【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 3日 『 左手と右手は、矛盾だらけだが、決して片方が無くなっても良いと言うものではない。矛盾の両輪は、私の目指すところ。』


悲しい出来事  「活・喝・勝」


批判からは何も生み出せない

否定をするということは、拒否をすること、受け入れないこと、認めないことである。否定をするということは、否定をする材料がないと否定できない。

材料は、否定をする人が用意したものではないことは明白だ。自分は、肯定するか、否定するかの選択をするのみで、自分から材料を出したのではないのである。

アメリカの大統領には、拒否権というのがある。連邦議会の両院を通過した法案に、大統領は拒否権を発動し、法案の内容を再検討するように連邦議会に差し戻すことができるのだ。

大統領は、施政方針演説を通じて、議会に法案を検討させる。その法案が大統領の施政方針に沿っていなければ、議会が提出した法案は行政の責任者である大統領の考えにそぐわないとして拒否される。

つまり、議会は、方針があって、それに従い、案を作成する。大統領は、方針を示している訳だから、その方針通りでなければ、当然拒否することができるという訳である。

大統領にとって、法案が材料である。この材料は、議会が用意する。そして、その材料を肯定するか、否定するかは、大統領のみの権限なのである。

さて、我々は大統領ではない。

一般的な話をしよう。

材料は、否定をする人が用意したものではないことは明白だ。自分は、肯定するか、否定するかの選択をするのみで、自分から材料を出したのではないのである。大統領でもあるまいし、自分で材料を用意したのでもないのに、簡単に拒否するというようなことはないか。

人間は、いつもいつも否定することを繰り返していると、肯定することができなくなるようだ。

とりあえず、否定しておく、というようになる。それは、肯定の案が通ったとしても、自分は否定意見を述べたということであり、すなわち肯定の案は、自分の考えではないということを名言するためだ。

政権でもそうだが、そのようなことを繰り返していると、いざ、材料を出す側に回っても、陳腐な考えしか出せなくなってしまうものだ。

やがて、気づくだろう。

材料を出す側よりも、否定する側にいたほうがどれだけ楽なことかと。

すると、人間は、批評することで、自分の存在意義を表そうとなる。なぜなら、肯定よりも、否定の言葉は、強く、重いからである。言わば、最大の防御は、攻撃ということだ。

つまり、自分を守るために、自分の無能さを隠すために、自分の考えを表に出すよりも、人の考えに否定し、批判することで、攻撃性を増す。あたかも否定する考えが自分の考えのように映るかも知れないが、それは決してその人の考えではなく、あくまでも材料があってからこそできる否定という表現に過ぎない。

私には、理解できないことがある。

私に何を求めているのか。

私に何を期待しているのか。

私にこのブログを書くのを辞めろと言いたいのか。

何を言いたいのかを、教えてほしい。

もう、私の考えに反対であること、受け入れられないことは十分に判った。あなたとは、反論するつもりもないし、私の意見が完璧で正しいことを証明する気力もない。

なぜ、それほどまでにこのブログを読んで、批判し、私を罵倒するのであろう。

私が嫌いなら、このブログを読まなければ良い。それほどまでに気に入らないのに、なぜ、そこまでこのブログを読み続けるのかを教えてほしい。

そして、私を批判するのなら、あなたの書いている内容を読ませてほしい。あなたが日々取り組んでいる内容を教えてほしい。私への批判ではなく、あなたが何をしているのか見せてほしい。

これまでにしよう。

私は、それほどまでに暇ではない。あなたのように、人の内容にコメントを書く暇もなければ、議論するつもりもない。

あなたは、材料を持ち合わせているか。

何の。

こうして、いつもこちらから材料を出さなければ、何も生み出すことはできないであろう。そう、気がついたか。批判からは何も生み出せないのだ。

もし、あなたが私の社員なら、こう言おう。

私は、社員に案を求めない。意見も求めない。

これが答えだ。

厳しいか。

反論したいだろう。

意見を求めない人など許せないと言いたいか。

だが、私は、経営者だ。

現場の考えを日々聞き、様々な考えの中から、判断し、決定するのは、私の仕事だ。決定する際に、皆の意見を聞いているようでは遅いのだ。

私が決定する以前に、社員は材料を提示すべきなのだ。私は、その材料を真剣に精査し、問題点を分析して、その上で、決定を下す。だから、下されてから、意見を取り入れないというのは、あまりにも遅すぎる。それは、材料を提示する現場の義務を果たしていないことではないか。

私は、意見を求めないと言ったが、取り入れないとは言っていない。意見を取り入れのは、当然なことだ。だがしかし、案を提示するのは、私の仕事ではない。私の仕事は、私が決定し、決定したことに対して責任を持つことである。

案を出すのは、私が決定する前にやるのが、現場の責任であろう。現場の問題点を伝え、複数の改善策を提示するのは、現場の責任だ。

私は、否定することを認めない訳ではない。

だが、否定することを仕事にするような人の考えは、その考えの良さに関係なく、自分のことだけを考えた保身行為としか思えない。

批判するのは簡単だ。だが、それを続けていても、決して私を越えられない。批判がどんなに上手になっても、批判からは何も生み出せないのだ。全く何もないところから、何かを生み出す側になってみないか。

それほどまでに言いたいことがあるのなら、私が言う前に、言ってみな。

誰も言い出していないことを、提案してみなよ。

それができないのなら、もうこのブログは読まないほうが良いだろう。お互い、ストレスが溜まるだけだ。

私は、これかも続ける。それは、あなたのように、誰かと戦い、誰かを潰すのが目的ではないから。私は、自分のために続けるのみだ。私は、批判だけをすれば良い立場にない、現実的に行動しなければならないから。

私は、何も生み出さない批判をするのではなく、僅かな成果を生み出す側だから。

批判からは何も生み出せないんだよ。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年1月11日 05:07