【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


教育について  「活・喝・勝」


説教と説得と説明

「嘘つきは泥棒の始まりだ」などと言って、嘘をつくような子は、将来泥棒になって、牢屋に入れられてしまうのだと親が子に嘘が悪いということを教えようとする。

このように、子供がいたずらや悪さをすると、親は子を叱り、子供が犯したことがなぜ行けないことなのかを子に教えるであろう。これを説教と呼ぶ。

説教と言えば、子供の側から考えれば、気持ちの良いものではない。ダメだということを事例や例え話を交えながら、もう嫌だというくらいに、続けられる。途中で「判ったか」という問いかけがあり、素直に「はい、判りました」と心から判った態度を示さなければ、「なぜ判らないのだ」と繰り返し、永遠と説教は続く。だから、子供の側からそれば、説教などされたくないと思うのである。

だが親の側から考えれば、どうしても、何とかして、判ってほしいと、一生懸命に言い聞かせ、教えようとする。それが説教だ。

説教とは、教え導くために言い聞かせること、と辞書にある。

さて、このブログ、私の書く内容は、まさに説教臭い。

説教臭いという意味は、されたくないのに、あるいはされる筋合いでもなく、あんたには言われたくもない、というような場合に用いる。すなわち、説教するような資格もないくせに、説教染みたことを偉そうに言うなということだ。

私は、自ら私の書く内容は、説教臭いと認める。それは、私には、説教するような資格もないし、偉そうなことを言っているからである。

だが、私は、それでもこれを書く。

もし、説教臭いと感じるのであれば、是非読まないでほしい。私には、そのような人に、教え導くために言い聞かせるという説教する資格もないし、私がする必要もない。必要とないと考える人に対し、どんなことを言っても説教臭いだけで、意味のないことだ。

だが、私は、それでもこれを書く。それは、私には、教え導くために言い聞かせるというリーダーとして、自分の部下に対する責任があるからである。だから、この内容は、私のためであり、私の部下のためのもであって、親が子にするようなもである。その親である私が、どんなに能力がなく、どんなにあんたには言われたくない、アホで知ったかぶりで、説教する資格もないと言われようが、親は子に説教する責任があるのだ。

だから説教は嫌いだとか、説教などしたくないと考えるのは、間違いである。リーダーは、親の如く、教え導くために言い聞かせるという説教をしなければならないのだ。それをなぜ避けて、嫌われないようとするのか。

説教できない人は、教え導くことができず、言い聞かせることができない人ということである。すなわち、それはもはやリーダーではないというのが判ろう。

さて、説教と似たような行為に説得というのがある。

説得とは、よく話し聞かせて相手に納得させること、と辞書にはある。

説得には、教え導くために言い聞かせるという意味は含まれていない。単純に言えば、相手を納得させるための行為である。

ほしい物を買ってもらえずに、道端で地団駄を踏む子供がいる。地団駄をするような行為は駄目だと、親が説教しても、買ってもらえない子供は納得行かず、馬鹿な親は、泣く泣く、「じゃ、言うことを聞いたら、後で買ってあげる」と子供を説得する。

説教に失敗した後に、飴を使ったり、ムチを使ったりして、何とかなだめよう、つまりは納得させようと、あれこれと手を尽くす。これは説教というハードランディングができない親が、説得という方法を使ってソフトランディングをする姿を表している。

だが多くの場合、説教は悪で、説得が良という風潮がある。

これは、前述したように、赤の他人同士であれば、言えよう。例えば、顧客に説教するのは馬鹿げた行為であり、このようなブログを通じて、見知らぬ人に説教をしても意味がない。だから、そのような場面では、相手の目線に立って、説得するという説得力が必要となるのである。

それを理解した上で、説得という行為はとても重要な行為なのである。あくまでも、説教の代わりではなく、説得は説得を必要とする場面で用いるものなのである。

よく話し聞かせて相手に納得させることが説得であるが、納得できるような説明ができなければ、「頼む」「お願いだ」と感情にだけ訴えていても、そう簡単に人は納得しない。

説明とは、自分の考えを解き明かして、判り易く述べることである。解き明かすということは、なぜそのような考えに至ったのかについて、その背景や理由を明らかにして、相手が理解できるように、順を追って段取り良く、判り易く説明するのである。

説明できない人がいる。それはすなわち、相手を理解させることができない人である。相手が理解できないような意味不明で判りにくい話をしているようでは、相手を納得させるという説得などできやしない。理解の次に、納得があるのである。

従って、説得は説明の上位ステップであり、説明できない人が、相手を説得できるはずがないのである。

どうやら、説教、説得、説明の違いを良く理解していないらしい。

リーダーにとって必要なものは、全てだ。

説明責任を果たし、相手を納得させる説得力があり、かつ、部下に対しては、教え導くために言い聞かせる説教ができなくてはならない。

説教と説得と説明の共通点は、相手に自分の考え方を説くということに変わりがない。理解させる説明力、納得させる説得力、指導する説教力を、どの場面で、誰にどう説くかかが違うだけである。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年10月12日 05:07