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リーダーについて  「活・喝・勝」


言われなくても判るだろうでは判らない

私は、有言実行と不言実行という考え方が両方好きだ。そして、リーダーなら一方ではなく、その両方共に持ち合わせていなければならないとも思っている。

『あれこれ言わず、黙ってなすべきことを実行することを不言実行という。理屈を言っている暇があるのなら、先ずはやって見せてみろということである。辞書によると、元々使われていた不言実行をもじって有言実行という言葉ができたそうだ。有言実行とは、口にしたことは、何が何でも成し遂げるという意味である。』と『先ずは不言実行あるのみ』の中で述べた。

リーダーを目指すなら口先だけでなく、先ずは行動あるのみ、そして全て結果で勝負する。これがリーダーの行動姿勢である。不言実行ができなければリーダーではない。

さらに、組織に対しては、リーダーが言葉に発することは重要である。リーダーがチームに対し、黙っているようでは話にならない。リーダーとは、言葉にして表現することで、自分の考えを明確にし、後戻りができないような中で、自らが言ったことは何が何でもやるという姿勢を、自身が必死で行動することで、有言実行型の組織を構築しなければならないのだ。

このように、リーダーには、言葉にしなくても実行すること、言葉にしなければならないこと、の両方が求められる。

中でも、リーダーとリーダーでない人との最大の違いは、言葉にすることである。言葉にしなくても実行するという不言実行は、決してリーダーでなくても行えるし、現にそのようなしっかりした部下はいる。

だが、言葉にするということは、リーダーがやらなくてはならないものであり、それができないのならリーダーではないというくらいリーダーにとって必要不可欠な行動である。

そもそもリーダーでなくても人間は、言葉にしなければ、相手に自分の考えが伝わるはずがない。言わないでも判るようにするというのは、伝える側が伝えるという行為を放棄し、受け取る側にどのように受け取るかということを委ねることである。

そうなると、受け取り側が勝ってに誤解しても、伝える側は反論することはできないのである。それなのに、「なぜ細かく言われなくては判らないのか」と疑問に、不信に思うのは間違っている。ついには、「あいつは言われなければ判らない」と、言われなくても判る人よりも過小評価し、受け取り側の問題だ断言し、伝える側の傲慢で一方的に判断するのは、あまりにも卑劣である。

それは、伝える側、指示する側というリーダーとしての責任を放棄しているようなものだ。

私は、様々な国を訪れると、一般的に日本人は言葉にするという行為が下手、できない、あるいはしなくても良いと考えている民族であるように思う。『多様性を活かす』ことができない、認めないのであろう。

それは、島国の中で、多様性を受用する必要がなかった単一民族で育ち、言葉よりも心のほうが重要だという思想があったからに違いない。

一方、世界の大半の国々は、複数の民族、複数の宗教、複数の言語が使われており、言わなくても判るというような考え方は世界では通用しない。通用しないから、契約が重要であったり、コミュニケーションが重要であったりするのだ。

それを、仮に世界で通用しなくても、日本で通用すれば良いじゃないかと、以外に多くの間の抜けた人がいるのには驚く。

彼らの発想は、古い。古いというのは、これまでのやり方では通用しない、上手く行かない可能性があることを認めない、自分だけが取り残されて周囲がどんどん変化していることに気付かないという意味だ。

現に、日本でもアメリカのように年々訴訟件数が増えている。大体のトラブルは、言った言わないから始まり、お互いの誤解、認識のズレが発端である。この現象は、日本が単一の民族、単一の宗教、単一の言語であったとしても、インターネットなどの発展により、世界が一つに繋がったことで、地球単位という中で、様々な考え、様々な環境、様々な経験を持つ多様性が広がっているという証である。

つまり、日本国内だけが変化せずにいられずはずもなく、世界中の大変化を少なからず影響を受けるのであって、それをそうでないという発想でいること事態が、既にその時点でそのような人とは意識が合わず、お互いの誤解や認識のズレが起こり得る状態にあるということである。

まぁ、そのような人が未だに沢山いるというのも、今回のテーマには丁度良い。

私の答えは明確だ。言葉にするというのは、伝える側の最大の責任で、お互いの誤解や認識のズレが起きた際には、如何なる理由があろうとも伝える側に問題があるということである。どんなに受け取り側が、誤解したとしても、どんなに受け取る側の理解力が悪かろうが、伝わらなかったというのは伝える側の問題なのだ。

つまり、言葉にしない、言葉にできないのは、伝えることができないということである。伝えることができない人の考えを、受け取り側が判るはずもなく、それでいて誤解したら受け取り側のせいにされたらたまったもんじゃない。

その伝える側が、組織のリーダーだったらどうなるか。

リーダーの考え、指示が明確でなければ、組織内の人々は、勝ってに、いい加減に受け取り、バラバラに自分の都合の良いように行動してしまうのは仕方ないことである。

私は、『言動と行動』の中で、『心に思っていても、言わなければ思っていないのと同じ。』だと言った。これは、考えているだけで行動しないのと同じことなのである。考えていたり、心に思っていても、口にするという行動ができない人は、簡単に言えば結果が出せない人なのである。

行動ができず結果が出せるはずがない。口にするという行動ができないような人がリーダーで、その部下がリーダーの意向に沿った行動ができるはずがない。行動できない、結果が出せないリーダーの元では、組織も行動できず、結果も出せないのである。

「そんなこと言わなくても判るだろう」という考え方を持っている人も同様である。私は、『しつこいくらい判り易く細かく指導する』の中で、『そんなことは言わなくても判るだろうというような考え方は捨て、当たり前のことを言うようにすることにした。』も書いた。

なぜなら、「そんなこと言わなくても判るだろう」という考えているリーダーの部下が、言われても判るほどに育っていると思えないからである。もし、仮に、言わなくても判ると思うような有能な部下がいるとしたら、一刻も早く、明確な考えを言葉で示すリーダーの元に移すべきである。そうすれば、その部下は、もっともっとリーダーの意向をくみ取り、確実に結果を出してくれるだろう。

そして同時にそれでも「そんなこと言わなくても判るだろう」とリーダーが言い続けるのなら、その人間を「そんなこと言わなくても判るだろう」と口にできない、行動できない、結果が出せない無能なリーダーの部下にして、そのリーダーの意向に沿った結果を出してもらおうじゃないか。但し、決して、自分勝ってな行動は認めないという条件付きだ。

リーダーにとって言葉を発するという行為は、リーダーがその組織のリーダーであるべきことを示す日常的な行為である。特別なことではない。特別なスキルでもない。リーダーが行わなければならない日常的な行為なのである。

「細かく言わなければ判らない」のかと考えるのではなく、細かく言わなければならないのがリーダーの仕事なのである。判らないのではなく、判らせるのがリーダーの責任なのだ。判らないでは済まされないのが、リーダーの役目なのだ。

言われなくても判るだろうでは判らないのだ。

判らないのが悪いのではなく、判らせることができないのが悪いのだ。

私の組織には、「そんなこと言わなくても判るだろう」と考えるような無能な人をリーダーにするつもりはない。それは、部下のためだからである。部下を無能なリーダーの下で、不幸にさせたくないからである。

もし、そのような人が、「言われなくては判らない」と自分の無能さに気付いていないのなら、私が明確に言ってあげよう。それが私の仕事だから。

言われなくても判るだろうでは判らないのだから仕方ない。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年12月 1日 05:42