お金がなければ払いたくても払えないということを、無い袖は振れないという。実際持っていないものは出しようがないし、してやりたいと思っても、力もお金もなければどうにもならない。
何とも下品なことわざだ。
私が言う下品とは、品が低いということ。まぁ、出来もしないくせに、何も持っていないくせに、見栄を張って、袖を振ろうする品がない無品よりはまだマシだが、あまりにも正論過ぎて、面白くない。
私は、この6年間、無い袖を振った。
勿論、口だけの、見栄張りの無品ではない。
実際何も持っていないのに、一生懸命に持つものを探した。力もお金もないのに、力もお金も借りて、手伝ってもらって、してやりたいと思うことをやってきた。
無い袖は振れないというのは、本当は、心からしてやりたいとは思っていないことの表れだ。本気でしてやりたいと考えたら、何かがあるからするのではなく、どうしたらしてやれるかを考えるだろう。
これを私は、上品だと思う。何も、私の行為が上品で華麗な品の良さを言うのではなく、経営者としての品の高さを表すということである。
ある時、ある会社と共同でプロジェクトを始めた。
経費を折半し、利益も折半するというやり方だ。
ところが、何ヵ月かして相手は、続けられないと言いだす。そちらが引くなら、こちらも無い袖は振れないと手を引くのは簡単だ。
だが、それまでに費やした分は、一方的な相手の都合で失ってしまう。しかも、そのプロジェクトに関わった人は、どうなるのか。
私が、無い袖は振れないと手を引けば、自社に戻して継続して雇用してもらえるのか。そんなことはない。先方は、これまで折半で良かった経費が元に戻れば、元々無い袖は振れないと言っているのだから、戻れることはないのである。
案の定、こちらで引き取ってほしいということだった。つまり、こちらが、全部を持ってほしいということである。私も同様に、無い袖は振れないと言えば、何ら私も苦労する必要もない。何とかしてやろうという気持がなければ、それも良かろう。
だが、私は、そんな正論な下品な考えは好きじゃない。
私は、これ以外にも、無い袖を振った。そこまでしなくてもというようなケースも、沢山あった。私は、そのたびに、いずれこちらが救ってほしい時に、救ってもらいたいからと、無い袖を振って救ってきた。
創業間もないベンチャー企業は、それで良いんじゃないかと思う。
守りに入って、リスクを負う必要はないと考えるのも良かろう。だが、それで何かに挑戦するベンチャーと言えようか。どうせ元々何もないような会社なのだから、無い袖を振るのがベンチャーではないだろうか。
ある袖なら誰だった振れる。ところが、守りに入って、リスクを負うことを嫌い、無い袖を振ることができないような人が、本当にある袖を振れるのか甚だ疑問だ。本当は、ある袖も振れないのではないか。
私は、むやみやたらに、出来もしないくせに、何も持っていないくせに、見栄を張って、口だけ袖を振ろうする無品のようなことを言っているのではない。
本当に、これはすべきだ、してあげるべきと考えたら、袖にあろうが無かろうが関係ない。そもそも小さな会社で社歴の浅い会社の袖の中に、たっぷりしたものがあるはずもない。最初から、ないないづくしが当たり前だ。
それを口だけでなく、やりきれるかどうか、やれなければ共に死に、やれればもっと大きくなる。ただそれだけ。やれなければ、上品も下品も無品もないが。
このように言う私も、本来、品のない無品人間だ。できもしないことをやろうとする。無理をする。
だが、私は、人一倍、見栄だけ、口だけの無品人間にはなりたくないと思っている。だから、やろうと決めたことは、徹底して何とかしようとする気持ちが強いのだ。
3年前には、自分の会社の売上以上を投資し、ある会社の従業員と社長を救った。今では、その事業は、中核事業として育とうとして来ている。やってやれないことはない。やろうと思わないか、本気でやらないかの違いだけ。
これからも、私は、無い袖を振る。
だが、振るには、死の覚悟が必要だ。共死にする可能性を引き受けるということである。来月からまた、私が無い袖を振った会社の再建が始まる。
決して、誤解してほしくないのは、これは見栄のためではない。見栄を張るメリットなど何もないことに、無い袖を振らなければ、何ら意味がないのだ。見栄を張っては死滅する。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年6月30日 05:10