努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する。それが真のよいものである。幸運を呼ぶ人は、失敗の原因を常に自分に帰すが、不幸を呼ぶ人は、失敗の原因を常に周りのせいにする。これは、幸田露伴の『努力論』の有名な一節だ。努力することを、何とか努力してやろうとしても、その程度... (⇒続きはこちらから)
難題の無い人生は"無難"な人生。 難題の有る人生は"有難い"人生。 とは、今話題の筆談ホステス、斉藤里恵さんの言葉だ。なるほど、と思わせる深い言葉である。世の中には、何もない無難な人生さえも送ることが困難な人が沢山いる。しかし、考えてみれば、何もない無難な人生が、有意義な人生かと言えばそう... (⇒続きはこちらから)
私がこのブログで最初に井の中の蛙という言葉を用いたのは、2005年4月の『ナシュナル化とグローバル化』の中である。私はその中で『井の中の蛙とも言うべき、ナンバーワン戦略の浸透は問題である。この県でナンバーワンとか、この町で一位とかという経営思想は、社員に誤った認識を生むことになる。グロー... (⇒続きはこちらから)
今から12年前の1998年2月、長野で冬季オリンピックが開催された。それからさらに12年前の1986年4月、チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した。私が社会人になった年だ。私の父は、寅年生まれ。生きていれば、今年で72才になる。父が亡くなって、今日で14年が経った。父は、満60才の寅年を迎えることな... (⇒続きはこちらから)
私は、これまでに何千人もの経営者や政治家、若者と出会ってきた。これからも、私にとって、出会いは、経営をする上での、あるいは私の人生の最も大きなウェートを占めると言っても良いことであろう。このブログを書き始めてから思い出に残る出会いは、数々あった。ブログを通じて出会った人も沢山いた。ベトナムの... (⇒続きはこちらから)
実現したいと願う最善の目標あるいは状態のことを理想という。だから、理想は夢ではない。現実の先にある、目指すべき現実的で実現したい姿である。理想が高いというのは、現実よりも高い地点を求めているということである。だから本来、他人から見て、高いだ低いだと言われる筋合いのものではない。他人から見て高... (⇒続きはこちらから)
1,000人以上もの死を見届けた終末期医療の専門家が書いた「死ぬときに後悔すること25」には、人が死を感じた時に、何を後悔するかについて、代表的な25の例が書かれている。25のうち、あることをしたために後悔するのは4つしかない。悪事に手を染めてしまった、感情に振り回された一生を過ごしてしまった、自分... (⇒続きはこちらから)
『石橋を叩いて渡らないような情けないリーダーは、決して火中に飛び込もうとしない。自分に災いがふりかかるのを恐れているからだ。私は、この考えが大嫌いだ。』とは、私が書いた『火中の栗を拾う』の一文である。進んで火中の栗を拾わなければならない立場にあるのがリーダーである。しかし、実際には、火中の栗... (⇒続きはこちらから)
私は『知識・知恵・予知』の中で、『知恵、これは実業でしか生まれない。過去の例題を知り集めて、知識として蓄えているだけでは、何の説得力も、実現性もない。なぜなら、同じ経験、同じ環境、同じ事象などありえないのであって、頭の中にある知識だけでは、体を動かして得た知恵には到底及ばない。』と述べた。... (⇒続きはこちらから)
リーダーが正々堂々としなければ、公明正大な経営などできやしない。リーダーは、部下を率いる人なのだ。だから私は、中間管理職という言葉が嫌いだ。中間という意味が曖昧性を持たせるからである、誤解を生むからである。中間とは、何と何の中間なのか。それをどれほどまでに理解して、中間という言葉を使用して... (⇒続きはこちらから)
否定をするということは、拒否をすること、受け入れないこと、認めないことである。否定をするということは、否定をする材料がないと否定できない。材料は、否定をする人が用意したものではないことは明白だ。自分は、肯定するか、否定するかの選択をするのみで、自分から材料を出したのではないのである。アメリカの... (⇒続きはこちらから)
先日書いた『内弁慶に外地蔵』について、社員と思われる人から匿名のメールが届いた。『社長は、"内弁慶に外地蔵というようなリーダーは、リーダー失格という次元ではなく、人の上に立つ人間としてあってはならないのである。"と言いますが、そのような人を管理職や経営者に任命するのは、社長の責任でもあると思... (⇒続きはこちらから)
先月、札幌市円山動物園のボスとして君臨していた雄のニホンザル「ナカボス」が死んだそうだ。ナカボスは、奈良県で保護されて円山動物園に来た。外では全く目立たなかくおとなしいものの、地下のねぐらでは肩をいからせて威勢よく歩き回ることから、「屋内のボス=ナカボス」と名付けられたそうだ。私に対しては... (⇒続きはこちらから)
儒学の中の基本的な概念に中庸という考え方がある。私はかつて、『中庸という生き方』の中で、『私のポリシーは、中庸という生き方だ。それは、右でもなければ左でもない。上でもなければ下でもなく、思想や宗教、政党などによる大きな塊からなる考え方に、自分の考えを左右されたくない』と書いた。私は、儒学を... (⇒続きはこちらから)
人口は約520万人で日本の約25分の1。国土の1/4が北極圏内にあり、夏は「白夜」となる。それがフィンランドだ。フィンランドは、世界トップレベルの高福祉社会、そして国際競争力世界一、先端技術世界一、政治的清廉潔白度世界一など、小国ながら様々面で世界から高く評価を受けている。全世界の携帯電話市場... (⇒続きはこちらから)
2004年から始めたこのブログも、6年目の2010年を迎えた。ブログを書き始めてから初めて迎えた2005年の元旦、私は、『私の目指す組織』の中で、『今年の年賀状は昨年の4分の1に減った。その減った大半は、元部下からのものだ。昨年は独立する前で、複数の本部長を兼務していたこともあって部下が150人近くも... (⇒続きはこちらから)