『20代は出る杭になる。30代は出る杭を伸ばす。40代は出る杭に出会う。50代は出る杭を愛す。私は、出る杭が大好きだ。私は、出ない杭を打つ。弱い者いじめではなく、出る杭になれるだろう人間に対し、出る杭になってほしいと願いを込めて打つ。出る杭になれそうもなければ、打つ意味はない。』とは、『出る杭を愛す』で書いた一文である。
ところで、"出る杭は打たれる"という意味はどんな意味だろうか。辞書には『頭角を現す者はとかく他の人から憎まれ邪魔をされる。』とある。
他の人より目立っていたり優れたりしていると、憎まれたり邪魔をされたりするから、あまりでしゃばらないほうが良いというような使い方をする。つまり、出る杭にならないようにしたほうが良いという場合に使われる。
この2週間、ベトナム、タイ、ミャンマーと周ってみて、日本人の和を尊ぶという考え方を改めて知った。
経営者として、和を乱すよりは、和を尊んでくれたほうが良いに決まっている。
例えばベトナムでは、年功序列、上下関係という考え方がとても厳しく残っている。これは会社の中でも同様で、1歳違いでも、1年違いの入社でも先輩後輩というのがある。かつての日本を見ているようだ。
また、私のような経営者とは、共産圏特有の集団・団体で交渉しようという姿勢が強い。そのようなところを見ると、和を重視しているかのように思えるが、実は表向きと内情は違う。
若い人の中には、古い年功序列の考えに納得行かず、実力主義を唱えようとするものが以外に多い。しかし、そのまま表現しては、上から潰されたり、いじめに遭うから、私に匿名でメールを送ったり、裏工作をしようと試みる。出る杭にならないようにしようとするのだ。
しかし、日本人の和を尊ぶと言う考え方は、精神的なものであるのに対し、ベトナム人は形式的である。自分にとって都合が良い時にのみ皆と合わせるというほうが正しいだろう。
しかも出る杭にならないようにしようというのも、他の人より目立っていたり優れたりしていると、憎まれたり邪魔をされたりするから目立たないようにするのではなく、単に潰されたくないから隠れて行うという感じだ。優れているから打たれるのではなく、年上を敬わないから潰されるのである。
さらに、日本人よりも個人意識は強く感じる。よく言われることだが、ベトナム人は、自分が苦労して得た情報やノウハウを簡単には他人に教えようとしない。自分が苦労したのだから、他人も苦労して得たらよいという考え方があるのだ。
だから、仕事の引継ぎはとても難しい。退職する側は、できるだけ引き継がないようにする。考えてみれば、辞めて行く側の人間にとって、正確に丁寧に引き継ぎをしても何の得にもならないと思えるのであろう。既に退職してしまった人に、後から過去の状況を聞こうと協力を依頼すると、人によってはお金を要求してくる者さえいる。
私は、この考え方は、日本人には理解できないかも知れないが、深く考えてみれば、理に適っている。ある意味で、世界中で、個人主義や自分中心主義を否定するのは日本人だけなのかも知れないと思える。
仏教信仰の厚いタイでも同じだ。できるだけ他人とは同じに見られたくないという発想があるそうだ。そのため、中学校には、ゲイ専用のトイレが設置され、堂々と認知されているである。
飛行機の中で、雑誌を読んでいたら、アメリカ人は、日本人よりも出る杭をもっと打つとあった。元々アメリカ人は、他人と同じ色に染まらないという思想があり、個性を出そうとする。でしゃばってこそ何ぼのものだ。そのような風潮の中では、当然、個人の競争意識は日本人よりも遥かに強い。
和がどうだこうだ何て二の次、三の次。出る杭を叩きのめしてこそ、自分の個性が発揮できるというものである。
日本では、出る杭は打たれるというのは、打たれないようにしたほうが良いという意味で、出ようとする人を出さないように使われる。
出る杭を打つというのは、日本でもベトナムでもアメリカでも同じ。しかし、打たれても打たれても、出ようとする者が良しとされる考え方は日本にはない。
日本人は、個性よりも集団という考え方が、すなわち和を尊ぶということになるのであろう。
私は、経営者として、和を乱すような行為を放置することはできない。チームワークという組織力を活かさなければ、会社である必要ないのだ。
それは、野球の発祥地であるアメリカでも一緒であろう。チームが勝たなければ意味がない。チームが勝つことが第一であることに違いはないはず。
しかし、アメリカには、チームが勝つために、自分を犠牲にして、自分の個性を殺してまでバントするようなことはあまりない。それは、その行為がチームが勝っても自分の評価に繋がり難いからである。
一方日本では、高校野球に代表されるように、バント、バントで塁を進め、貴重な一点のために、チームが一丸になろうとする。監督の頭にあるのは、塁を進め、僅かなチャンスで、ヒットが出ることである。
私は、こうして海外にいると、もし自分が野球の監督だったら、バントを優先するかどうかまだ答えが出来ていない。
しかし、一つだけ明確なことは、冒頭に書いた、私は出る杭が大好きだということである。
そして、このブログの読者であるリーダーを目指す人であるならば、出る杭にならなければならないであろう。どんなに叩かれても叩かれても、出る杭になって、出ることができない杭を引っ張るのだ。
そして私は、もしそのような出る杭になろうとする人が表れたら、誰よりも強く打つようにしよう。打って、打って、それでも私についてこれるか。
これが私の出る杭の愛し方だ。出る杭の伸ばし方である。
出る杭が打たれて潰れているようでは、リーダーとしては使い物にならない。ましてや、それ以上打たないでくれと弱音を言っているようでも強いリーダーになれるはずがない。
私は、打たれても打たれても、出ようとする杭を歓迎する。憎まれたり邪魔をされたりするから、あまりでしゃばらないほうが良い考えているような人がリーダーになったら、きっと出る杭が出ないようにしてしまうだろう。それは、リーダーとしてあるまじき行為である。
リーダーは、将来リーダーになり得る人に、ただ優しく手を差し伸べるのではなく、困難から乗り越えることができるような人に育てることである。なぜなら、組織が困難に直面したとき、誰よりも先頭に立って、乗り越える意思を皆に見せなければならないからである。
だから私は出る杭をもっと打つ。困難に立ち向かってくれと、思いを込めて打つ。
こうして、今年最後の海外出張を終える。来年も様々な国から日本を見つめ直してみたい。日本のために。良いものは残し、悪いものは直したら良い。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年12月17日 05:49