【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 3日 『 左手と右手は、矛盾だらけだが、決して片方が無くなっても良いと言うものではない。矛盾の両輪は、私の目指すところ。』


リーダーについて  「活・喝・勝」


我関せず火中の栗を拾えないリーダー

『石橋を叩いて渡らないような情けないリーダーは、決して火中に飛び込もうとしない。自分に災いがふりかかるのを恐れているからだ。私は、この考えが大嫌いだ。』とは、私が書いた『火中の栗を拾う』の一文である。

進んで火中の栗を拾わなければならない立場にあるのがリーダーである。しかし、実際には、火中の栗を拾うリーダーは少ない。

火中の栗を拾うとは、辞書によると、他人の利益のためにあぶないことをするとある。つまり、自分のためにではなく、他人のために危険を覚悟の上で、飛び込むことを表しているのだ。

私が言う、進んで火中の栗を拾わなければならない立場にあるのがリーダーだというのは、部下や組織のために、危険を覚悟の上で、飛び込むことを意味している。

だが、気になる点が一点ある。他の辞書と異なって、広辞苑には、他人の利益のために危険をおかして、ばかなめにあうこと、とある。他の辞書にはない"ばかなめにあうこと"というのが付け加えられているのだ。

"ばかなめにあうこと"というのを前提に考えれば、火中の栗を拾うことは、馬鹿げたことだとなる。だから、火中の栗を拾うようなことはしないほうが良いという解釈である。

元々、火中の栗を拾うという言葉は、猿におだてられた猫が、いろりの中の栗を拾って大やけどをしたという寓話から生まれたもの。だから、他人におだてられて、火の中の栗を拾うとすると、ばかなめにあうというのが、本来の意味である。そういう意味で、広辞苑の内容が正しいのであろう。

広辞苑にある"ばかなめにあうこと"ということが、火中の栗を拾うというのは、愚かなことだと理解されているのであろう。

さて、私はここで言葉の意味を論じるつもりはない。

私が言いたいのは、例え愚かだと言われようとも、例えおだてられようとも、部下や組織のため、利益をもたらすために、危険を覚悟の上で、飛び込むことのがリーダーだということが言いたい。

おだてられようが、おだてられまいが、部下や組織のために、そこに栗があるのなら、やけどを覚悟の上で、必死で拾わなければならないのである。

逆に言えば、部下をおだてて、火中の栗を拾わせるようなリーダーであってはならないのである。ならば、愚かと言われようが、おだてられようが、騙されようが、自らが判断して、そこに栗があることを確認できたなら、部下にさせるのではなく、自らが飛び込むべきだ。

ところが日本におけるリーダー像では、親分が自ら飛び込むのではなく、子分が飛び込むのが良しとされる。親分の身代わりになって、子分が火中の栗を拾うほうが勇ましいとされている。

その考えも間違ってはいないであろう。しかし、今の時代、誰が親分の代わりに飛び込む子分がいるであろう。もし、そのような上下関係を求めるのであれば、なお更、子分の代わりに親分が飛ぶ込む姿を見せ、以後、子分が親分の代わりになれるようにしなければならないではないか。

さもなければ、子分が親分の代わりに飛び込む意味はない。しかし、親分にとっては、十分な意味があるのである。

ところが実際には、火中の栗を拾うことは愚かなことだと考え、そして、自分だけはやけどをしないようにしようとするリーダーが増えている。

それは、自分のためになら火中の栗を拾えても、部下のために拾ってやけどをするのは御免だと考えるからである。そのようなリーダーの下で、誰が上司のために火中の栗を拾う部下がいるだろうか。上司におだてられても、そんな上司だけが得するような馬鹿な目にはあいたくあるまい。

そのような光景は、日常的にも見受けられる。

『どこの上司でも皆、報・連・相を求める。しかし、私は、求めるのは間違っていると考えている。報・連・相が上手く行くのは、上司の部下に対する関心がなければあり得ない。報・連・相ができないのは、全ては上司の問題である。』と『愛の反対は無関心』の中で述べた。

つまり、上司のためのするような報・連・相などナンセンスなのだ。そもそも報・連・相は、上司のためでなく、上司も部下も両方のためである。それなのに、報告しろとだけを求め、それに対する関心も示さなければ、報告する意味を感じなくなるであろう。

自分は無視されているのか思うはずだ。

無視と無関心は、リーダーにとって、最大の無責任な行為である。

隣でバタバタしている様子を見ても、報告があるまでできるだけ巻き込まれないようにしようとする。火の粉がわが身に降りかからないように。電話で顧客から叱られている様子が聞こえても、我関せずとばかりに、聞こえないふりをして無視する人がいるのだ。

このように、見えないふり、聞こえないふりなどの我関せずといった無視、無関心をするリーダーは最低の無責任者である。

部下がそのような姿を一度でも目にしたら、逆に上司が困っている様子を見て、助けよう関わろうとするだろうか。上司がそうであるように、当然部下も同じように、自分には厄介な役回りが来ないように、関わらないようにとすることであろう。上司と目を合わせないようにもするだろう。

仕方あるまい。上司がそのように自らの行動を見せて指導しているのだから。我関せずと見えない、聞こえないふりをする上司のことを、誰が助けようと思うか。火だるまになれば良いとさえ思われるに違いない。

少しでも部下が困っているような態度が見受けられたら、部下から来るのを待っているようではダメだ。上司が進んで話をかけ、具体的なアドバイスをして、それ以上悪くならないように手助けしてあげるべきである。我関せずというような態度は、絶対に許されない。

部下のところに顧客がクレームを言いに来ると聞きつけたなら、自ら進んで同席を望み、部下だけに辛い思いにさせないようにしなければダメなんだ。それなのに、「一度は経験したほう良い」と自分の逃げ腰を隠すような屁理屈を言っている我関せず人間は最低である。

私は、進んで火中の栗を拾わなければならない立場にあるのがリーダーであると強く思っている。部下に押し付けようとするのはリーダーではないと。

そして、何よりも、部下に対する関心が強ければならないとも思っている。小さなことでも気に留める関心さがなければ、部下は絶対に上司にも関心を示さない。それどころか、上司を上司と認めず、信用しないであろう。

私は、我関せず火中の栗を拾えない人を、リーダーと認めるわけにはいかない。それが私の責務である。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年1月17日 05:10