【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


リーダーについて  「活・喝・勝」


曖昧性や不確実性に堪える

私もかつては、デジタル人間だった。白黒はっきりしない曖昧なことは大嫌いだ。しかし、今から振り返ると、当時は、白黒はっきりさせることと、曖昧を排除することとを混同していたように思う。

私の先輩は、上司の曖昧な態度を見て、デジタルのように白か黒をはっきりするように要求していた。私もその頃は、先輩の要求が正しいように思っていた。

先輩は「やるか、やめるかはっきりしましょう。」と上司を問いただす。

上司は「やめる前にやり残したことはないか確認しろ」と言う。

どうやら先輩には、上司の態度が煮え切らないように映ったようだ。

だが、今、考えてみると、その上司の態度が、曖昧なのか、どうかはその時点では明確でなかったと思う。

私はかつて、『過猶不及(かしふきゅう)』の中で、『私にとって、中間を取ることでないというのは、私の生き方の中で、とても大きな考え方のベースになっている。二つを足して二で割るような考え方ではなく、自分の判断で、一方を選び、一方を捨てるという考え方である。少し乱暴な考え方かも知れないが、玉虫色決着は好きでないのだから仕方あるまい。』と書いた。

だから私は今でも、白か黒かはっきりしないような二つを足して二で割るような考え方は好きでない。それは明確な判断をするということであり、中途半端な姿勢を持ってはならないということである。

つまり、曖昧を排除するということは、明確な判断基準を持つということであり、結果として白と黒のいずれかになることとは異なる。

二つを足して二で割ったものではなく、答えが白でも黒でもない場合ということは十分にあり得るのだ。その色が何色であろうと、明確な判断基準を持って出された答えは、決して曖昧とは言えないのである。

このような状況は、日常では茶飯事である。むしろ、世の中というのは、曖昧なことや不確実なことが氾濫しており、白か黒かの何れかを選べるような単純なことは少ない。

リーダーとは、曖昧なことや不確実なことの中でも、答えを出さなければならない立場である。曖昧なことや不確実なことを理由に、曖昧な態度をしたり、判断を先送りしたりできないのだ。

どんなに情報が不完全で、不足していたとしても、その限られた情報の中から、ある一定の答えを出さなければならない。

冒頭の「やるか、やめるかはっきりしましょう。」ということに対し、「やめる前にやり残したことはないか確認しろ」と指示を出したのは、明確な態度を表明しているのである。やるかやめないかという二者択一の答えを出すのが、リーダーの役目ではなく、明確な指示、考え方を示すことが重要なのである。

どうやら誤解している原理主義者は、すぐに白か黒かの二者択一を迫るものだが、明確な答えというのは、白か黒かだけではないのである。

このことは、私自身もそうであったように、下の立場からすると、非常に判りにくい。二者択一こそが明確の答えだとの誤解を招くのである。

しかし、それには理由がある。

それは、そのリーダーが、普段から曖昧な姿勢なのかどうかで決まる。

「やめる前にやり残したことはないか確認しろ」という同じ言葉であっても、普段のリーダーの姿勢から、それは答えを出すのを引き延ばしていると思われることもあろう。

そのように見えるのは、リーダーがいつも、曖昧なことや不確実なことに右往左往しているからである。どんなに曖昧なことや不確実なこと状況に置かれても、毅然として、あるいは、素早い判断で、明確な答え、方向性を示すことが求められていることを避けようと思われているのだ。

下の者は、どんなに曖昧なことや不確実なこと状況でも答えを出すのがリーダーであるべきだという当たり前の心理が働く。それは、自然で当然のこととして理解し、曖昧な態度を見せないことをしなければならないのである。

リーダーであれ、人間は、誰しもが悩み、時には心が揺れ、迷うこともあろう。それは人間である以上、自然なこと。だが、その自然なことから逃れようとせず、そのプレッシャーに押しつぶされないようにしようとする姿勢を、リーダーだからこそ、求められる立場なののである。

「やるか、やめるかはっきりしましょう。」と迫られた上司は、きっとやるか、やめるかを決められない、はっきりとした答えを出せないと思われたいたに違いない。

このことは、その上司がどう反論しようとも、そのように思われているのだから、それを弁明しても仕方あるまい。虚しいだけだ。

もっと言えば、はっきりとした答えを出せないと思われた時点で、その理由がどうであれ、その人のリーダーシップが不足しているのは間違いないのである。つまり、優柔不断と思われた時点で、リーダーとしては言い逃れができない、リーダー失格なのだ。

それほどまでにリーダーというのは、曖昧な姿勢は命取りであり、致命的なのである。

答えがないものに答えを出さなければならない。

方向が見えないものでも、方向を示さなければならない。

勝つ確率が全く見えなくても、戦わなければならない時も、あるいは、どんなに勝ち目があっても、引かなければならないという判断をしなければならないこともある。

どんな場合でも、どんな場面でも、リーダーは答えを出さなければならないのである。それがリーダーの役目なのだから、それができないのであれば、リーダーではない。

どの答えが正しいかどうかは、すべて結果論である。結果がどうなろうとも、自分の判断を信じ、その考えが正しいことを理解してもらうような明確な説明が必要なのである。

結果責任を問われる前に、まずリーダーが果たさなければならないことは、曖昧性や不確実性な状態に堪え、自ら、答えを出すことである。結果は、その次である。

結果を恐れて、曖昧な態度を取るほど、リーダーとして見っともないことはない。私は、そのようなリーダーにはなりたくない。結果は、その次だ。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年2月28日 05:58