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若者について  「活・喝・勝」


卒業、自由

行儀よく まじめなんて出来やしなかった 夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった 逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で 許しあい いったい何解りあえただろう うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解っていたこと この支配からの 卒業

卒業していったい何解るというのか 想い出のほかに何が残るというのか 人は誰も縛られたかよわき小羊ならば 先生 あなたはかよわき大人の代弁者なのか

俺たちの怒りどこへ向かうべきなのか これからは何が俺を縛りつけるだろう

あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分にたどり着けるだろう

仕組まれた自由に 誰も気づかずに あがいた日々も終わる この支配からの 卒業

闘いからの 卒業

私の高校生時代は、まさにこのような人生だった。

中学卒業後、私は地元の進学校に入った。県内でも3番目に歴史の古い高校だ。

1学期が終わり、親と一緒の三者面談で、上位にいることを知った。だが、それ以降、その時の順位は、それがピークで、既に落ち始めていたのだ。

東大を目指している奴が隣の席にいた。

次元が違った。

次の学期では、中盤より下になり、次第に下から数えたほうが早くなった。

落ちこぼれた。

ついて行くことが出来なかった。

それは、勉強について行くのではなく、行儀よく まじめなんて出来やしなかったのだ。逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった。

私は、拘束され、束縛されるのが大嫌いになった。やがて大人に反発するようになった。

教師だった親父にも、反感を持った。

そして、うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解っていたこと この支配からの 卒業。

自由になりたかった。自分の本当の力を試したかった。

今思い出せば、アホで負け犬しか過ぎない。

ブッタは「自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず」と教えた。仏教における自由とは、自らに由るということである。

私はこのことを『自らに由る』の中で、『自由は、リバティでもフリーダムでもない。強いて言うなら、自(おのず)に由(よ)るという意味だ。自らに由る。自ら立ち上がって、自分を犠牲にすることかも知れない。』と書いた。

私は、それ以降、自由という言葉をこのブログの中で125回も用いている。今回で126回目だ。それほどまでに、私は、自由という意味と、自由という姿勢に拘りを持つ。

それは、私自身が自由を望み、束縛や拘束を嫌うからに他ならない。私にとって、自由とは要である。

私は、17才の時、成田空港近くの三里塚にいた。

農民の自由を奪おうとする国家権力が許せなかったのだ。

それから数ヵ月後、パトカーに乗せられた。校長は、パトカーで学校に来た生徒は初めてだと、激怒していた。

私にとって、自由とは、自由を奪い取る人への戦いだった。私が自由になるということよりも、他人の自由を優先した。それができる自由な行動を私は求めたのだ。

私は、『自由と責任から責任と自由へ』の中で、『自由と責任のどちらかを選べと言われたら、これまでの「自由」を選ぶという私の考え方から、「責任」を選ぶに変えようとしていることである。その軌道修正は、自らが最も自由を大切にしていながら、それを変えるというは断腸の想いだ。』と書いた。

私は、高校を卒業してから、その時まで、責任を果たして自由を勝ち取るということが理解できないでいたのかも知れない。自由は空気のように存在し、勝ち取ることよりも、奪われることを否定して生きていた。

そして、やがて一方では自由を与えると言いながら、それでは自由を勝ち取るという闘争心が生まれないことに、不満と、不安を持っていたのだ。自由が空気のように存在することに、警鐘を鳴らしたかったのだ。

私は、自由に翻弄された。

私にとって自由とは、自らに由り、自ら立ち上がって、自分を犠牲にして、自らの責任で行動できることだと言いたい。

高校時代の私を引き合いに出せば、自ら立ち上がって、自分を犠牲にしたとしても、自ら責任を取るというような次元が無かったので、恥ずかしい限りである。

私がそれほどまでに大切にする自由の意義を知ったのは、責任の重さを覚悟しなければならないということ。自由と責任から責任と自由にという考えが、今、私にある自由の考えだ。

俺たちの怒りどこへ向かうべきなのか これからは何が俺を縛りつけるだろう あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分にたどり着けるだろう

まだまだ本当の自由に辿りつけない自分に情けなく思う。

それは、責任だとか、何だとかを全て無視し、やりたいことをやりたいように、自由に、奔放にさせることができないからだ。それだけ私は、まだ器が小さいのであろう。

しかし、私は、高校のから、今でも変わらず、自由を望み、束縛や拘束を嫌う。ならば、それは他人にも、もちろん部下にも、自由を奪う権利はない。

自らをよりどころとして、他人をよりどころとしない若者には、自由を与えたい。自由を勝ち取る者を私は、応援したい。

そして、私は、支配されることからも、支配することからも卒業したい。

私は、行儀よく まじめなんて出来やしないのだから。

若者は、自由求めれば、良い。それで良い。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年2月 6日 05:48