【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 3日 『 左手と右手は、矛盾だらけだが、決して片方が無くなっても良いと言うものではない。矛盾の両輪は、私の目指すところ。』


教育について  「活・喝・勝」


企業内教育について

人口は約520万人で日本の約25分の1。国土の1/4が北極圏内にあり、夏は「白夜」となる。それがフィンランドだ。

フィンランドは、世界トップレベルの高福祉社会、そして国際競争力世界一、先端技術世界一、政治的清廉潔白度世界一など、小国ながら様々面で世界から高く評価を受けている。全世界の携帯電話市場の3割以上を占め、世界最大の携帯電話端末メーカーであるノキアは、フィンランドを代表する企業だ。

国土の約7割が森林、1割が湖沼と言われるこの国が、なぜこれほどまでに世界のトップレベルになることができるのか。

その謎を解く鍵は、教育である。

フィンランドの教育レベルは、これまた世界一。

経済協力開発機構(OECD)が世界41カ国の約27万人の15歳を対象に実施した学習到達度調査によると、数学・科学の応用力・読解力・問題解決能力の4分野において、フィンランドがトップクラスの成績を収めた。

フィンランド語は、世界でも最も難しい言語らしい。そのためか、フィンランド人は、元々とても知能が高いと言われている。そして、何と言っても教育制度が優れているのが特徴だそうだ。

フィンランドの授業日数は、日本よりも40日も少ない年間190日で、世界で最も授業時間が少ない。それなのに、日本のように塾に行ったりはしていない。

特徴的なことは、1クラスの人数が15人ほどと、少人数制をとっており、その数の少なさも世界トップレベルである。つまり、少ない人数で学んだほうが、多くの学ぶ機会が得られるという訳だ。

もっと驚くことは、16歳になるまでは、成績表もなく、他人と比較するためのテストを行わないとのこと。つまり、子供を成績で区別するということを否定しているのである。

日本はどうか。

日本の子供たちの学力が年々低下していると言われて久しい。

日本も戦後の復興を成し遂げ、世界トップレベルの経済大国になったのは、フィンランドと同様に教育レベルの高さであったと言われている。

つまり、教育にて人材育成を行い、有能な人材が富を生み、社会を豊かさにし、成長させるのである。

ちなみに、学力が低下していると言われている日本だが、フィンランドのような小国を除いた、人口一億人以上の国では、依然として世界一の教育水準であることは揺るいでいない。

私は、教育者ではないが、教育一家に生まれ、育った。だから教育に関する関心度は高い。

このように国における教育の大切さというのを理解した上で、このことは、企業にどう活かせるであろうか。

企業も国と同じく、人材が全てである。有能な人材が富を生み、会社を豊かさにし、成長させるのである。

それにしても、少人数制を取ることで、授業時間が少なくてもしっかりと学べるという制度は素晴らしい。この考え方は、企業内でも取り入れられるかも知れない。

例えば、会議。

大人数で行う会議は、少ない人数で行うよりも必然的に参加意識が低くなる。発言の機会も、発言している人への関心度も下がるはず。もし、1対1の二人だけの打ち合わせなら、誤解があってもその場で訂正ができるが、人数が多くなればなるほど、どれだけ理解されているのか把握できなくなる。

あるいは、チーム編成にも適用できそうだ。

一つの事業であっても、できるだけ細かいチームに編成し、チームリーダーという責任者を置き、チーム単位での活動を行う。チームへの帰属意識を高め、チーム間で競わせることで、チーム員として参加意識を持たせる。

できるだけ小さなチームにできればできるほど、その効果は高いはず。

特に、営業職のような俗人的で、個人志向が強い業務ほど、チーム化する意味があるであろう。単なる個人の集まりに過ぎない集団を、どうのようにチーム編成をしたら良いかを考えるだけでも、個人の総和以上の結果が出せるはずである。

企業における教育とは、机の前に座って行うものではない。

単に技術を習得したり、個々のスキルを上げるだけが教育ではない。

個々のスキルアップを、自ら進んで行うようにするのが、教育だ。教育の機会を与えるのも重要だが、自分ために自らが教育訓練を行おうとする考え方を持たせるための教育のほうが遥かに重要である。

フィンランドの素晴らしいことは、単に学校任せにしていないことでもある。学校での授業時間が少ないということは、課外活動時間がたっぷりあるということでもある。

自宅での時間にも余裕があるということである。

その時間をどう活用するかどうかは、まさに個々に任されているのだ。

日本では、教育を受ける権利を主張し、学校にその全てを丸投げしてしまう。教育するのは学校であって、親や家庭は、学校に要求する。学校の勉強だけでは不足すると、次は塾に丸投げしてしまう。塾に通わせることが親の仕事だと思っている。

企業においても、従業員のなかには、教育を施すのは会社の仕事だと考えていることが多い。仕事で必要なスキルは、会社が必要に応じて与えるべきだと考えているようだ。用意するのは会社だと。

特に、これから入社しようとする新卒者などは、教育制度の充実度が企業を選ぶ基準になっていたりする。つまり、与えられなければできないと考えている訳だ。

終身雇用時代の会社では、それでも良かろう。しかし、現代は、会社のためにスキルを磨くのではなく、自分のためにスキルを磨くのである。そして、会社は、自らスキルを伸ばす人を求め、そのような人には多くのチャンスを与えるのである。

私は、教育は与えられるもの、与えるものという考え方を完全に否定する。

教育を受ける権利があるのではなく、教育を受けるのは義務だ。そして、大人は子供に、教育を受けさせる義務を負っているのだ。

例え与えたとしても、自ら進んで欲していなければ、決して身に付かないであろう。親であるならば、「勉強しろ」と叱っているだけでなく、どのようにしたら進んで勉強するのかを考えてあげなければならないであろう。

ましてや、私のような勉強嫌いの子供なら、どんなに無理やり詰め込んでも、将来何の役にも立たないであろう。しかし、だからと言って、放っておいては、単なる放任主義であり、教育を受けさせる義務を放棄していることになる。

これと同じようなことは、管理職教育にも言える。

私は、このブログを通じて、管理職として必要な考え方、行動などを何度も述べてきた。

例えば、『体を休めても決して頭を休めるな』では、『休みを取っても、一瞬たりとも仕事のことが頭から離れるというような考え方の人間では、部下に失礼である。』と言った。

さらに、『私と一緒に海外出張した時にも顕著に表れる。私が必死でメールを見ようとしているのに、隣で涼しい顔をしている。』のだ。

このように、リーダーとして、管理職としての心得を何度も書いているが、読んでいるのか、読まないのか知らないが、依然としてできない者は、できない。

本人が、自らその立場にいることの認識が薄いのか、それとも私の言うことなどうるさいと思っているのか知らないが、いずれもしても自分から進んで考えるようにならない限り、そのような人物は、管理職から外れてもらう意外にないであろう。

管理職であるならば、言われなくては判らないようでは、管理職になっていてもらう必要もないのである。それが新人教育とは異なるところだ。お願いして管理職になってもらうほど、そんな無駄なことはない。

それを知らせるのが、私流の教育である。

与えるのではなく、強制するのではなく、気づかせるのである。

そして、企業である以上、学校とは違うから、気づかないのをいつまでも待っている訳には行かない。待っていられないということを、教えるしかないのである。

もっと言えば、教えるというよりは、行動で示すと言ったほうが正確かも知れない。

それが私流の教育である。私は、今年、この考え方で、社内教育を見直したい。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年1月 3日 05:44