【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


求める人材  「活・喝・勝」


愛社精神と忠誠心

世界で最も愛国心の低い国のひとつに、間違いなく日本は入るであろう。愛国心という言葉の響きが、軍国主義と誤解、混同して、同義語として用いられているような感じさえする。

しかし、「日本を好きか」と問われ、嫌いだとい答える人は、極僅かであろう。それなのに、なぜ「愛国心はあるか」と問われると、自信を持って、「ある」と答えられないのであろうか。

好きかという言葉と、愛国心という言葉の間には、微妙な開きがあるからに違いない。

「自分の国を守るために戦えるか」

この質問こそが、愛国心を表す端的な言葉であろう。だから、自信を持って「戦える」と答えることができないのだ。

では、「家族を愛しているか」と聞かれ、「ある」と答えることができる人は、「家族を守るために戦えるか」と聞かれてもきっと「ある」と答えることができるはずだ。

日本人は、家族への愛の重みは重く感じるが、家族よりももっと愛の重みを感じることは、ほとんどないのであろう。

家族を愛さない国などあり得ない。どこの国の人でも家族が一番であることは間違いない。それなのに、なぜ、他国の愛国心は高いのであろうか。

とにかく、日本人には、愛国心という言葉の響きと同様に、命令や忠誠心と言った過去の戦争、軍国主義を思い起こさせる言葉には、拒絶反応があるのには間違いない。

それは、愛国心、命令、忠誠心を求められることは、イコール悪という捉えられ、受け入れられないのである。

先日、あるテレビ番組で、管理職試験の様子が放映されていた。

その会社が管理職に求める最大のポイントは、忠誠心だ。

人事部長は、「愛社精神イコール忠誠心」と言い切った。

もし、この言葉を聞いた学生の大半は、そんな会社に入社しようと思わないであろう。

しかし、このブログを読んでいる経営者の大半は、この人事部長と同じような想い抱くはずだ。

だが、実際にそのような気持ちがあっても、それをこの人事部長のように口にすることができない。これが実情ではないだろうか。

社長なら、会社を愛してほしいと思うのは当然であり、愛してくれる人に、仕事を託したいと思うのも自然な考えだ。だから、社長は、社員から愛される会社作りに励むことが求められるのである。

そして、社長なら反乱分子が存在することで、本業に少しでも影響があると思えば、そんな分子よりも、社長の考え方を理解するように努め、その考え方を実現するように動いてくれる人を、活用しようとするのも自然な考えであろう。

人事部長が言う、「愛社精神イコール忠誠心」がある管理職が10名いる会社と、愛社精神もなく、忠誠心も求められない代わりに、学歴や職歴、能力が高いものだけが10名いる会社とでは、どちらが強いか。

それにしても、愛社精神と忠誠心がある人だけを管理職に抜擢するというのは、簡単そうでそうできるものではない。

しかも、愛社精神と忠誠心を図る方法などあるのだろうか。

さて、もしわが社が、愛社精神と忠誠心を図るとしたら、どうすれば良いだろう。

冒頭で、愛国心のことを書いた。愛しているかと問われれば、表面だけでも「愛している」と答えるかも知れない。では、「自分の国を守るために戦えるか」と尋ねられれば、表面だけで答えるのは難しい。

それを応用しているのか、先ほどの会社である。

事前に、管理職候補者の上司は、その部下について推薦書を提出する。

推薦書には、「その部下を守るために、上司であるあなたは責任を取ることができるか」という設問がある。

責任を取って辞めても良い、責任を取って給与が下がっても良い、責任は取れないなどから選択する。

上司がどれだけその部下を愛しているかを図るのである。それを逆から見れば、部下がその上司にとってどれだけ必要とされる活躍ができているかが図れるという論理だ。

つまり、上司が部下を守りたいと思うくらいに、部下が上司に忠誠心を示し、同時に愛する会社のために真剣に働いているかというのを見るのである。

このやり方には、もちろん、問題もある。だが、その上司も同じようにして社長など幹部に選ばれたものの集まりだ。その上司と部下の相性など関係なく、どんな上司であろうが、トップである社長が選んだ管理職に対し、社長に接するかのように、日頃から接するのかを問われるのである。

この考え方が、全ての会社に適用できるはずなどあり得ない。

トップの判断ミスが、暴走を生み、誰もそれを止められないようなこともあり得よう。このような反論は、言わずとも直ぐに聞こえてくるのが良く判る。

だが、この考え方は、中小企業のほとんどでは適用可能である。しかも、トップの判断ミスと、そのそも愛社精神と忠誠心との話を同時に論じること事態に間違いがあるからである。

トップを愛し、トップの方針に共感できるのなら、トップが判断ミスを起こさないように、目指すべきものを具現化するのが、真に愛社精神があるものが取るべき姿である。愛社精神と忠誠心があるのなら、トップを裸の王様にはしないはずだ。

むしろその逆に、愛社精神も忠誠心もないから、トップを裸の王様にして、さらしものにして笑われるようにしようとするのではないか。

あなたは、愛社精神と忠誠心がある人だけを幹部にすると、堂々と言えるか。

それが言えないのは、それを言っても必ず付いてくるだろう部下がいるのだろうかという疑問を持つからに他ならない。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年7月26日 05:26