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企業経営について  「活・喝・勝」


井の中の蛙

私がこのブログで最初に井の中の蛙という言葉を用いたのは、2005年4月の『ナシュナル化とグローバル化』の中である。

私はその中で『井の中の蛙とも言うべき、ナンバーワン戦略の浸透は問題である。この県でナンバーワンとか、この町で一位とかという経営思想は、社員に誤った認識を生むことになる。グローバル化との対立とも言うべく、他のナンバーワンを認めない論理だ。』と書いた。

世界中がグローバル化という流れに進んでいるのに、一方ではわが町、わが国、わが企業と言ったローカルな慣習や習慣を持ち出し、他を認めないナシュナル化の流れも進んでいる。所謂、右傾化傾向だ。

そのことは、もう少し小さな視点で見ると、人々の保守化が進み、変えることよりも、現状を維持すること、あるいは、安定することを望む傾向が強まっているのではないだろうか。

その結果、5年前に自民党は圧勝した。しかし、それから5年経って、今度は政権交代が起きた。それは、アメリカ発のチェンジという流れに乗ったからである。

だが、それでも、本質的に、日本人の保守的で、現状維持、安定志向というのは、5年前とそれほど変わっていないのではないだろうか。

わが社は、昨年10月に合併し、3ヶ月が過ぎた。

全く歴史も文化も異なる企業が一緒になったのだから、それぞれの考え方がぶつかり合うことは必然である。それは、当然であり、そんなことを否定していたら、何も進まない。

私が、合併時の挨拶で、「全く歴史も文化も異なる企業が一緒になった。だから、どちらの考えが良いとか悪いとかという判断はしない。どちから一方を選ぶのではなく、二で割って間を取るような選択もしない。新しく生まれ変わった会社として、最も良いと思われる、新しい考えを選択する」と言った。

その言葉の奥にある私の本音は、実はそれぞれの歴史も文化を否定しているのかも知れない。なぜなら、もしそれぞれの歴史や文化を尊重し、大切に、守るということを保証するとしたら、現状維持から、何も変えることができなくなるからである。

ただ敢えて尊重しないとは言わないが、二つが一緒になった以上、両方を尊重するということは不可能なのである。

しかも、両方を天秤に乗せ、良いほうを選択するという御もっともな考えを取り入れれば、選択されなかったほうの歴史や文化は尊重されていないどころか、他方よりも劣っているということを明確にすることになってしまうのだ。

だから、私は、両方を否定し、再生ではなく、新生を目指す。新生には、過去は存在しないのである。

先日、ある社員が私に向かって「常識でしょう」と言ってきたものがいる。

まさに井の中の蛙だ。

私は、これまで井の中の蛙を用いた記事を7回も書いてきた。

それは、社員に井の中の蛙になってほしくないからである。そして、それは自分自身にもだ。

外を知らない人になってほしくないからである。そんな人に常識を語ってほしくないからである。

日本では常識であっても、世界では非常識なことは沢山ある。それを「ここは日本でしょう」と言っていれば良かった時代ではなくなりつつあるのだ。

しかも、常識とは、何だ。勝手に思い込んでいるだけで、ルールではない。

ましてや会社の中の常識など、非常識の塊だらけである。大体にして、会社に常識があること自体間違っている。世間では通用しない常識があること自体、井の中の蛙にいることを堂々と宣言しているようなものだ。

まずは、外に目をやるようにしなければならない。井の中にいては、再生も、新生もあったものじゃない。井の中でこねくり回しても、井の中から出ることはできないのだ。

井の中から飛び出し、井の中の論理を壊すことから始めなければならないであろう。

井の中の蛙は、ゆっくりゆっくりとお湯を温めると、いつの間にゆで蛙になってしまうことを知らない。いきなり熱いお湯を掛けられれば、慌てて外に飛び出すだろうが、長い時間をかけてゆっくり温められると、既に熱湯と同じ温度になっているのに、もう飛び出すことができないほどに茹で上がる。

そのようなことが起きる危険性を、井の中にいると、外的要因を感じていないから、危機感が薄く、知らないのである。だから、井の中の蛙は、ゆで蛙になってしまうのだ。

井の中にいて、生き続けられればそれも良かろう。現に、こうして生きてこられたのだから、その自負があるのであろう。それが今後も続くであろう、あるいは、続けようと、続けさせようと保守的になる。だが、それで現状維持できるのか。成長しなくても良いから、維持できれば良いという考えでは、もはや衰退している証拠である。

今の時代は、井の中にいると、ゆで蛙になって死んでしまうのである。死ぬか生きるかという局面にいるということを、井の中にいては気がつかない。つまり、気がつかないまま死んでいくのである。

情けない。ある意味で、可哀そうだ。気付かないのだから、仕方ないのか。

悔やんでも始まらない。気付いてからでは遅いのだ。

だが、私は、井の中から出たい、出て外を見たいという志がある人のことは、必死で救いたいと思う。嬉しいことに、そのような考えを持つ人たちは、もはや少数ではなくなりつつある。

しかし、井の中に比べ、外海は、厳しい。この覚悟だけは持ってほしい。

井の中では波風も立たなかったことであろう。井の中で、お山の大将でいられたこともあろう。外的がいないから、恐ろしさも、厳しさも知らなかったであろう。だが、井の中から外に出ると、外は今、嵐だ。突風が吹いている。雷も落ちるであろう。

私は、その現実を伝えて行く。

途中で、井の中に戻りたいと思うこともあろう。しかし、一旦外に出たら、もう二度と井の中には戻れない。それは、井の中は既に熱湯になっているから、飛び込めば直ぐに死ぬ。だから、井の外で、生き抜く険しい道を歩まなければならないのだ。

しかし、井の外は、井の中と異なって、大海だから熱湯で埋め尽くされている訳ではない。あちこちに小さな島が見え、必死で生き抜こうとすれば、必ずその島に辿り付ける。その可能性があるのは、大海だからである。大海は険しいが、可能性は無限に広がっている。それを掴めるかどうかだ。

私は、井の中の蛙をできれば一掃し、再生ではなく、新生する。

多くの蛙を救うため、井の中にい続けたいと思う蛙にかまっている暇はない。そして、外に出ようとする蛙の足を引っ張るものがいたら、私は責任を持って、井の中の蛙を切り捨てる。それほどまでに、私は、井の中から出ようとする蛙を救いたいのだ。

そのような仲間を、井の中の蛙の道連れにされてたまるか。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年1月27日 05:13