平素の身体的な鍛錬、強化を図り、いつ起こり得るかも知れない有事に対し、発生後に直ぐに、確実に、その成果が発揮できるように訓練する。
訓練は、一定の基礎的なことを何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、反復練習しながら身に着けていく。基礎的なことを当たり前のように、日々取り入れ、その基礎的なことの延長線上にある応用にも対応できるようにする。応用とは、基礎が百発百中で完璧に出来ていなければ、出来るはずがないのである。
そんなこと言わずと知れたことである。
ならば、なぜ基礎的なこと、当たり前のことが百発百中に完璧にできるようにしないのであろうか。
それは、一定の基礎的なことを何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、反復練習しながら身につけるという訓練をしていないからだ。しなければできるはずがない。
していないのである。私は、そのように痛感させられた。頭で判っていても、やっていなければ何にもならない。そして出来るはずもない。
先日訪れた会社は、素晴らしかった。
社長が自ら、事務所の中を、惜しまず隠さず、自信を持って案内してくれた。この会社は、上場している会社である。
一斉にあちこちから「こんにちは」と私に挨拶する。一瞬に躾が違うと誰しもが感じることができるだろう。そして、同時に誰しもがこの会社は間違いなく伸びているということを感じるはずだ。
私たちは、居酒屋などの外食産業にお客として行くと、その店の従業員教育について、その差を歴然と感じるはずである。教育をしているところと、していないところでは、間違いなく客の入りが異なる。つまり、外食産業において、従業員教育の差は、そのままサービスを提供する差に繋がり、そして業績に繋がるのである。
良く考えて見れば、このことは、外食産業に関わらず、あらゆる業種にも言えたことである。企業は人なりというのであれば、人の差が企業の差となるのである。
私は以前、『教育と訓練』の中で、『教育については、どの会社でも必要性が理解されている。その方法は、OJTが中心であったり、集合教育という形でセミナーを聞いたりと様々である。しかし、訓練については、あまり理解されていないように思う。』と書いた。
社員教育とは、社員の個別の能力を引き上げるものである。様々な教育の機会を与えれば、その分、知識も増え、考え方の幅も生まれよう。だがしかし、訓練については、どれほど経営者が理解しているだろうか。
例えば、お客さまが事務所の中に来たら、一斉に「こんにちは」と自然に挨拶できるというのは、教育ではなく訓練である。そのように考えると、居酒屋などでは、本来、社員教育ではなく、社員訓練を行うというほうが正しいのかも知れない。
一定の基礎的なことを何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、反復練習しながら身に着けさせる。これが訓練だ。
ところが、訓練という言葉に抵抗を感じる人がいよう。
冒頭のいつ起こり得るかも知れない有事に対し、発生後に直ぐに、確実に、その成果が発揮できるようにするという文言を読んで、これは軍事訓練や防災、避難訓練などではないかと想像する人もいよう。
教育と訓練は明らかに異なる。
訓練は、強制である。例外なく、集団で取り組むものである。強制的に繰り返される。これは、個人活動を向上させるというよりも、組織活動を向上させることに主眼があり、個人の都合や、個人のスキルの差とは関係なく進められる。
組織活動における訓練。
このように書くと、軍国主義者か、あるいは独裁主義者かなどという的外れな批判が聞こえてきそうだ。
そして、教育は強制ではなく、自主的なほうが望ましいとまで付け加える者も現れよう。
ならば尋ねるが、そう言うあなたの組織は、強制をせず、自主的にお客さまが部屋に見えた時、自然に「こんにちは」と一斉に挨拶できる組織になっているのか。
それとも、お客さまに挨拶することが良い訳でもあるまいと、さらに反論するつもりか。
それほどまでに、あなたの組織は、子供のから親に勉強しろと強制されずとも、自主的に進んで勉強する勉強大好きな社員ばかりが集まっているのか。試験という強制事項がなくても、必死で覚えようとする勉強大好きな社員ばかりなのか。
もし、仮に自主的に進んで勉強する勉強大好きな社員ばかり集まっているとしても、それで組織として十分に機能するかと言えば別物である。
組織とは、組織的に動かなければ意味がない。自主的に活動することと、組織的に活動することとは別物なのだ。
組織的に活動できるようにするのが訓練だ。個人差を越えて、サービスを均一にしたり、一人では対応できないものを複数人で対応できるようにするのも訓練だ。
訓練ができている会社はどれほどあろうか。
日々顧客と接する接客業や、工場、建設現場など集団で、組織で活動する会社においては、当たり前のように行われているはず。一方、机に据わって作業をするホワイトカラーが中心の会社ではどうだろうか。
少なくても私のようなIT企業では、ほとんど見受けられないのが実情ではないだろうか。
訓練をできていない理由の一つは、経営者自身が訓練を受けていないからだ。だから、何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、反復練習するようなことを取り入れることができないのである。従って、経営者が訓練の重要性を認識していないと言って良いだろう。
さらに、仮に経営者が訓練の重要性を認識していたとしても、強制的に、何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、反復練習するようなことを徹底できないのであろう。
そういう私の会社でも、「これから訓練を取り入れるぞ」だと声高に叫んでも、拒否反応が起こるだけで、続けられるはずなどない。そこで、私は、組織的に取り組める活動をいくつか指示し、徹底させることで、次第にその範囲を広げようと考えてきた。
例えば、メールには必ずCCを付けさせるというような取り組みがある。わが社では一切の例外なく、CCに管理者とつけるようにしている。強制的に、何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、言い続けた。その結果、メールのやり取りが、個人活動ではなく、会社としての組織活動であることを意識付けさせたのである。
だが私に欠けているのは、私が訓練の重要さを認識していても、それを現場の長に認識させることができていない。現場の長が認識できていないから、各部門において、強制的に、何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、反復練習するようなことを取り組みが、自発的に行われていないという問題がある。
これは、私の問題である。
私が、訓練という言葉を、自信を持って口にすることができないでいたからだ。訓練とは、強制で、例外なく、集団で取り組むものであるということを、自信を持って伝えていないからである。
そして、訓練ができない企業に、教育などないということを説明できていない。
訓練は、教育の一部であり、かつ、教育の第一ステップである。第一ステップに取り組めないで、教育などないに等しい。
そして、訓練ができていない組織は、組織に非ずとも言えよう。一切の訓練をせず、大きな災害が起きた時に、速やかに迅速に避難できるはずもない。個人個人がバラバラに、逃げようとしてパニックになるだけである。誘導する人もいなければ、指示に従う人もいない、これで組織とは言えないであろう。
訓練とは、組織が組織として機能できるようにするための、指示命令に対する順応性を高めるものでもあるのだ。
強制的に、何度も何度も、毎日毎日、繰り返し繰り返し、反復練習するような訓練をしなければ、強い組織、動く組織、対応できる組織にならない。
それにしても、この会社、素晴らしい。一度見てみれば、訓練がどうだとか、自主的教育だとか理屈なしに素晴らしいことを感じることであろう。そして、どうしたら、このような風土を構築でき、そして、それを成長の糧にできているのか、改めて自社が至らない点を痛感させられることであろう。
素晴らしかった。私もそう言われる会社にしたい。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年11月 5日 05:02