『上司になってから知ってももう遅い。部下である間に、行動で示せないようでは、間違いなく、自分が上司になっても、上司の心、部下知らずとただ嘆くだけだ。
もしリーダーを目指すのなら、そのチームの中で、誰よりも上司のサポートをするべきだ。それができないで、自分がリーダーになった時、誰がリーダーを支えると思うか。自分がやってこなかったのだから、仕方あるまい。』
これは、私がかつて書いた『上司の心、部下知らず』の一文である。
上司は、親の心、子知らずと同様に、なぜ部下が判ってくれないかと嘆く。
親になったこともない子供に対し、親の心が判らないのかと嘆いても、判るはずもないのだ。そういう自分は、子供の時に、親の心をどれほどまでに判っていたというのだ。
私は、『求めるよりも求められること』の中で、『求めるよりも求められること、やれそうで中々できない。そしてまた、求められることを期待するより、与えることを優先しなければならないのである。求めるよりも求められること、それはギブアンドギブの精神だ。』と書いた。
カンボジアのアンコール・ワットがあるシュムリアップに行った時、彼らは日本が大好きだということを知った。そして、日本は、何かを求める国ではなく、求められる存在であることを痛切に感じたのだ。
人間は、誰かに何かを求めると、それ以上に求められる存在になる。求めるということは、求められることなのである。
上司と部下の関係で言えば、上司の立場を判ってほしいと思えば思うほど、それ以上に、部下の立場も判ってほしいと思うのは当然なことなのである。
親の心、子知らずというのも同じだ。そもそも、親でありながら、親の心を知ってほしいと子に求めること自体が間違っている。子に、親の心をしってほしいと求めるのはなぜか。それは、親の身勝手だ。
親は、親の立場を子に知らせることよりも、子の心を知ろうとする役目があるはずである。子に親の何を求めるのか。親は、子から求められる存在なのではないか。
親は、子に求めるのではなく、与える側だ。子のためを思い、子にとって必要な経験や考え方を与えるのであって、子に求めるのではない。親子は、対等ではないのだ。
しかし男女関係の場合は、本来対等なものである。恋愛関係では、求めたり、求められたりする。だが、その対等が崩れ、親子関係のように、一方だけが求め、一方だけが与えるようになったら、上手く行かないであろう。
どちらかが我慢し、どちらかが満足する関係で、長続きするはずもない。求めたら、求められる。その上で、与えたからと言って、求めるものでもなく、求められたから、与えるのでもない。そのバランスこそが恋愛を継続させることである。
では、上司と部下の関係はどうか。
親子のように、親が与え、子は親に求める存在か。それとも男女のように、求めたり、求められたりする存在であろうか。
私は、男女のような対等な関係ではないと思っている。もし、対等の関係であるなら、上司が部下を叱るなら、部下も上司を叱って良いはずだ。しかも、給与だって対等であった良いであろう。
明らかに対等ではない。権限も異なれば、責任も違う。その違いが給与に表れ、役割の違いに表れるのである。
ところがそれを誤解する人がいる。それは、上司も部下も双方にだ。
上司は、部下に大きな役割を期待する。それは正しい。しかし、上司ができもしないことを部下に求めるのは問題だ。部下の側からすれば、上司に対し「それなら、自分でやってみろ」と言いたくなるだろう。
上司は、部下に求めるのではなく、機会を与えるのが仕事である。それは求めているのではなく、チャンスを与え、成長を促すのである。
一方、部下も上司に求めるものがいる。親子関係のように、子が親に、アドバスを求めたり、チャンスを求めたりすることは問題ない。しかし、中には、自分が上司になったが如く、上司に対して、上司の短所を指摘し、改善を求め、上司を困らせたりすることがある。
それは、非常に問題な部下だ。しかし、私は、このことを、使えない部下、許せない部下だとは思わない。むしろ、自然な感情であり、普通の部下だと思っている。
誰しも、自分の上司に不満を持つのは自然なことであり、もっと良い上司と仕事をしたいと思うのは必然的なことである。それを否定しているようでははじまらない。
上司は、部下とはそのような存在だということを痛切に知るべきである。常に求められる存在であるということである。
だから、上司は、部下の心を知らなければならない。部下の心、上司知らずではダメなのだ。
その上で敢えて、上司の短所を指摘し、改善を求めるような部下について、一点だけ注意しておこう。それは、普通の部下なら、何も問題ないが、もし、将来、リーダーや上司を目指しているとしたら、それは普通の部下であってはならない。
将来、自分が上司になった時に、自分がそのような部下であったなら、必ず同じような部下ばかりになるであろう。そもそも、有能な部下というのは、上司の欠点をフォローするのが仕事だ。それを、普通の部下と同様に、足を引っ張っているようでは、大した部下ではない。
そのようなレベルの人が、上司になっても、同じことをされるだけ。たった一人だけでも、どんなに無能な上司でも、必死で上司を支えるような人間になれば、きっと、同様に、支えてくれる部下と出会うであろう。
そして、さらに、それでも上司になった時には、普通の部下というのは、上司に完璧を求めることのほうが自然であることを知らなければならない。上司を支える部下などを求めても仕方ないのだ。部下には、求めるのではなく、考え方や機会、やる気を与えるのである。
与えて、与えて、与え続ければ、ほんの極一部の人間だけは、上司を支えることの大切さを判ってくれることであろう。
上司の心、部下知らずなどと言っているようでは話にならない。部下の心、上司知らずのほうが遥かに問題なのだ。
部下と上司は、対等ではない。だから、上司とは常に部下から求められる存在なのである。部下から求められなくなったら、そんな上司など必要ない。
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投稿者 :堀田信弘: 2010年2月 8日 05:49