【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


リーダーについて  「活・喝・勝」


強くなければリーダーではない

「挑戦しろ」と言う。「失敗しても良いからやれ」と言う。「失敗を気にするな」とも言うだろう。だが、言うは易し。この言葉の意味を噛みしめ、自分が本気で言っているのか考えるべきだ。

まずは、本当に失敗しても良いと思って言っているのか。失敗したら誰が責任を取るのか考えているのか。

言っている相手は誰だ。

新人に「それくらいの気持ちで頑張れ」という程度なのか。

それとも、「俺が責任を取るから心配するな」と、カッコ良いところでも見せようとしているのか。

あるいは、「失敗するな」というと、委縮して、大胆に挑戦できることができなくなったら困ると思っているのか。

もし、その相手が、将来幹部になろうとする者だとしたら、そんな甘い呑気な事を言っている場合じゃない。

大体にして、その相手が新人だとしても、言う側の人間は、リーダーとして相応しくない。なぜなら、その新人の中に、将来幹部になり得る人材がいるかも知れないからだ。いや、違う言い方をすれば、新人だからこそ、そんな甘い呑気な事を言っているようでは新人の芽を摘んでいることになる。

昔と今は違う。

かつて「失敗するな」と警告を受けた経験があったのか、そのために失敗を恐れ委縮してしまったのか。それとも、「俺が責任を取るから心配するな」と言ってくれる気の優しい上司がいたお陰で、自分が責任を取らずに済んだのか。

だが本当は、昔も今も一緒だ。

「絶対に失敗は許されない、失敗したら責任を取れ。」これが本音だ。「それが理解できないようでは、リーダーになろうなどと思うな。」というのも昔も今も変わらないはず。

それ何に、なぜ、建前だけの「挑戦しろ」と言うのだろう。「失敗しても良いからやれ」と言うのだろう。「失敗を気にするな」とも言うだろうか。

「絶対に失敗は許されない、失敗したら責任を取れ。」「それが理解できないようなら、リーダーになろうなどと思うな。」と面と向かって言えないのは、自分がそのセリフを言われたくないのだろう。

それで真のリーダーか。

勘違いするな。

リーダーは、「悪気があった訳でない」では済まされない。

誰だってリーダーなら真剣勝負のはずだ。手を抜こうが抜かまいが、悪気があろうがなかろうが、結果に対する責任を取るのがリーダーの仕事だ。

失敗して許されると思うな。許されないことを承知の上で、挑戦しなけければならい、それがリーダーなのだ。

リーダーを目指すのか。それを目指すのなら、挑戦しろ。だが、失敗しない確率で選ぶより、私なら大きな成功する可能性に挑戦する。しかし、例え失敗しても、リーダーの判断ミスは絶対に許されない。

だから、確率が低いことに挑戦したとしても、挑戦することに意義があるのではなく、どんなことがあっても、何としてもやり遂げる責任と、成功させる責任を一身に負うのだ。

私は、確率より可能性で選ぶリーダーになれと言っている。だが、失敗を許す、認めるなどという甘いこと一度も言っていない。

責任は取らなくても良いなどと綺麗ごとも言わない。責任を放棄するような無責任なリーダーになってほしくないからだ。

リーダーは、その組織の頂点に立つたった一人の人間だ。組織の中の唯一の人間なのだ。だから、誰よりも挑戦もし、かつ失敗も許されない大きな責任を負うのだ。

失敗を恐れ、挑戦をしないのでは駄目だ。挑戦をして責任を取らないのも駄目なのだ。両方ができなければ、リーダーでない。だから、リーダーは孤独だ。その孤独を乗り越えられないのなら、軽々しく「挑戦しろ」だ、「失敗しても良いからやれ」だ、「失敗を気にするな」だ何て簡単に口にするな。どうせ、自分が取ろうとする責任の重さも、軽いに違いない。

逃げ出せない孤独。それを背負うのがリーダーだ。辞めれば済むという程度の逃げ出す覚悟なら、責任がないのも同然だ。

責任が取れないような責任を取るのがリーダーだ。取り返しのつかない失敗を、取り返すのがリーダーなのだ。失った損失を補てんしなければならないのも、全ての責任を負うのがリーダーだ。全財産を投げ打って、賠償するのもリーダーだ。

リーダーとはそういうものだ。

そう自分に言い聞かせるのだ。

私だって、そんなに強いリーダーではない。だが、それでも自分に言い聞かせる。それがリーダーなんだと。リーダーとは強くなければならないのだと、強いフリも、強がりもしなけれなならないのだと。それがリーダーなのだ。

それができないのなら、責任と取って辞めるのではなく、自分の無能さに呆れて、リーダーを放棄するために辞めるのだ。出来の悪い、弱いリーダーだから、自らがそれを認め、リーダーを降りるのだ。

私は、弱い自分にそう言い聞かせ、自分を奮い立たせて、何とか必死でリーダーとやらを全うしようと必死だ。強がろう、強くなろう、強くなければならないのだと、自分の心の中にいる小さなリーダーが、そんなにしなくても、もっと楽にしても、肩の力を抜いても良いのではという心の大半を占める弱い自分に喝を入れる。

人間なんて、最初からそんなに強い人はいない。だから、だからこそ、それを率いるリーダーは、強くなることが求められるのだ。強くなければリーダーではない。

「挑戦しろ」と言う。「失敗しても良いからやれ」と言う。「失敗を気にするな」とも言うだろう。だが、言うは易い。この言葉の意味を噛みしめ、自分が本気で言っているのか、もう一度考えるべきだ。

私は、「絶対に失敗は許されない、失敗したら責任を取れ。それが理解できないようなら、リーダーになろうなどと思うな。」と言う。

私自身にも。

そんな道を選んだのは、自分なのだ。

それが嫌なら、それが出来ないのなら、さっさと辞めたほうが組織のためだ。私は、いつでも、その覚悟を持っている。それは責任を取るのではなく、無能な自分を認め、限界を認めるときだ。

それがリーダーなのだ。

強くなければリーダーではない。リーダーとはそういう存在だ。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年10月14日 05:08