私は『知識・知恵・予知』の中で、『知恵、これは実業でしか生まれない。過去の例題を知り集めて、知識として蓄えているだけでは、何の説得力も、実現性もない。なぜなら、同じ経験、同じ環境、同じ事象などありえないのであって、頭の中にある知識だけでは、体を動かして得た知恵には到底及ばない。』と述べた。
当時私は、知識を過去に、知恵を現在、予知を未来にと定義した。
今回、改めて、知識と知恵の違いを考えてみたい。
その前に、『正論はなぜ人を動かさないのか』で『正論は強く、正論には反論させないという勝ち誇った態度が、人を支配し傷つける。もっと簡単に言えば、正論と屁理屈とでは大差がない。何だかんだと当たり障りのない屁理屈を、あたかも筋の通った言い方で、正論化する。』と書いた。
これは、正論というあたかも正しいと思われる知識をかざしても、人は動かないということである。知識ではなく、心からの訴えが、その人に響くようにしなくては、動かないのである。
私がこれから伝えたいことは、頭でっかちで、知識が豊富にあろうが、どんなに正論を言おうが、人は動かないし、そのような状態では知恵が無いということだ。
過去に知った、あるいは人から聞いた、本で読んだ内容というのは、「こうすればこうなる」「そのときはこうなった」など、何と何とがどうなるか、どうなったかという因果関係を、知識という形で頭に入れたものだ。
それに対し、どうすればできるのか、他の組み合わせや可能性はないか、どうしたらできるかを考え出す、見つけ出すことが知恵をつけるということである。
知識は、頭に入れるもの。知恵は、考えたり、行動したりして生み出すもの。知識はインプットで、知恵はアウトプットだ。インプットの知識があっても、知恵というアウトプットを生まなければ、何もない、何もしていないのと変わりない。
つまり、知識があっても、その知識を生かす結果を出さなければ、知恵がないということ。あるいは知識はなくても、動くことで結果を生み出せば、知恵をつけたということだ。
時に、知識は、知恵を出すのに邪魔をすることもある。
なぜなら、知識は、何かを用意するところから始まるからである。本や情報と言った何かに頼るのだ。
『金がないほうが知恵がでる』の中で、『お金がないということは、知恵を生む原動力になる。お金があると、知恵を出す労力を惜しみ、他人のアイデアに乗ろうとする。お金があると、必然的に安易なほうに行ってしまうものである。』と書いた。
会社という組織は、ほんの数人の時であっても、何千人もの大きな会社でも、人もカネもないのは永遠だ。いつでも余っている人は使いものにならず、有り余るカネがあるなら、別の使い道を考えるのが必然だ。
それになのに、いつまで経っても、知恵を出すことができない人は、知識に頼り、カネがない、人が足りないと嘆き、どうしたらできるかという問いに対し、できない理由とする。
そんな人が知恵を出せるはずがない。カネがない、人が足りないと間違っていないごもっともな正論で、できない理由を正当化しようとしても、それでは誰も動かない。
知恵は、考えたり、行動したりして生み出すもの。お金は二の次だ。どうやったらできるかを考え、そして、僅かな一歩でも行動することである。
私は、『どうやったらできるかを考える』の中で、『どうやったらできるかを考えるというのは、楽な選択をしないように妥協を許さない厳しさでもあるのだ。』と述べた。そして、どうやったらできるのかを考えるのは、私のモットーであると宣言した。
楽な選択をするということは、答えが直ぐに導ける方法や、手間が掛からない方法のことを言う。
大体、できない時に問いただすと、決まって、答えが直ぐに導ける方法や、手間が掛からない方法で得られた答えを言う。できることはやったけど、それでもできなかったと、できなかったことを許してほしいと言わんばかりだ。あるいは、自分の知識をフルに発揮し、やるべきことはやったのだから、自分は責任を果たしたとでも言いたいのだろう。
私は決まって言う。
「できないことを証明することは、あらゆる可能性を全て否定することだ。そんなことを証明することは不可能に近い。しかし、できることは、ほんの一つでもできることさえ見つければ、簡単に証明できるのだ。できないとは簡単言うな。出来る方法を考えろ」と。
どんなに正当で正論のできない理由を並べても、できなかったことに変わりは無い。わずか一つのできる方法を見つけるだす知恵を得られなかった無能な人間であることに代わりはない。
無能であるなら、理屈を並べて、正論をこねくり回すな。見苦しい。無能者よ。『出来ない理由を言うな』
どうしたらできるかを考えるのだ。そして、仮にそれが見つからなくても、無能であることを真摯に認め、できない理由を述べるな。
そのようにして、厳しい、難しい選択をする習慣を持つようにしなければ、いつまで経ってもできないことばかりを言う集団になってしまう。知恵を得るとは、それほどまでに厳しいことなのだ。知識を得るのと同列に安易に考えてもらっては困るのだ。
アメリカのマイクロソフトやアップルなどでユニークな事業やソフト、サービスを生み出した社員は、必ずしも大卒や大学院卒者ではなかったそうだ。つまり、学校で学んだ知識からなる学歴は、全く、アイデアという知恵を生み出すには無関係だということ。
知識と知恵とは、別物だということも言えよう。知識は過去で、知恵は現在だと言った。現在は、過去の延長ではあるが、未来の入り口であり、今、これから動こうと行動すれば、どんどん変えることができるものである。
楽なほうを選択せず、難しいかもしれない、手間がかかるかもしれない、時間がかかるかもしれない中に、何らかの可能性を見出すのだ。それが知恵を得るために、最も楽で近道なのである。それをやらずして、未来は開拓できない。
知恵を生み出せ。生み出すために行動せよ。行動するためには、過去の知識にこだわるな。可能性を求めるだ。どうしたらできるかを考えれば、必ずできる方法が見つかるはずだ。後は、それを実現できるために行動するかだけだ。行動しなければ、知恵が付かないということ。
知恵を生み出そうではないか。自らの力で。
私のような才能のない凡才は、豊富な知識もなく、知識を有する力も足りないが、それでも、知恵は、行動するだけで、誰でも得られる可能性が十分にあるのだ。知恵を得るには、余計な知識がない凡才ほど良いのかも知れない。
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投稿者 :堀田信弘: 2010年1月15日 05:09