【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


世の中について  「活・喝・勝」


懲りない面々

『ひどく懲りるさま』のことを「懲り懲り」という。「懲りる」の2乗だ。今度こそはさすがに懲りたというくらいに、反省し、悔い改めようという気持ちの表れである。

言いかえれば、もう「懲り懲り」だという体験をした人は、一度の「懲りる」では懲りなかった人を言う。つまり、懲りない面々だ。

「懲りる」という言葉を辞書で調べると、『失敗してひどい目にあい、もうやるまいと思う』とある。だが、「懲り懲り」が示すように、多くの人は一度の「懲り」では簡単には懲りない。つまり、のど元過ぎればという感じで、簡単には悔い改まらないということである。

私は、人間はそう簡単には変わらないと思っている。

余程に衝撃的で、二度と立ち上がれないくらいに悲しく、恐ろしい経験をしなければ、悔い改めるようなことは早々にはできないであろう。

あるデータによると、犯罪を犯し、服役した人が再び罪を犯し、再び服役する割合は5割を越えるそうだ。これを再犯率という。再犯率とは、処分された犯罪者のうち、死ぬまでにまた犯罪を犯す者の割合のことである。

しかし、 このデータは服役したかどうかで調査しているので、実際には再び罪を犯しても、捕まらない人もおり、再び罪を起こしている割合はもっと高い。

懲りない面々とは良く言ったものだ。それほどまでに、悔い改めるようとしても、そう簡単なことではないことが良く判るであろう。

一度の失敗や過ちでは、人間は中々懲りない。もう「懲り懲り」と、同じ失敗を二度繰り返して、やっと少しだけ気付く程度なのであろう。

懲らしめるという言葉がある。

自発的に懲りることに対し、強制的に懲りるようにさせられることを言う。人間は、自発的に懲りることよりも、強制的に懲らしめられたほうが、遥かに悔い改まるようである。

だから、強制的に矯正するために刑務所が用意されている。それなのに、それでも再び同じ過ちを犯す。どれだけ自発的な懲りるでは、自分を矯正できないかが、これからも判るであろう。

犯罪でさえ、このような状況だ。家族を悲しめ、社会的な制裁を受けて、もう二度と立ち上がれないくらいに反省させられても、この程度なのである。

ということは、犯罪ではないことなら、尚更である。

例えば、恋愛。

駄目な男に貢ぎ、ボロボロになっても、また貢ぎたくなるような男に騙されるそうだ。

例えば、借金。

借金地獄を味わった人が、再び借金を繰り返すそうだ。

例えば、経営。

何度失敗しても、同じような失敗を繰り返す。痛い目にあって、強硬なまでにリスクヘッジするようにしているのに、大きなリスクを背負ってしまう。

騙された人は、再び騙され、人を騙すような人は、再び騙す。懲りた人は、懲り懲りを経験するまで、これを繰り返す。これが人間である。

「懲りた」と思う程度では、実は懲りていないのである。家族を失うだとか、職を失うだとか、強制的に環境の変化を余儀なくされるくらいの懲らしめられなければ、悔い改まらない。反省などというような頭の中の世界では、人間は変わりやしないのである。

環境を変えることである。行動を変えることである。考えを変えるだ、反省するだと口だけでなく、自分がおかれた場所、やり方を強制的に変えなければ、反省していないのも同然である。

だが、私は、それでも人間はそう簡単には変わらないと思っている。

それが人間なのだと思っている。二人に一人以上の人は、同じことを繰り返すのだ。

でも、それでも、二人に一人未満の人は、同じことを繰り返さないから、もしかして変わるかもと期待してしまう。

だから人間は面白い。

そのことを知っていれば、変わる、変われ、変わらないと一々腹を立てる必要もない。人間の性、つまり性格なのだ。

それでも、私は、変わろうとする人に共感を覚える。変わろうとしない人よりは、遥かにマシだからである。変わるかも期待するからこそ、教育というものが存在するのだ。

大の大人を教育する社員教育も同じだ。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年6月26日 05:04