【堀田信弘の今日の語録】 2010年7月31日 『衰退の陰は、発展と共に常に忍び寄っている。』


企業経営について  「活・喝・勝」


平等と公平・権利と義務

前回、私は、自分の組織を平和ボケの集団にしてしまったと書いた。それは、その集団の中にいる彼らに原因があるのではなく、私自らが招いた、私の指導力不足の結果である。

その姿は、まさに日本の社会そのものだ。

戦争が起こる心配もなく、世の中の問題は、政治家のせいにして、それで持って選挙にも行かない。

平和ボケとは、平和を空気のように捉えることだ。空気がないと人間は死んでしなうのだが、空気がなくなることなど考えもしない。

無くなったら困るものでありながら、無くならないような努力をしない、あるいはする必要がない状態である。

つまり、平和ボケは、平和がなくなるということも考えず、平和を維持しようとしない、あるいは平和を守る必要を感じないのである。

そのような日本という国にいるのだから、その器の中の、さらに小さな器である会社など、もっと平和ボケに陥り易い。

しかし、考えてみれば、日本が戦争に巻き込まれるという可能性の議論はおいておいたとしても、企業は、ビジネス戦争の真っただ中にいるのである。

日本国内だけでなく、世界中の企業としのぎを削り、生き残りをかけて、戦う組織なのだ。生き残るためには、様々な企業努力が必要であろう。

単に利潤を追求するだけでなく、社会貢献、広報活動など、企業の存在意義を訴え、購買者に理解され認められなければならない。もちろん、信頼関係作りも重要だし、事業を継続させるための資金調達も重要だ。

企業を人間に例えなら、頭を使い、足を使って動き回り、そのための体力をつけ、栄養も必要だ。さらには、企業の血液である資金がなければ、どんなに有能なアイデアであろうが、どんなに黒字であろが、出るものが先で、入るものが後になれば、企業は持たない。

常に、活動を継続し、絶え間ない努力をしなければ、止まった瞬間に死ぬ。それが企業である。

つまり、企業の中にいる人間が、もし平和ボケだとすれば、活動を継続し、絶え間ない努力をしなければその平和を維持するができないということの認識がないということである。それでは、放っておいても必ずや巻き込まれるビジネス戦争に勝ちぬいて、平和を自らの手で勝ち取ることなど不可能である。

私は、冒頭で、平和ボケの集団にしてしまったのは、その集団の中にいる彼らに原因があるのではなく、私が招いた、私の指導力不足の結果であると断言した。

だからそれを否定することはない。それを前提に、そのほかの環境面での影響について述べたい。

一言でいえば、親の教育の問題、しつけの問題、さらにはそれを認めたうえでの学校教育の問題にも関わる。親に叱られたこともない、親に甘えてばかり、親離れ子離れができない、部活での厳しい上下関係を経験せず、そのような人間が会社に入ってくる。挫折し、逃避し、楽なほうを選ぶ。

その根底は、平等と公平、あるいは権利と義務の違いについて、認識不足だということではないだろうか。

義務も果たさずに権利を主張する人間の多いこと。

一律平等こそが公平で、それこそが民主主義だと誤解する。

機会の平等はあっても、結果の平等などあり得ない。上の人間も下の人間も対等で平等な権利を持つことが公平ではない。もし、平等な権利を持つのなら、上下関係など必要ない。

上には上の責任があって義務がある。重い責任があるから、報酬も権限も違う。権限を履行することで、組織を率いる責任を全うするのだ。

下には下の責任があって義務がある。上司の示す目標を理解し、組織の一員として組織成果を上げることが、最大の責任だ。

平等と公平、権利と義務の崩壊こそが、平和ボケをもたらす外的要因、環境の問題である。

だが、私は、それさえもその組織の中にいる誰かのせいにするつもりはない。

三度目の繰り返しになるが、どんな外的要因、環境の問題があろうとも、平和ボケの集団にしてしまったのは、その集団の中にいる彼らに原因があるのではなく、私が招いた、私の指導力不足の結果である。

そして、それを反省し、改善し、どんな理由があろうとも、強い組織を作るのがリーダーの役目である。

もし、それを理解できない部下がいるとすれば、それは排除する。それも私がリーダーとして行う役目である。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年5月29日 05:49