【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


求める人材  「活・喝・勝」


理想なき者に実行なし

実現したいと願う最善の目標あるいは状態のことを理想という。だから、理想は夢ではない。現実の先にある、目指すべき現実的で実現したい姿である。

理想が高いというのは、現実よりも高い地点を求めているということである。だから本来、他人から見て、高いだ低いだと言われる筋合いのものではない。

他人から見て高いと思われる理想かどうかは関係ない。理想とは、その人が実現したいと願う最善の目標あるいは状態のことだから、他人の尺度は関係ない。

問題なのは、理想を夢と混同していないかということだ。理想は夢ではなく、実現したいと願う目標なのだ。目標である以上、実現しようと行動できるものでなくてはならないのである。

ただ漠然と、こうなったら良いのになぁと夢を見ているのとは違う。行動が伴わない理想は、理想ではない。夢をより現実的にするために、行動の目標となるのが、当面考えられる実現したい理想なのである。言わば、理想とは、夢の途中経過であって、より現実側に位置する地点なのだ。

私はかつて『理想と現実』の中で、『現実を常に意識し、理想を追う。理想を求めながら、現実的な課題を一歩づつ克服する。これが経営だ。』と書いた。

私は当時、何人かの政治家と会い、理想よりも現実に軸足を置く政治家の姿に失望した。政治は理想を追うものというのは、掛け声だけで、実際には理想を追う姿など微塵も無かった。言葉とは裏腹に、現実ばかりに目をやり、真剣に理想のための疾走する政治家はいなかった。

今振り返って見ると、私自身、理想と現実について正しく理解していなかったのかも知れない。

私が書いた、現実を常に意識し、理想を追う。理想を求めながら、現実的な課題を一歩づつ克服するという表現は、まさにそれを物語っている。

つまり、私の中で、現実と理想は両方大切であり、理想なき現実と現実なき理想とは同意語であったのだ。

それは、政治家が政治は理想だ言いながら、理想よりも現実に軸足を置いているのと差ほど変わりない。

だが、今の私には、理想なき現実と現実なき理想とは明らかに違う。

一言で言えば、理想と現実のどちらか一方を選択するとしたら、どうしようか。

私は、理想を選択する。

理想を実現するために、現在という現実があるに過ぎない。そして、現在起きている現実的な課題を一歩づつ克服したとしても、理想という目指すべき未来の姿がない限り、永遠に理想には近づかないであろう。

なぜなら、現実的な課題は、決して理想とのギャップで起きている課題であるとは限らないからだ。例え理想がなくても、理想が高くても低くても、放っておいても、現実的な課題は日々生じるものである。

それを克服しても、理想に近づくはずもない。

始めに理想があって、その理想に欠けている点が現在の課題であるならば、それを克服することで理想に近づくのである。つまり、最初に理想という目指すべき姿が明確でなくては、どんなに現実を改善しようとも、理想を追い求めているとは言えないのである。

明らかなことは、理想から現実を見るのと、現実から理想を見るのとは違うということだ。

一見、どちらも理想に向かっているかのように思えるかも知れないが、理想に軸足を置くのと、現実に軸足を置くのとでは自ずとと行動が違ってくるはずだ。

もし現実に軸足を置いて行動するならば、現実の積み重ねしかない。例えば、10やれた後に、20を行い、やがて50に100にと順に積み上げて行く。

しかし、これが理想に軸足を置いたら、理想から試してみることであろう。実現したいと願う最善の目標あるいは状態のことを、明確にするという行為である。例えて言うなら、まず100という姿を知るところから始まるのである。

求める100という目標を知るためには、試しているのが良い。すると、自分が100という姿になるには、何が足りないか、何が必要かを知ることができよう。

それは、まずは10をクリヤーするというようなものではない。100を目標にするためには、それを支えるスキル、環境などの面で、どういう構成なのかを分析することである。簡単に言えば、今、現在、100という目標に現実的に取り組んでいる姿を見つけ出すということだ。

少し判りにくい表現かも知れないが、簡単に言えば、実現したいと願う最善の目標あるいは状態のことを、この目で確かめるということである。

この目で確かめた現実は、確実に実現したいと願う現実的に存在する理想の姿だ。空論ではない。机上でもない。ましてや夢でもない。

やれば必ず届きそうな理想の姿。それを知るということは、より理想に向かいたいと思うであろう。できるだけ早くそこに到達したいと行動するはずだ。

しかし、それを知らないで、漠然と描きだした空論、机上の理想は、夢のようにいつまで経っても叶わない。現実的な課題に追い回され、理想を求める余裕すらなくなるであろう。それで、本気で理想のために行動できようか。

もし、本気で理想のために行動するとしたら、何かを失う覚悟がなくてはならないのだ。現実に振り回されている暇はないのである。それらを切り捨てても、理想のために、近づくことを優先できるかである。

例えば、海外進出という理想の目標を掲げる。しかし、現実を見渡せば、いつまで経ってもそれを担う人材もいなければ、それを具現化する構想力もない。やったほうが良いのは判っていても、やらなければならないという現実が訪れない限り、優先度は低い。

つまり、理想は現実よりも優先順位が低いということである。そのような考え方では、いつまで経っても理想は、現実の二の次で、実現したいと願う最善の目標あるいは状態は永遠に訪れないのである。

しかし、本気で海外進出という理想の目標を掲げたのであるならば、多少の犠牲を払っても、現実よりも理想を優先することで、現実の衰退を、理想の実現により食い止めようと必死になるはずである。

だから、私は、理想を選択する。

現実なき理想は、一見、現実を無視した悪い例えであるが、私にとっては、理想なき現実のほうが遥かに虚しい。それほどまでに、理想がないものは、現実もないとさえ思っている。

理想があるから、その理想とのギャップに悩む現実があるのだ。理想がなければ、ギャップがない。ギャップが多ければ多いほど、理想は高く、求める目標が高いということ。目標が高ければ、現実の問題点が多いことに悩むのは当然なことである。

だから理想を求めることは重要なことなのだ。

理想なき者に実行なし 実行なき者に努力なし 努力なき者に達成なし 達成なき者に喜びなし。

これは、元旭化成のマラソンランナー谷口弘美の言った『夢なき者に理想なし』である。

少なくても、若い人には、現実を投げ打っても、理想を求めるような人材になってほしい。

それは、私もできなかったことだから。だから、私はそのような人に憧れるし、そのような人を支援したいとも思うのだ。理想を追い求める姿は、実に美しい。

理想のために行動する姿勢には、感動さえ覚えるものだ。私も、そのような生き方をしたい。これは、私の夢ではなく、理想という現実的な目標である。だから、私はそれを行動で示す。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年1月21日 05:11