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求める人材  「活・喝・勝」


手足をすぐに動かすのみ

仮に5時間睡眠の人と、7時間睡眠の人とで、どれだけ活動時間が異なるであろうか。1日2時間の差は、1年間で、約30日の差にもなる。つまり、1日2時間の差を繰り返しているだけで、1年間では1ヶ月分の差が生じるのである。

一年間の目標を12ヶ月で割ると毎月8.3%分になる。100%の成果を上げるには、この8.3%を毎月クリアーしなければならない。

もし1日でわずか2時間の活動量が増やせたら、それだけ1ヶ月分に相当する8.3%分の実績が上げられる訳だ。仮に、108.3%という前年を上回る成果を出すには、13ヶ月分の成果を12ヶ月で行う必要があるのだ。

その逆に、91.7%と前年を下回る成果した出せなかったということは、約1ヶ月分に相当する、1日わずか2時間づつを1年間に渡って怠け続けていたとも言えるのだ。

わずか2時間の差でもこうして考えると、非常に大きな差になるものだ。

さて、私は、活動量を増やせということを述べるつもりだが、安易に睡眠時間を削れば良いということを言うつもりはない。どんなに睡眠時間を削っても限界があるし、例え今までより2時間削ってその分を仕事に当てたとしても、その程度の考え方だけではとても活動量など増えやしない。

私は、最近有能な経営者と会う度に、その有能さと、活動量が一致していると感じるようになった。

さらに、有能な経営者ほど、活動時間も多く、活動量を増やす要因にもなっているようだ。

そこで私は、活動量と成果が一致すると仮定した。活動量が多い人ほど、その活動した分、それに比例して成果も増える、あるは成果も高くなる。

では、活動量とは何か。

活動量は、活動時間×密度で求められる。まずここで知ってほしいことは、活動量は単純に活動時間だけでないということである。

冒頭で2時間の差という時間を用いたが、どんなに活動時間が長くても、それがそのまま活動量とはならないのだ。だから私は、安易に睡眠時間を削れば良いというものではないと言ったのである。

先ほど、有能な経営者ほど、活動時間が多いと言ったが、誤解してならないのは、活動時間が多いから有能なのではないということである。有能な人が、もっともっと活動する時間を増やせば、その成果が高まるのであって、無能な人がどんなに活動時間を増やしても、単なる時間の浪費にしからないのである。

その証拠に、部下の仕事振りを見ると、能力の劣る人の中には、活動時間が長いのに結果を出せない人と、活動時間が短い人とがいる。この二人の違いは、やる気である。後者の活動時間が短い人は、はっきり言ってやる気がない人だ。やる気がなければ、自ずと活動時間が短くなり、能力のあるなしに関係なく成果などでるはずもない。

一方全社の活動時間が長い人は、やる気はあるが、密度が薄いのである。密度が薄ければ、やってもやっても仕事が終わらないし、進まない。だから結果が出ないのだ。

折角やる気があるのなら、密度を濃くする工夫をしなければならないのだ。そのためには、密度の意味を知り、密度を意識することである。

さてそこで、仕事の密度について考えてみたい。

私が考える密度とは、判断力×集中力×早さである。

判断力には、速さが求められる。これは一種の能力であり、かつ経験則である。できるだけ素早く判断し、方向性を見極めるという能力である。この能力が高い人は、無駄な作業や、遠回りをすることが少ない。この能力が低い人は、どんなに仕事を素早く処理しても、方向性が違っていればやり直しとなり、無駄な繰り返しが増えるのである。

素早い判断力を身に着けるのは至難な業ではない。一朝一夕にもできない。失敗を繰り返し、その失敗を分析することで、同じ心配をしない判断が素早くできるように経験を重ねることである。これは私にとっても終わりのない永遠の課題である。

次に集中力である。

私は、持って生まれた集中力には、それほど個人差がないと考えている。

例えば、重度の知的障害を持つ長男は、自分の大好きな絵を描いている時は、呼びかけても耳に入らないくらいに物凄い集中力を発揮する。つまり、人間は、自分の関心の高いもの、好きなことであれば、それには自分の持っている最大限の集中力を発揮できるのである。

問題は、仕事に対して、集中力を発揮できるかということである。集中力がないのではなく、生まれながらに備わっている集中力を発揮できるかという点なのである。そこで、個人差が生じるのだ。

嫌いなことや嫌なことは、どんなに集中しようとしても、できるはずがない。つまり、取り組もうとする目的や方向性に対し、理屈なしで好きにならなければならないである。ここで重要なことは、嫌いだからできないのではなく、好きになる努力が必要だということである。どうしたら自己暗示して、好きになれるかである。

特に経営者においては、毎日良いことばかりではない。嫌なことのほうが遥かに多い。その嫌なことを嫌なこととして逃げていたら、集中力もなにもあったもんじゃない。好きになることである。好きだと思い込むことだ。

そして、この中で、能力の有無に関係なく、誰でも直ぐに実践できるものは、早さである。直ぐにやるという早さだ。速さではない。

速く処理するというのは能力だが、早く取り掛かるというのは誰でもやろうと思えばできるはず。ところが、この早く取り掛かるということは、実は難しい。

普通の人は、判断力を速めることや、集中力を高めることのほうが重要に思うだろうが、実は、この早さのほうが遥かに重要だと思う。

判断力や集中力は、一朝一夕には高まらない。もちろん、持って生まれた能力の差というものはあるであろうが、その差は、誰でもできるこの早さを身に着ければ挽回できるものである。

それなのに、直ぐに取り掛かる、直ぐに始める、いち早く動くということができない。私は、誰でもできるこの早さのほうが、遥かに能力の差に直結していると感じている。頭でばかり考えて、手足をすぐに動かすことができない人が多い。頭で考えているその時間が無駄であることに気づいていないのだ。

なぜ早く動けないのか。

それは、早く動けない人ほど、能力の乏しい判断力だとか、集中力とやらに引きずられるからである。能力が乏しいのに、正しい判断をしようとか、集中してミスをしないようにしようと考え、その結果金縛りになって、ただボーと頭の中で考えているだけで、手足が動かないのである。成果を生まない時間の浪費だ。

これこそがまさに能力の差である。そのことを痛感し、自分の判断力の無さ、無能さを、別の指標である早く動くことに転換するのである。簡単に言えば、自分は頭が悪いから、誰よりも早く動くことくらいしかできないと言い切るのだ。私はこうして自分の無能さを、頭を使うことより、手足をすぐに動かすことで必死でカバーしている。

私は、判断力や集中力というような無いよりあったほうが良いという程度のものは割愛し、活動量とは、活動時間×早さであると結論付けたい。

早さとは、すぐに始める、いち早く取り掛かる、すぐに動くことである。手足をすぐに動かすことである。無い頭で考えないことである。

手足をすぐに動かすことで、1日2時間の差どころ、1日4時間分もの差を生むのだ。これが仕事量である。

経営者の仕事は、仕事の時間数ではなく、仕事量の差が、成果の差につながるのである。そのためには、手足をすぐに動かそう。それが一番近道だ。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年11月 1日 05:00