『社長業という職業は、一言で言えば、人気商売である。社長に対する、信頼や人柄が重要なのである。勿論、経営手法や行動も重要であるが、人間性が伴わなければ、同じ行動でも結果が違ってくる。』は、私が初めて"社長は人気商売"と言った『感情と感性』の中の一文である。
それ以来、私は『クジャクとクラス』の中でも『リーダーは有能だけでもダメだし、人が良いだけでもダメだ。人気すなわち、信望が厚くなければダメである。だからと言って、部下のご機嫌を取るのもダメだし、部下の顔色を見ているようでもダメだ。』とリーダー業も人気商売であることを書いた。
さらに、『従業員の支持率』の中では『社内であれ、社外であれ、人気がない人は経営者には向かない。これは性格がどうだとか、考え方がどうだとかというのではなく、その人に対する総合評価なのである。自分の従業員から、自分に対する支持率を胸に当てて聞いて見るが良い。』と経営者は人気商売であることを述べた。
最近では、『経営者は、人気商売である。社内だけでなく、社外からも慕われる、好かれる人でなくては絶対に経営は上手く行かない。』と『経営と欲情の作法』の中でも繰り返し書いている。
このように、これまで私は、経営者や、リーダーや社長というのは、人気商売であることを主張してきた。
その最大の理由は、二つある。
一つは、人の上に立つものは、人から好かれる存在でなければならこと。
もう一つは、その逆に、人気商売ではあるが、人気取りになるなということを伝えたいからである。
そもそも人気商売というのは、人気を得ることで成り立つ職業のことで、芸能人やプロスポーツ選手などである。
では、社長やリーダーがなぜ人気商売なのか。
芸能人やプロスポーツ選手は、他とは違う技能や能力、優れたパフォーマンスなどの実力を有している。お笑い芸人にしても、ロック歌手や、アイドルであっても、並以下では人気がでない。並以上の特別な輝きを持っているから、そこにファンができる。
そのファンは、自分の夢を代わりに実現してくれる人だと信じている。
プロスポーツ選手でも、顔やスタイルが良いだけでは人気がでない。実力が伴い、次々に勝ち抜く姿をみて、もっと強くなることを期待し、応援する。これも、ファン自身がフィールドに出て戦うことができないことを、代わりに実現してあげることで、ファンと一体となるのである。
このように、人気商売の共通点は、実力があるということである。
その世界で、他にはない魅力を持ち、憧れの対象となることである。
従って、社長やリーダーも、実力があり、他にはない魅力を持ち、憧れの対象となる存在でなければならないのである。
もし、実力がなく、魅力もなく、憧れの対象となりえない人が、人の上に立って、人をリードすることなどできやしないであろう。つまり、人気がない人は、人の上に立つ存在ではないということなのである。
政治家でも同じだ。
実力があり、他にはない魅力を持ち、憧れの対象となる存在で、国民から人気がなければトップにはなりえないであろう。特に、選挙という競争においては、政策だけでなく、人々を引き寄せる魅力がなければ、決して勝ち残れない。
社長やリーダーも同じである。実際には選挙こそないものの、仮に選挙をしたとしても、その組織の人々から代表に相応しい人として選ばれるようでなければならないのである。人々が、自分たちの夢や生活をその人に託すことができる人でなければならないのである。
だから、社長やリーダーは、人気商売だと言うのだ。
しかし、だからと言って、人気取りのためのおべっかを使うようでは最低である。『嫌われたくない症候群』ではダメなのである。
社長やリーダーが、芸能人やプロスポーツ選手と同じ人気商売でありながら、最も異なる点は、好かれようとすることが目的ではなく、嫌われるのを覚悟の上で、組織を統制するために厳しいことを言い、時には誰よりも厳しく叱ることができるようではなくてはならないのである。
つまり、人気商売であるが、好かれることを目的としてはならない立場なのである。これが、同じ人気商売である芸能人やプロスポーツ選手と最も異なる点なのだ。
社長やリーダーが、芸能人やプロスポーツ選手と同様に、できるだけ嫌われないように嫌われないようにしているようでは、組織を統制することはできない。
ご機嫌を伺い、心地よい話ばかりしているようでは、誰も、そのリーダーのリーダーシップを感じることはできないであろう。
嫌われたくない人間は好かれない、これがリーダーである。嫌われることを進んで行い、それでも好かれなければならないのがリーダーなのだ。こんな矛盾に満ちた立場こそリーダーなのだ。
嫌われたくない人は、リーダーにはなれない。
好かれない人もリーダーになれない。
厳しくて、怖くて、嫌がられるようではリーダー失格なのである。
一方、お人好しで、八方美人で、人の顔色ばかり覗って嫌われないようにしているようでは、これまたリーダー失格なのである。
両方をクリアーしなければならない立場、それが芸能人やプロスポーツ選手と違うところなのだ。
それが、人の上に立つという厳しい使命を背負うことなのである。
それが、出来ないようではリーダーではないのである。
その好かれること、嫌われることの、両方を求められるのがリーダーなのである。
ということを前提に、敢えて、どちらか一方が優れているほうをどうしても、片方だけを選択しなければならないとしたら、私なら、こう答えるだろう。
人から好かれる人を選ぶ。
但し、条件は、その対象となる人の中で、最も好かれる人でなくてはならない。なぜなら、誰よりも好かれるということは、それ自体が能力であり、持って生まれた素質だからである。
その素質を持った人が、もう片方の嫌われても良いという覚悟を持つことは、本人の意思で如何様にもなるからである。
もし、その逆に、誰よりも厳しいことを言って、嫌われ役を買って出たとしても、本人の意思で、好かれるということを勝ち取るのは極めて困難だからである。
論理的に考えて見れば簡単だ。好かれるということは、他人マターだ。自分ではどうしようもない他人が決めることなのだ。それに対し、嫌われる覚悟というのは、自分自身の問題だ。
嫌われても良い覚悟を持って、厳しいことを言うのは出来ても、それでもその厳しさを理解してもらうには、好かれていなければ成り立たないのである。
それは、最も人間的に近い関係の親子を考えてみれば、判るだろう。
厳しい親であることは、躾をする上で、必須である。自分の子供がわがまま放題にならないように、厳しく躾をするだろう。その厳しさに耐えることができるのは、子が親を愛し、親の愛情を認識し、親に従おうとするからである。
子が親の愛情を理解できなければ、反発する。親の言うことが、親の行動や親の言動を見て、子に接することと反しているようでは、誰が親の言うことを聞こうか。血が繋がっている親でも、親ができないことを子が受け入れるはずもない。
つまり、親子と同様に、親は子から信頼を勝ち取っていなければ、どんなに厳しいことを言っても反発するだけなのである。子を愛し、子から愛される親でなければ、厳しい躾はできないということなのだ。親の都合で叱るのではなく、子を愛するから子のためを持って叱らなければ理解されないのだ。
簡単な理屈だ。
実力が伴い、好かれていなければ、その人の厳しい考えには誰もついて行けないのである。その人の考え方が、論理的に正しくても、感情がそれを受け入れなければ、結果として支持されないのである。
私は、誰よりも、部下に厳しく在りたいと思っている。嫌われても良いと思っている。
だが、その分の愛情は誰よりも注ぐつもりである。
かつ、おべっかは使わないつもりである。
そんなに簡単なことではない。
親子と同じように、真剣勝負でなければならないからである。
その上で、人気商売であることを理解しなければならないのである。それが社長やリーダーに求められることだから。
だが、最後にもう一度だけ繰り返す。
嫌われることの、両方を求められるのがリーダーなのである。それを敢えて、どちらか一方が優れているほうをどうしても、片方だけを選択しなければならないとしても、私なら、人から好かれる人を選ぶのではなく、最後の最後まで両方ができる人を選びたい。
人から好かれる人を選ぶという選択は、私にとって究極の選択であり、そのようなことがあってはならないと思っているである。
だから、人から好かれれば良いと思ってほしくないのである。
それが私の人気商売である考え方の答えだ。
はっきりしていることは、社長やリーダーは人気商売であるということである。これは、私が選択するとかしないとかは関係ない。
選ばれることである。
私が最も好かれる人、選ばれる人というのは、自分の年よりも若い人から好かれ、かつ、自分よりも年上の人から好かれる人である。片方ではダメだ。
中でも、年上の人から好かれる人は、年下から好かれるよりも、その才覚は上ではないだろうか。どうだろう。
いずれにしても、人気がなければリーダーにはなれないのである。それは、簡単なことではないのである。
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投稿者 :堀田信弘: 2009年12月29日 05:54