の会社は絶対絶命だった。私が、首を縦に振れば、その瞬間にその会社は無くなっていただろう。しかし、私は、首を横に振って、助けることを決意した。その結果、自分の会社が、危機的な状況を向えることも、承知の上だった。

私は、本当にいつも救ってほしいと考えている。これは他力本願ではない。浄土真宗を開祖した親鸞の他力本願は、決して他人任せという意味ではない。『他力本願と感謝の気持ち』で書いたように他人を信じ、他人の力を信じることである。

私は、いつも救ってほしいと考えている。これは本音の表現だが、言いかえれば、誰からか救われるような人間になりたいということである。

9歳の親鸞は、救いを求め、出家した。そして、やがて、救う側になった。救われることで、救うことを悟ったのであろう。

私の場合には、息子が生まれ、会社を設立していなかったら、救われるような人間になりたいなどとは考えなかったであろう。他力よりも自力を信じ、救われることなど眼中にもなかったはずだ。

だが、私は、誰しもが、いつの日か、いつか突然に救われる立場になり得ることを知った。だから、私は、いつ助けられる側になっても、手を差し伸べてもらえるように、将来のために今、救えることをしたいと思うようになった。

私は、医者でないから人の命を救うことはできない。私は、弁護士でないから、訴訟で救うこともできない。だが、私は経営者だ。経営者が行えるのは、事業を継続させること、あるいはそこの社員の生活を継続させることしかできない。

しかし私は、親鸞のような宗教家でも、ボランティアでもない。だから、万人を救うような力などあるはずもない。私にできるのは、私にできる範囲のことでしかないのだ。私の器以上のことは私にはできない。だからその器を大きくするためには、出会いを大切にし、私のできる範囲の救えることを何としてもやり遂げることである。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年5月23日 05:47