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若者について  「活・喝・勝」


青春の詩

『若者の年寄り化が始まっているのだ。「この仕事をしてくれないか?」と問いかけると、「これ系は、もう痛い目にあったので、他の業務にしてくれませんか、他ならなんでも良いです」と答えるタイプと、「こういう仕事をしてみたいので、その系統だったたらなんでも良いのでさせて下さい」と言うのとでは、全然成長性が違う。』

これは、もう5年近く前に、私が最初に「青春の詩」を引用した『リスクとリターンのどちらを取る』の一文である。

それ以来私は、サムエルウルマンの「青春の詩」をこれまで8回も引用した。今回が9回目である。

任す力』では、『改革、革新ができる人、それを若者と呼ぶ。それは、考えてから走るのではなく、走りながら考えることで何かを変える、新しいものを生む原動力なのである。』と言った。

若さを買う』では、『経験をも上回る勇気を持ち、理屈よりやる気、結果より向かう姿勢、全ては若いからこそ、未知だからことやれることだ。』と述べた。

膨大な可能性と無限な未知』では、『膨大な可能性と無限な未知とは、若さである。若さとは、経験のないことであり、若さとは型にはまっていないことである。』と書いた。

老いとの戦い』では、『私は、この詩をもとにしたいくつかの信念がある。例えば、来るものは拒まず。さらには性善説、そして、まずは自分が人を信じること。』とも言った。

後生畏る可し』では、『私は、私の子供ほど年が離れた後生に任せたいと思う。そして、その後生は、私が畏れるくらい大胆で、私よりももっともっと若者を起用、抜擢できる勇気を持った人』と定義した。

変化し続けることが変化しないこと』では、『私は、失敗しているほうが自分にあっているのかも知れない。そのほうが、失敗を克服しようとする意欲が湧き出てくるのである。』と書いた。

リーダーの意気地』では、『リーダーには、自分の意気込みを意地を通して示そうとする生きる様、意気地が必要なのである。』と書いた。

私がこれまで書いた、青春、つまり若さとは、変革することであり、勇気であり、型にはまらないこと。そして、信念を持つこと、若者を起用できること、失敗を寛容できること、意気地があることなのである。

若さとは、心の持ちようである。心を若く保てるかである。近づく老いと戦えるかである。それができれば若者というものに年齢の定義はない。

冒頭で書いたような例え年齢が若くても、心が若くなければ、若年寄りで若者ではない。年齢ではないのだ。

年齢ではないのだよ。

年齢なんか関係ないんだよ、と50歳を過ぎた人間に言う。だが、ほとんどの人は、「もう年だから」と言う。

年齢なんか関係ないんだよ、と30歳にもならない人間に言う。だが、ほとんどの人は、「経験がないから」と言う。

若さを持った人が少ないのはなぜだ。

自信がないからか。面倒なのか。億劫なのか。臆病なのか。

だが、この事実は、現状の事実として、受けとめるべきなのであろう。それは、社会的背景、年齢、家族といった環境や物理的な状況で、必然的にそのような気持ちになるのは自然な姿なのかも知れない。

全員に、若さを持て何て、押しつけようとするのは、これまたリーダーとして無理があることだ。もし仮にそれができるのなら、リーダーも苦労しないことであろう。ということは、リーダーが敢えて大きな声を出して、動かない皆を引っ張らなくても、容易に動くはず。

しかし現実はそうでないのが自然な姿だと思えばこそ、そこにリーダーという存在が必要なのだ。

リーダーは、組織の一員が、社会的背景、年齢、家族といった環境や物理的な状況で、そのまま放置しては、自然に若さを保つことができなくなるような事態を、できるだけならないように皆を動かさなければならないのだ。

だからこそ、リーダーだけは、何が何でも、若さという考え方を持っていなければならないのである。これは、リーダーにおける絶対条件だ。

リーダーが老いてはいけない。若さを保ち、体力的にも肉体的にも、考え方も、勇気も、そして前向きさも、全てにおいて誰よりも若くなければならないのだ。

もし、リーダーが若さを持つことができず、普通の人と同様に「もう年だから」と軽々と口にするようでは、自らが老いを認めるのと同時にリーダーを降りるべきである。若さとは、心の持ちようである。それができないリーダーに、誰が魅力を感じてついて行くものか。

若さとは、心の持ちようである。それは年齢ではない。若さという心が持てないのであれば、20代であれ、30代であれ、リーダーになり得る逸材にはなり得ないであろう。「経験がないから」と言っているようでは、経験を取りに行くリーダーになどなれるはずがない。

リーダーとは、若さである。私が考える若さとは、変革することであり、勇気であり、型にはまらないこと。そして、信念を持つこと、若者を起用できること、失敗を寛容できること、意気地があることである。このような若さは、心の持ちようなのだ。この心が持てないのであれば、私は、直ぐにでも引退しよう。

せめて若さという気持ちが持てない無能なリーダーは、潔く、いち早くリーダーの座から降りるべきだ。それがせめてもの、組織への償いである。もし、そのことに自らが気付けないほど精神的に老いているのなら、傍にいる若くて勇気がある次代のリーダーが印籠を渡すしかない。

私は、そのような次代のリーダーを見つけ、身を投げ打ってサポートしよう。

自分より年齢が上であれ、下であれ、経験が多くあろうが、経験がなかろうが、私は、年齢的な若さではなく、精神的な若さを持った勇気ある若者をどんどん起用しようと思う。

さらに同時に、どこかの政党のように、長老が若者を邪魔するようなことがないように、私は、年齢的な老いではなく、精神的な長老に対し、リーダーを降りるよう退場を求めよう。

しかし、それは、長老を侮辱しているのではなく、あるいは排除するのではなく、新しいリーダーの元で、これまでの経験を活かせるような人になってほしいのである。経験者は、未経験者をサポート、フォローしてはじめて存在意義がなるのである。

私ができるのは、若いリーダーが、未経験ながらもリーダーシップを発揮できるように環境を整備することだ。それができなければ、私も若いリーダーでないということである。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

逞しき意思、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や猜疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く、 失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして威力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の圧氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年11月23日 05:07