私は学生時代、ほとんど学校には行かなかった。学校の授業が嫌いだった、それが単純な理由だ。そんな私を夢中にさせてくれたのは、アルバイトだった。
私は、高校卒業後の3年間に実に様々なアルバイトを行った。
生まれて初めて行ったアルバイトは、パブレストランのウェイーターである。昼間はランチ時間帯のみ営業し、夜は、ピアノの生演奏付きの洒落たパブだった。
全く社会経験のない私には、全てが新鮮だった、一方で、全くの無知であることを痛烈に知ることができた。
10時半、店の開店準備が始まる。
「おはようございます。ありがとうございます。失礼しました。すみませんでした。」と頭文字を取った「オアシス」を大きな声で、挨拶するところから始まる。続いて、支配人からの一言。
「今日は天気が良いし、給料日の後なので、きっとランチタイムの入りが良くなる。最も人気のあるハンバーグランチをサービス価格で提供する。忙しくなると思うが、キビキビと行動してほしい。」と言った具合。
生まれて初めて携わった仕事が接客という仕事だった。今振り返ると、この時の経験が、今の私の原点のように思う。
初めて黒のスラックスに、白いワイシャツ、そして黒のベストを着用したとき、18才の私は、子供から大人になった感じがして、胸がときめいた。
初めてお客さまから注文を取る時、メニューの内容が頭に入っておらず、何を注文されているのかさっぱり判らず、頭が真っ白になった。私は、メニューをアパートに持ち帰り、次の日までに全てを暗記した。必死だった。
初めて皿の3枚、4枚持ちが出来た時、気分が良かった。初めてサーバースプーンとサーバーフォークでお客さまに取り分けをした時に、お客さまから「ありがとう」と声をかけてくれたあの時の嬉しさは今でも忘れない。
経営という言葉すら全く意識しなかったが、支配人の毎日の一言を聞いて、経営者とは、どうしたらお客が入るのかをいつも考えている、ということを学んだ。
結局、このお店では、他のアルバイトとの掛け持ちをしながらも、1年間ほど勤めた。その後、スーパーの魚屋でもアルバイトをした。
私は、「安いよ。安いよ。今日はウナギが安いよ。」などと言って、大きな声を出して、お客を呼び寄せるの得意だった。
辛かったことも沢山ある。氷水の中に手を入れ、ホヤを塩もみして、凍っているものを戻す作業。手が真っ赤に張れた。
居酒屋の厨房も経験した。先輩に蹴飛ばされ、怒鳴られながら必死で皿洗いをした。皿を割ったら、アルバイト代から減額させられた。何時間も何時間も鳥の空揚げ作りをさせられ、風呂に入っても油の匂いが抜けなかった。
コンサート会場の設営、撤収もした。僅か数時間の間に、綿密に計画された手順に従って、効率よく段取り良く機材を運び出す。無駄な動き、順番ミスは許されなかった。冬の寒空の中、汗だくになって走り回った。
他にも様々なアルバイトを行った。
私は、働くことの楽しさを知った。
私は、仕事が好きになった。
どんな仕事でも。
あなたは、「仕事が好きか」と尋ねられて、「大好きです」と胸を張って答えられるか。
私は自信を持って、答えられる。
私は、仕事が大好きである。
働くことが楽しいのである。それは、仕事の内容がどうのという問題ではない。私は、「仕事が好きか、働くことが好きか」の問いに、仕事の内容を問わず、大好きだと答えることができる。
例えば、PTA活動による校内の草取り。それでも、私は、楽しく、かつ一生懸命に行う。一銭にもならないのにだ。子供会のボランティア活動。子供たちと汗を流して遊ぶという活動も、仕事ではないが、私にとっては全く同じ感覚である。
つまり、私にとって、仕事とは、動くことであり、何かのためになることであり、そして自分のためなのである。だから、仕事と遊びと、ボランティアとの境目が全くないと言っても良いだろう。
だから、私は、何事にも一生懸命だ。直ぐに夢中になる。
自分がそうだからと言って、それを他人に押し付けるのは違うのではないかと言われるかも知れない。
自分がそうだからと言って、誰もがそのようになるとは限らないとも言われることだろう。
だが、それでも私は言う。
もし、その相手が、リーダーなら。
例え、好きで自分がリーダーになったのではないとしても、仕方なくリーダーをやらされているとしてもだ。もちろん、自分自身でリーダーを希望し、あるいはこれからリーダーになろうとしているとしたら、尚更である。
リーダーなら、仕事が、働くことが大好きでなくてはならない。心底から、仕事が楽しめなければ、絶対に駄目だ。
今の仕事が自分にあっているとか、自分で選んだものではないとか、どんな理由があろうとも、今のこの仕事を楽しめない、好きになれないのであれば、リーダーの資格はない。
部下の立場で考えて見ろ。
自分の上司が、嫌々仕事をしていたり、仕方なく上司をさせられているような人間の下に、自分が部下として支えることができようか。あり得ない。
そこまでやらなくても、やり過ぎではと言われるくらいに一生懸命に仕事に打ち込めないのなら、潔く、リーダーの座を降りるべきである。そのような姿を見て働かなければならない部下のことを考えたら、とてもとても、私なら生きていけない。
これは、ある意味で天性の問題かも知れない。仕事の内容に関係なく、どんな仕事でも好きになるということは、天性の問題なのかも知れない。現に、私は、意識して仕事を好きになろうとしたことはなく、誰からか仕事を好きになれと言われたこともない。
しかし、私は、天性の問題ではないと思う。
仕事に対する考え方の問題である。
仕事とは、動くことであり、何かのためになることであり、そして自分のためなのだと考えることができるかどうかだ。
もちろん、仕事の中では、辛いことも、嫌なこともあろう。あるいは、仕事そのものは好きでも、人間関係で職場や会社が嫌になることは否定しない。だが、それでも、一生懸命に夢中で、そしてどうせやるのなら楽しもうと思えるかどうかだ。
こんなことは、リーダーでないのなら敢えて言わない。リーダーだからこそ、与えられようが、押しつけられようが、仕事を前向きに捉え、最終的には自分のためになることだと、楽しめる余裕がなければ、率いられる組織が一生懸命になれるはずがないのだ。
休日だろうが、夜間だろうが、急に呼び出されようが、どんな時でも、今起きている出来ごと、この瞬間の働きを、前向きに受け止めるのだ。良く遊び、良く働け、隔たりなくどちらとも一生懸命に、楽しむのだ。
そして、若い人にも言おう。
好きな仕事を探すのではなく、仕事は好きになるものだ。どんな仕事であれ好きになろうという気持ちがなければ、好きな仕事など一生かかっても見つかるはずがない。自分にあった仕事を探すのではなく、出会った仕事から、自分にないものを磨き、自分の良いところを見つけるのが仕事だ。
仕事は辛い。仕事は厳しい。それでも、楽しめるか。楽しめた人だけが、もっと楽しめる仕事がやってくる。
楽しめなければ、色々と職を転々としても決して、自分にあった楽しい仕事など向こうからやってこない。自分から楽しもうという気持ちがなければ、やってこないのだ。それが仕事である。
打ち込める仕事が自分に合った仕事ではなく、打ち込んだ仕事が、後から振り返った時に、自分に合った仕事を思えるのであろう。
あたなは、自信を持って、仕事が大好きだと答えられるか。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年10月18日 05:09