当時私は、スーパーコンピュータのシステムエンジニアだった。そして、学生時代の18才から付き合った同い年の彼女は、小学校の教師になっていた。その二人が、二十年前の今日、結婚式を挙げた。知りあってから既に7年が経っていた。
結婚式の費用は、全て自分自身の貯金から出した。親からは意地でも一銭も出して貰わなかった。私は親に迷惑をかけるのが最も嫌であった。
結婚式の挨拶で覚えているのは、「1+1は3以上だ」という言葉。私は、特に印象深く記憶しており、私自身が結婚式でスピーチをする時にも同じ話をしている。
それぞれ別々の生活、境遇を歩んでいた者が、結婚によって、1+1が2になるのではなく、やがて3にも4にもなる。結婚によって、家族が2倍になる。親も兄弟も一気に増える。親戚も2倍だ。そして、子供が生まれ、その子供の成長を通じて、親同士が知り合いになったりと様々な出会いが増える。
結婚と恋愛の最大の違いは、周辺を巻き込むことである。二人の結婚によって、親や兄弟は、時には選択することもなく、必然的に親戚関係を持つことになる。つまり、結婚とは、家と家とがネットワークで結ばれるのと同様だ。
結婚によって、幸せも2倍以上になる。しかし、同時に辛いことも2倍起こり得るのだ。子供ができれば、尚更である。得るものと苦労は比例しているかのようでもある。
今から振り返ると、私の両親と、妻の両親の4人が揃ったのは、結納の日に続いて二回目であり、かつ結婚式のあの日が最後の日となった。そういう意味で結婚式というのは、両家にとって最高の日であり、最良の日なのであろう。
私たちは、結婚してから中々子供が出来なかった。1+1が2のまま過ぎているような気がした。
4年ほど経って、妻は不妊治療を開始した。毎月毎月大学病院に通院し、病気でもないのに、したくもない注射を何本も行った。
その頃、妻の母親が闘病のすえ病気で亡くなった。54才だった。
約1ヶ月後、四十九日の法要を迎えようとしたある日、妻が妊娠したのが判った。もう少し生き延びてくれれば、初孫の顔を見せられるのにと悔やんだ。
それから妻は、切迫流産の心配があるとして、絶対安静のために大学病院に長期入院することとなる。
何とか8ヵ月を持ちこたえ、予定日よりも1ヶ月以上も前に男の子を出産した。
私たちにとって、1+1が初めて3になった瞬間であった。妻は、母親を亡くした悲しみから一時解放されるかのように、人生最大の幸せを感じた瞬間だった。
1週間後の退院の日。長男は黄疸があるという理由で、妻と一緒に退院することができなかった。
2日後、母乳を吸う力が弱いことが判明。小さい腕に点滴が付けられた。
1週間が経ち、無事に退院できる日を向かえた。
その時に言われたのが、「お子さんは3歳くらいまでの知能しか持つことができないかも知れません」と言うことだった。
私たち二人には、天国から地獄に落ちたような衝撃が走った。
やっとの思いで生まれた子が、生まれながらの重度障害者となったのである。
私たちは、迷いながらも、続けて二人目を出産することとした。
そして妊娠。
しかし、やはり同じく切迫流産の心配があるとして、絶対安静のために再び大学病院に長期入院することとなる。
それから、長男が誕生した日から14カ月目に、今度は長女が誕生した。
私たちは、障害を持っていないかとても心配したが、異常は見当たらなかった。そして、1+1は4になったのである。
それから4ヵ月後の年末。私は、自分の父親に、息子が障害児であることを告げた。それまで心配をかけたくないという思いから、親には内緒にしていたのだ。
私は涙ながらに告げると、親父は「大丈夫だ、きっと良くなる。心配するな」と言ってくれた。
それから1ヶ月後、その日まで元気に働いていた父親が、帰宅して僅か2時間後に急死した。急性心不全だった。20日前に58才の誕生日を向かえたばかりだった。
妻の母親と私の父親がいなくなった。
あれから15年が経ち、息子は高校1年生になった。親父の言う通り、今では自分の名前を漢字で書くこともでき、医者の言った3歳程度を大きく越えた。
もし、二十年前の今日、私たち二人が結婚していなかったら、二人の人生は、あるいは二人の親の人生はどうなっていたのであろう。さらには、妻や私の兄妹までも、人生がどのようになっていたのか測ることなどできやしない。
1週間前、旧ドリームクラスターと旧日本コンピュータは合併して、日本クラウド・グローバルになった。言わば企業同士の結婚である。
私は、この企業が1+1が3以上になるようにしなければならない。
結婚するということは、苦労も辛いことも増える。悲しいこともあるかも知れない。でも、それはそれに代わって得るものと比例するのである。
得るものが大きければ、それに伴う苦労は必ず大きいと覚悟していれば、何ら不思議なことではない。
得ることと苦労は必ず比例する。
逆に言えることは、苦労は得るために必ず訪れる試練なのかもしれない。苦労の分だけ、自分の人生に得るものは大きいはずだ。
お陰で今では、何事も前向きに捉えるように心がけられるようになった。それは苦労の先に、きっと良いことが必ず起きると信じられるようになったからである。
そして、『苦労はさせるが不幸にはしない』。これが私のモットーである。
今日は結婚20年の記念日。今日が人生で最良の日なのかもしれない。そのように考えると、一日一日が大切に生きられる。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年10月 8日 05:05