【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 3日 『 左手と右手は、矛盾だらけだが、決して片方が無くなっても良いと言うものではない。矛盾の両輪は、私の目指すところ。』


企業経営について  「活・喝・勝」


権限がないと嘆く能力がない人

指揮命令権、任命権、発注権などを権限という。責任と権限を明確にすべきであることは言うまでもない。

私はかつて、職務規程という社内の職務権限と責任を明文化する仕事に携わっていた。

各職位の権限や責任について、金銭的な範囲や、指揮権に関する決裁範囲、規模などを定めたのである。

組織が大きくなるにつれて、このように責任と権限を明確に明文化することは重要なことである。明文化、すなわち規程とするということは、社内法を整備することであり、同時に罰則を明示することでもある。

これから話す内容は、決して責任と権限を明確に明文化しなくても良いというものではない。

ではなぜ、明文化が必要なのか。

規則を作るということは、規則を守らせるためである。これがあらゆる法整備の原則であり、明文化の基本だ。守らせる必要がなければ、規程など不要である。そして、罰則がなければ、規則ではない。

規則を作るということは、守れない人へ罰則を与えるためである。

つまり、罰則があるのがルールであって、罰則がなければ、できれば守ったほうが良いというマナーにしか過ぎないのである。従って、ルールが必要ということは、マナーではもう限界だということでもある。

だから、明文化が必要だということは、罰則を明文化するということに繋がるのである。それをまずは理解すべきだ。

では、責任と権限に対する明文化、つまりは、責任を取らなかった場合や権限を逸脱あるいは、権限を行使しなかった場合の罰則とはどのようなものであろうか。

その前に、責任と権限について、正しく理解しなければならないであろう。

責任とは、①自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。②自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。 ③不利益または制裁を負わされること。と辞書にある。簡単に言えば、義務に違反、あるいは任務を全うできなかった場合に負うべき罰を負担することである。

つまり、責任とは、与えられた範囲の中で、自由に裁量し、その裁量した、あるいは裁量しなかったすべての結果に対し、果たせなかった場合に罰を受けるということである。

一言でいえば、責任を持つということは、罰を受けることを約束するということである。それが理解できるか。つまり、責任を取るとは、罰を甘んじて受けるということである。

そして、次に権限。

権限とは、規定に基づいて職権を行うことのできる範囲、その立場でもつ権力の範囲を表す。簡単にいえば、字の如く、権力の限界地点を表すということである。

では、権限を明文化するということはどういうことか。

その前、権限と権利の違いを理解しているだろうか。

権利とは、選挙権や所有権・著作権など、法律や規定により権利者に与えら自由に行使できるものである。その権利を行使するか否かは、自由であって、権利を行使せずも罰則はない。だから権利の行使、あるいは行使しなかった場合の結果については自己責任ということになる。またそれに対し、対の関係にあるのが義務である。

義務は、権利の自由行使とは異なり、必ず果たさなければならないものである。対の関係にあるという意味は、権利を行使するにあたっては、義務を果たす必要があるということである。

例えば、有給休暇などがそれに当たる。労働者には有給休暇という権利が与えられているが、同時に経営者にも季節変更権という権利が与えられている。繁忙期などに、どんなに有給の権利があると主張しても、業務に支障が出るような場合には、社長の命令に従う義務があるのだ。

これに対し、権限というのは、権利者に与えられ自由に行使できるものではない。権限と権利の最大の違いはこれだ。つまり、権限においては、権限を行使するか否かは、自由ではなく、与えられた権限は必ず行使しなければならないものなのである。

従って、与えれた権限は行使しなければならず、かつ、如何なる理由があろうともその権限を行使した結果については、職務責任を負うのである。また、与えられた権限を行使しなかった場合には、職務怠慢ということで罰則を受けるのである。

さて、それでは、それらを踏まえて権限を明文化するということはどういうことだろうか。

職務や職位に応じて、その立場の人間が行使できる権力の限界地点を明示し、それを逸脱した場合と、または与えられた権限を行使した場合の結果責任及び、与えられている権限を行使しなかった場合の職務怠慢に対する罰則を明示するということである。

罰則内容は、どれだけ組織に損害を与えたか、あるいはどれだけ職責を全うできなかったという点に対し、減給、降格、あるいは解雇などの処分である。

私は冒頭で述べたように、職務規程という社内の職務権限と責任を明文化する仕事に携わり、徹底して、権利と義務、責任と権限などについて勉強した。そして、その結果私が学んだのは、大企業でもない限りは、規則を作り罰則を明示するのではなく、自由裁量権を与えるべきだと思ったのである。

繰り返しになるが、私が言いたいのは、責任と権限を明文化しなくても良いというものではない。マナーが守れないからルール化するのと同様に、マナーが守れるのであれば、中小企業などはマナーのほうが遥かに臨機応変に対応できるのである。だから、ルール化を前提にするのではなく、マナーを守らせることが先決なのである。それが理解できるか。

それなのにだ、ルールがないから、何をして良いか判らないというような馬鹿が必ず出てくる。

まずは、前述の責任と権限について勉強してほしい。

私が当時職務権限を作った時の背景も同じだった。権限が明確でないから、明確にしてほしいというようなものだった。私は、それを鵜呑みにして、職務規程を作成した。

だがしかし、結果として、そのように言ってくるような人間は、職務規程があろうがなかろうが、責任を果たし、権限を行使することなど出来やしない。結果に対して責任を取ることもできなければ、与えられた権限をフルに行使して成果を出すということもできないのである。

できないから、できない理由を、他のせいにしようとする。それが、「権限が明確ではない」ということであり、能力がないのである。

私は、少なくても、役職位を与えた時点で、その職責を伝え、その職務を全うするように指示している。つまり、ルールという形で明文化されていなくても、マナーという形で、自由に行使できる状況にしているつもりだ。

逸脱したらまずいだろうって。逸脱するくらいの大きな仕事をやってみてから言ってくれ。それで問題が起きたなら、それからルール化すれば良い。逸脱するどころか、その前に、結果に対する責任を取れるのか。赤字を出したら自腹で補てんするつもりがあるのか。

私はこれまで何度も同じような場面を見てきたが、有能なリーダーに育つものは、絶対に「権限が明確ではない」など言ってこない。やりすぎるくらいのことをやって、かつ、その結果に対する責任を取る覚悟を持っている。

「権限が明確ではない」という人は、「肩書きがない」「ポジションが低い」とも言う。つまり、明文化しろというのは、肩書きがほしいだけのことで、その程度の器量しか持ち合わせていないのである。

権限がないと嘆く人は、全く能力がない人である。これが私の持論だ。

権限を明文化すべき時期は、やりすぎるくらいのことをやるような人が多くなり、やりすぎた時の責任と罰則を明示しなければならないほど、職務者が思い切って権限を行使するようになってからである。権限があるのかないのか判らないようなことを言っているような能力がない人がいるような、わが社のような中小企業では、明文化の前に、まずは権限と責任を理解させることが重要であろう。

まずは、何をやっても良いから責任を果たしてみてはどうだ。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年10月 6日 05:18