先日、息子が通う養護学校に行ってきた。二週間後に開催される文化祭の準備のためだ。養護学校の文化祭や体育祭は、親やボランティアの力が不可欠である。
養護学校で父兄が集まると、娘が通う普通学校の父兄とは明らかに異なることを感じる取れる。養護学校の父兄は、一生懸命であり、かつ親同士がまとまるということだ。
私は以前、『障害を持つ親たちで集まると、初めて参加した人とでも、なぜかすぐに意気投合してしまう。養護学校は、言わずと知れた障害を持つ子供たちの集まりで、親たちの悩みは共に共通しているとからであろう。』と『境遇の共有』の中で書いた。
境遇が共有できると、意気投合し易いのだ。
中でも、辛いこと、悲しいこと、悩みなどが共有できた時、人は、強く結び付くのかも知れない。
しかし、会社の中で、境遇を共有するということはしようと思ってできるものでない。
私は、ふと『出来る人は、出来る人を見つけられないようでは、出来る人じゃないんだよ。』という言葉を思い出した。これは、3年半前に書いた『自分を理解してくれる人』の中で、私はある人から言って頂いた言葉だ。
出来る人は、出来る人を見つけられないようでは、出来る人じゃないんだよ。という意味は、自分のことをなぜ理解してくれないのだと考えることは、自分のことを理解してくれる人を見つけていないからだという意味である。
周囲の人が理解してくれないのではなく、理解してくれる人を追い求めるのだという言葉だった。
障害を持つ子供の悩みを持った親は、障害を持たない子供の親に理解を求めても難しい。理解してもらうとすること事態に無理があるのである。それに対し、同じ悩みを持った親ならば、直ぐにその悩みを共有し、解決策を見出してくれる可能性があるのだ。
出来る人は、出来る人を見つけられないようでは、出来る人じゃないんだよという言葉には、もう一つの意味がある。
それは言葉の通り、仕事ができる人は、仕事ができる人を見つけられなければ、本当に仕事ができる人ではないというものだ。周囲に自分の仕事を理解してくれる人がいない、自分よりも仕事ができ模範となる人がいない、と独りよがりに自惚れているようでは、まだまだ本当に仕事ができる人ではないということだ。
本当に仕事ができる上司は、本当に仕事ができる部下を見つけ出し、重要な仕事を任せることだろう。重要な仕事を任されるということは、その成果を持って、さらに重要な仕事ができるチャンスを得るということだ。
『信用と信頼の意味』の中で、『私には、信用できる部下と、信頼できる部下がいる』と書いた。さらに『お互いに腹心を布けるのが絆だ』の中で、『私には、腹心の部下がいる。』とも述べた。
私は、上司の力を借りず、自分の力のみで勝ちあがってやろうという独りよがりな人間は、その意気込みに比べ、以外に伸びないことを知っている。
それは、信用、信頼されないから、重要な仕事を任されないからである。
もっと言えば、周囲に自分の仕事を理解してくれる人がいない、自分よりも仕事ができ模範となる人がいないと考えている程度の人間では、その人間が上司となってリーダーとなっても、信用できる部下も信頼できる部下も、腹心の部下も得られないからである。つまり、そのリーダーのもとでは、その組織は成長も発展も期待できないということである。独りよがりの組織だ。
三木元総理の言った言葉に、『友には晴天の友と雨天の友があり、雨天の友こそ真の友』というのがある。
調子が良い時だけ利用しようと寄ってきたり、あるいは、自分の都合だけで寄りついてくる晴天の友は、信用ならない。それよりも、苦しい時、辛い時、何とかしてほしい時に、その気持ちを共有でき、そして、話だけでも聞いてくれる僅かな力になれる雨天の友こそが、真の友だという意味である。
経営者をしていると、晴天の友と雨天の友と同じように、晴天の部下と雨天の部下がいるように感じる。
私の場合には、幸いにも晴天の部下と雨天の部下の両方いるが、晴天の部下すらもいない上司も多いように思う。
晴天の部下というのは、調子が良い時だけ利用しようと寄ってきたり、あるいは、自分の都合だけで寄りついてくる部下である。言わば、自分が出世するため、あるいは、自分の成果を上げるためだけのみを考えている部下である。
会社において、晴天の部下を切り捨てる必要はない。むしろ、それが普通の人間であって、並みの人間だからである。並みの人間を一々切り捨てていたら、どんなに不純な理由であれ、自分勝手であれ成果を上げようという馬力を削ぐことになる。
それよりも、酷いのは、並み以下の人間である。晴天の部下にもなり得ない部下である。晴天の部下が、不純な理由であれ寄りついてくる部下だとすれば、並み以下の部下は、寄りついてこない部下である。
上司におべっかを使いたくないという理由もあろう。上司が嫌いだからという理由もあろう。だが、どんな理由であれ、出来の悪い上司であれ、その上司を上手に仕えないのであれば、何れにしても大した能力がない。自分は、上司よりも能力が高いと自惚れているのであろうが、仮にその通りに高い能力を持っていたとしても、そんな人間は、自分が上司しなった時、自分がそうしたのと同様に、晴天の部下にも雨天の部下にも恵まれることはない。
並みの上司なら晴天の部下くらいは持てよう。しかし、自分が晴天の部下にもなれなかった並み以下の上司は、晴天の部下にも雨天の部下に恵まれないのである。出来る人は、出来る人を見つけられないようでは、出来る人じゃないんだよ。
さて、それよりも大切なことは、雨天の部下を持つことだ。
上司が苦しんでいる時、上司がもがいている時、上司の悩みに対して、身を粉にして付き合ってくれる部下は、部下というよりも真の友人だ。偶々、現在の上下関係があろうが、そのような雨天の部下には、是非自分を越えてもっと上の仕事をさせてあげたいと思うのが心情である。
そのような雨天の部下に恵まれれば、その組織が伸びないはずがない。
会社にとって、晴天の部下にも雨天の部下も共に必要だ。上司は、何れの部下も、その天気に応じて、使えば良い。あるいは、その部下に使われるくらいの気持ちでいたらもっと良い。
私は、晴天の部下にも雨天の部下も排除しない。しかし、雨天の部下こそ真の部下として、決して苦労はさせるが不幸にはしないと誓う。
そして、雨天の部下が、将来上司になった時、私はその上司の下で支え、恩返しをしたいと考えている。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年11月 9日 05:03