【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 3日 『 左手と右手は、矛盾だらけだが、決して片方が無くなっても良いと言うものではない。矛盾の両輪は、私の目指すところ。』


若者について  「活・喝・勝」


追い求め続けるためにリスクを取る

『若者の特権は、怖いものを知らないことにある。怖いものを知らないから、冒険をすることもでき、自分を試すこともできる。恐れをしならいということは、最高の宝のはずである。時に、挑戦心は経験を上回り、非常識が常識を超える斬新な発想となったりする。』とは、『リスクとリターンのどちらを取る』の中の一文である。

今から5年前に書いたこの文は、私がこのブログで初めてリスクを取らない若者を批判した内容だ。以後、リスクを取らないことへの不満について、私は26回も書いた。これが27度目である。

若者の魅力は、恐れを知らないことだ。恐れを知らないということは、リスクを知らないことでもある。リスクを知らないから、恐れを知らないのである。これは、ヨチヨチ歩きの赤ちゃんが、熱い鍋の怖さを知らないで、沸騰している鍋に近づくのと同じである。

しかし、このブログを読んでいるのは、ヨチヨチ歩きの赤ちゃんではない。

リーダーを目指そうとしている若者のはず。

それならば、例え熱い鍋の怖さを知らないとしても、鍋に近づいてほしい。近づかずして、経験者から「危険だ」と言われたくらいで、鍋の熱さを知ったかのような頭でっかちになってほしくない。

熱い鍋の怖さを知らないからこそ、自ら熱いという経験をするべきなのだ。

だが私が言うリスクを取らない人というのは、リスクを知らない人のことではない。起こりえるリスクを知った上で、そのリスクよりリターンを求めて立ち向かう勇気を持ってほしいのである。

熱い鍋のリスクを知らないで鍋に近づくのと、熱い鍋のリスクを知った上で、鍋に近づくのとでは全く意味が違う。

私が若者に期待することは、二つ。リスクを知らなくてもリスクに向かう、もう一つは、リスクを知った上でリスクに向かうことである。

中でも、リスクを知った上でリスクに向かうことができる人は、若者でなくてはできない。リスクを知れば知るほど、リスクを経験すればするほど、臆病になり、挑戦心が失われるからである。

年を取るたびに、その可能性は高まる。だから、一般的に、年が若いほど、リスクに向かえる可能性があるのだ。だがしかし、私が言う若者とは、年齢が若い人のことではない。精神的にタフで、向上心がり、挑戦心がある人のことである。

私が最も懸念しているのは、年齢が若いにも関わらず、リスクを取ることができない、若年寄りの存在が増えていることである。若い人の安定志向の強まりとも言えよう。

ただ、社会的背景から考えて、そのような人が増えることは否定しない。私が残念でならないのは、リーダーを目指すこのブログを読む若い人の中に、リスクを取ることができない人がいることである。

"成功には原則があった"の『7つの習慣』を書いたスティーブン・R・コヴィーは、"最大のリスクは、リスクのない人生を送るリスクである"と述べた。

ビル・ゲイツも同様な意味の"リスクを負わないのがリスクだ"と言っている。

私も同様に、リスクを負うことが成功の原則だと思ってる。

私が考える成功とは、失敗を繰り返しても、成功することを追い求め、例え一瞬成功したとして、それでもさらに成功することを追い求めることだと考えている。端的に言えば、成功に終わりはなく、追い求めることと言えよう。

すなわち、追い求め続けることである。失敗しても、成功しても、転んでも、現状に満足せず、追い求め続けることである。その追い求め続けるには、リスクを恐れていては、リスク回避ばかり考えていては、リスクを取らないでいては、絶対に追い続け続けることはできない。

追い求め、続けること。一回だけ追い求め、そこで満足して、それを成功だと甘んじているようでは、さらなる成功は得られない。それは現状に満足した瞬間から、それより高いものを得るためのリスクを取ることができないからである。続ける、追い求め続けるということに意味があるのである。

成功する人、成功した人は、現時点で、自分がそれを成功だとは思っていないはず。それは、ビル・ゲイツが言うように、リスクを負わなくなるのが、成功よりもリスクであることを知っているからである。成功者にとって、リスクを負わないことが、成功者でなくなることを自覚しているからであろう。

そういう私は、もちろん成功者ではない。失敗者である。何度も何度も失敗した。だが、私は、それでも成功を夢見て、終わりのない成功を追い求め続ける。そして、私は、そんな成功することよりも、もっと大切なことは、年齢の壁を越え、いつまでもリスクを取り続けるリーダーであり続けたいと言うことである。

もし、私がリスクを取れなくなったなら、それは私が精神的に年老いた証拠であり、同時にそれはリーダーから外れる時である。

40代後半に差し掛かり、その日が訪れる日が近づいているのを体で感じながら、気持ちだけは何とか跳ね返そうと必死でもがいている。だからこそ、年齢が若い、本当の若者には、年齢が若いうちに、リスクを取り続けるリーダーになってほしいと願うのである。

このブログは、"確率より可能性で選ぶリーダーに"である。

確率で選ぶとは、上手く行く確率を考え、失敗しない確率を選択するということ。それに対し、可能性で選ぶとは、少ない可能性でも上手く方法を考え、例え失敗する可能性が高くても、成功する可能性があるのなら、それにチャレンジするということだ。

このように書くと、失敗しない確率よりも、例え失敗する可能性が高くてもそちらを選ぶと言うのは、チャレンジャー、あるいはギャンブラーのように映るかも知れない。

だから、リスクを取るということ理解されないのかも知れない。もっと言えば、起こりえるリスクを排除することのほうが遥かに有能だと思われるのであろう。

私は、それを否定しない。リスクを排除するという考え方は、とても重要な考え方で、起こりえる問題点を把握し、対処を考えるということはリーダーにとって必要なことだからである。

だが、誤解してほしくない。リスクを排除しつつも、リスクが高く、すなわちリターンの高いものを追い求めることは、リーダーだからこそ立ち向かわなければならないことなのである。リスクを回避するななどいうことを言っているのではない。高いリターンのためには、高いリスクを覚悟しろということだ。

高いリターンを期待しながら、低いリスクを考えるのは甘い。低いリターンを考えた上で、低いリスクに抑えるのであれば何ら問題ないが、その矛盾から逃げてはならない。

私は、それでもリスクを歓迎する。

私は、終わりのない成功を追い求め続け、それに伴う様々なリスクと戦い、勝ち続ける。決して逃げない。来たれリスクよ、我は負けない。

私にとって、リスクとは、人生の肥やしだ。リスクがなければ挑戦する意味がない。リスクへ立ち向かうものこそが若者だ。

リスクから逃げのは、若者ではない。若きリーダーなら、リスクに立ち向かえ。それができないのであれば、若者ではない。

追い求め続けるためには、リスクを取れ。リスクを取れなければ、追い求める資格も、可能性も、何もない。リーダーにとって、リスクを取ることが、リーダーの力量そのものなのだ。

私は、追い求め続けるためにリスクを取る。

それができなくなったら、とっとと引退だ。そんな平凡な人間は、組織のリーダーとして、必要とされないからである。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2009年12月27日 05:53