【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


経営者について  「活・喝・勝」


本当の考え方は危機に表れる

私は、社員も家族の一部だと思っている。トップが、社員を二の次に考え、自分の家族を第一に考えているようでは、ダメだ。社長には、社長にしか出来ないことがある。例え自分の子供が熱を出しても、会社の有事には、真っ先に駆けつけなくてはならない。

悪いことは重なるものである。悪いことが重なった時、どれを優先できるかで、その人の本当の姿が見えてくる。

サラリーマンであれば、家族のこと以外に考える必要はないのかも知れない。でも、経営者は、家族、家族とばかりは行かないのである。

これは、2007年1月に書いた『経営者の家族』の一文である。

家族のことを大切にしない人などいない。本音を言えば、家族が一番、社員は二番と考えている経営者が多いことだろう。

では、その経営者に会社は何番かと尋ねたい。

恐らく一番だと答えるのではないか。それが普通であろう。もし、それ以外の回答なら、普通以下と知るべきである。

では、なぜ普通の経営者は一番だと答えるのか。それは、家族のためだからと、これまた普通の経営者は答えるはずだ。だから、会社が一番、家族が一番ということになる。

その経営者の理屈は、家族がこうして過ごせるのも、会社が上手く行っているからだとなる。もうこの時点で、このような考えの経営者が、会社を経営すれば、如何に発展しないことは判るであろう。これが社員目線である。

この経営者は、自分の家族のため、もっと追及すれば自分のために、会社があるという理屈になっている。これで、この会社が発展するはずもない。そんなことを、当事者である経営者は、何の矛盾も感じない。それどころか、何がそれで問題だ、と今にも反論してきそうだ。

しかし、このような考え方を持っている経営者でも、さすがに社員の前では、家族が一番、社員は二番などとは決して公言しない。なぜなら、それを公言したら、経営者が社員のことをその程度にしか考えていないということを明らかにすることであり、かつ、それを言ったら会社がボロボロになることを、この経営者は十分に知っているからである。つまり、私に反論するような経営者でも、社員の前では建前を話すという訳だ。

家族が一番、社員は二番と考えている経営者は、このような考え方では会社が発展するはずがないことを、自分では十分に熟知しているのである。それを知っているから、それを隠し、建前だけは社員も家族も両方大切だと見せかけているのである。まさにズルイ、だから発展しないということである。

だが、どんなに見せかけが上手でも、実際には人に伝わらない。もし、伝わっていれば、その会社は発展しているはずであり、発展していないということが、見せかけであることを社員も知っているということである。

ところで、何を持って一番だ、二番だと言えよう。

経営者ではなくても、家族が一番であることは誰しもが認めざる得ないであろう。それになりに、家族をさておいて、社員が一番、家族が二番なってことを考えられるのは不可能だ。私が言っているのが、家族も社員も同列の一番だということである。

では、家族が一番というのであれば、家族のために何をし、何を守るのか。 社員のために何をし、何を守るのか。

私は冒頭で、『悪いことは重なるものである。悪いことが重なった時、どれを優先できるかで、その人の本当の姿が見えてくる。』と書いた。

本当に悪いことが起きた時、そこでこそ本当の人間の生き方、考え方が表れる。もし、会社が倒産の危機に陥ったら、守るのは、家族か、あるいは折角手に入れたマイホームか。それとも会社なのかの判断を迫られる。そのような危機の状態でこそ、そこにいる人々の生き方、考え方が表れるのだ。

わが社もこれまで何度もこのような危機を向かえた。私が選択したのは、妻や子供、母までも貯金も解約し、生命保険までも解約し、ほとんど全ての私財を会社に注ぎ込み、会社と社員を守ろうとした。こんな男が、家族が一番だ何てとても言えたものではない。お陰で家族には、今でもほとんど貯金がない。

もし、私が、会社や社員を捨て、家族を選ぶ選択をしたのなら、今では相当な貯金や保険が残っているはずである。

私は会社を作ってから、この間、最も犠牲にしてきたのは家族だ。金銭的に、時間的に、さらには精神的にも犠牲にしてきた。これからもそれは変わらないであろう。それを理解してくれている家族に感謝する。

ここまで読んで、お前こそ建前を言っているのではないないか、と言及する人もいるかも知れないが、私は本気だ。実際にほんのわずかな私財を投入したことがない人には言われたくない。それに、自信を持って、家族を犠牲にすると言えないような経営者とは、同列に扱ってほしくない。

会社よりも、家族や、あるいは、家族よりも折角手に入れたマイホームを守ろうとする考え方は、私には理解できないのだ。

すべてを失う覚悟がないとしか言いようがないのだ。その覚悟がないから、私は、そのような経営者が経営する会社が発展するはずもないと言っているのである。死に物狂いになっていないということである。

大切な家族だからという理由で、家族を犠牲にできないのである。だからと言って、家族を犠牲にするから、家族を大切にしていないかと言えば、そんなことない。最も身近にいて、最も理解してくれるからこそ、家族だけが犠牲になってくれるのだ。私が、私のために犠牲なってくれる家族を大切に思わないはずがないだろう。

そんな私でも、投入する私財がなくなれば、決して立派なことを言えたもんではないことを、百も承知だ。だから、こうして書いている時でさえ、今でもすべてを失う覚悟があるかと自分に問いかける。

大切な家族さえも失う覚悟まであるか、と自分に問い、自分をがけっぷちに追いやって、本当に悪いことが起きた時に、そこでこそ本当の人間の生き方、考え方ができるように自分と葛藤しているのである。家族さえも捨てる覚悟があるか、あるいはそこまでして私は何を守るのか、私には答えがでない。

建前でなく、本当の考え方は、危機の時に表れものである。私は、そのために何を為すべきか、何を差し出すべきか、永遠に迷う。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年8月19日 05:48