【堀田信弘の今日の語録】 2010年7月31日 『衰退の陰は、発展と共に常に忍び寄っている。』


求める人材  「活・喝・勝」


感謝されることと感謝すること

私のメールシグネチャの最上部には、「感謝」と書いてある。私は、『感謝できないから戒められないのだ』の中で「感謝と戒め、これは一体である。感謝されるような行動ができないのは、自分を戒めていないからである。」と書いた。

その翌日から始めたのが、メールシグネチャの「感謝」という表記だ。

ただ単に、シグネチャに「感謝」と表記したからと言って、感謝の気持ちを十分に表しているというようなつもりはない。私は、相手に感謝の気持ちを伝えることよりも以前に、自分自身が常に感謝ということを意識できるようにしたいと考えているからである。

もっと言えば、感謝せずにはいられないような行為を受けたから、それを受けて感謝するのは当たり前だ。しかし、現実として、そのような行為を受けることなど稀であろう。

ということは、感謝されるようなことをしてもらっていないから、感謝できないということになってしまう。

こんな馬鹿な話があるか。

感謝できるような行為を受けてられないのは、その人が、感謝されるような行為をしていないからに他ならない。

胸に手に当てて、「自分は誰からか感謝されているだろうか」と自問自答したら良い。

私は、自信を持って、「感謝されている」と言える。

それは、自惚れではなく、具体的で、しかも感激させるほどの感謝の言葉を頂いたからだ。私の僅かな差し伸べによって、私は、涙がこぼれるくらいの感謝の言葉をもらい、感激した。

私は、感謝されるほど、大それたことができる人間ではない。相手から感謝されたいがために偽善をするのでもない。私が何かを与え、感謝をもらうことよりも、私が感謝をしたいのだ。

感謝されれば、誰でも嬉しかろう。しかし、私は、そんな単純な表現ではなく、感謝されることよりも、感謝されて自分が感謝できることに喜びを感じる。傲慢かも知れないし、自分本位かも知れないが、私は、感謝すること、感謝できたことに満足を感じるのである。

それは、感謝できる人間ではないからである。毎日、毎日メールを出す度に、「感謝」の文字を目にし、いつも感謝することを忘れないようにしている。しかし、人間は、そう簡単に感謝などできやしないのだ。徹底的に、感謝しようという気持がなければ、まず感謝などしないであろう。

相手の行為を当たり前としか捉えることができず、恩恵を受けているのに、感謝することが慢性化し、やがてその恩恵は当然なものへと変化する。

例えば、経営者は、社員にどれほどまで感謝しているか。

私は、従業員満足度を高めたいと思っている。しかし、誤解してほしくないのは、福利厚生を充実させたり、給与を増やしたりすることではない。飼っているペットに餌を与えるように、飼い慣らそうというような従業員満足度を高めるやり方は全く考えていない。

むしろ、そのような制度や厚生面では、他社よりも厳しくすべきだと考えているのだ。

あくまでも一つの例だが、わが社には、定年制がない。年齢も学歴も性別も、国籍も問わず、中途も新卒も関係ない。どのようにして、従業員が、自分の持ち味を発揮できるかを考えること、働ける喜びを与えること、そして、職場でのギクシャクとした人間関係を排除し、働きやすい職場にすることなどである。

だが、定年制のように、従業員満足度を制度で表現することでもないと思っている。一言で言えば、私の考える従業員満足度とは、社員を感動させ、感激させることだ。そして、従業員から感謝されるようなささやかな行為、発言をすることである。

経営者が、社員を感動させ、感激させ、感謝されるようなことをしていなければ、そのような経営者は、社員に感謝できるはずがない。

私は、自信を持って、「感謝されている」と言えると答えたが、それは極一部の社員にのみである。万人の社員全員に感謝されているというようなことはとても言えない。おそらく、この文を読んでいる社員の中の多くは、「別に感謝するようなことは受けていない」とお叱りを受けよう。それは、正直現実である。

だが、私は、神でもなけば、宗教家でも哲学者でもない。そもそも万人に感謝されるような立場にはないし、それを目指すことも違うと思っている。

その理由は単純である。私は厳しく、切り捨ても行うからである。割合で言えば、私のことを好きな社員の数よりも、やや嫌いな社員が多いくらいが丁度良い。大体にして、万人に感謝されようと、好かれよう、嫌われないようにしようとする考えそのものが、間違っている。

そして、今日、なぜこの文章を書いているか。

それは、部下に感謝されないような上司は、わが社から去れということである。

決して万人に感謝される必要なない。だが、たった一人の部下からも感謝されないような上司は、人の上に立つ資格がない。それは、何度も繰り返すが、その上司が、感謝されるようなことをしていないばかりか、部下に感謝していないからだ。そのような上司が率いる組織は、権力に従っているだけか、お金のために仕方なく我慢しているだけの部門だ。

最後にもう一度、誤解されないように言うが、感謝されるようなことをすることを求めているのではない。社内、社外に問わず、あらゆる人間関係、新しい出来事に感謝することである。まずは、こちらが感謝できる人間にならないということである。

それを理解できないような上司は、わが社を去れ。

私は、それで半分以上を失ったとしても、何ら驚かない。私自身が、その程度の人間だったということを知るのみである。それを知るだけでも、私はそのことに感謝したい。そして、反省することを得たことに、さらに感謝したい。その反省を踏まえ、また私が成長できることに感謝する。

それが、私の感謝の表わし方だ。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年5月31日 05:13