粉屋のおじいさんが子供を連れて、市場にロバを売りに行くという内容のイソップ物語『ろばをかついだ親子』。この話は、人の話に一喜一憂して、考えがコロコロと変わっていると、何事も上手く行かないということを物語っている。
途中で二人を見た人が「暑いのに汗をかいてロバを引いて歩いているよ。ロバに乗っていけば良いのに。」と言っているのを聞いたおじいさんは、なるほどと思い子供をロバに乗せる。
しばらく行くと、今度はおばさんが「この頃の子供は、自分がロバに乗ってすましている。年寄りを歩かせて平気でいる。なんと悪い世の中だろう。」と言うのを聞く。
なるほどと思った二人は交代する。そして、またしばらく行くと、旅人が「この頃の年寄りは、子供を歩かせて平気でいる。なんと悪い世の中だろう。二人とも一緒に乗っていけば良いのに。」と言った。
なるほど思ったおじいさんは、子供も一緒に乗せた。すると、後ろから来た人が、「かわいそうに。いっぺんに二人も乗るから、ロバはひょろひょろに弱っている。こんなに弱り切ったロバはいい値段で売れるものか。二人でかついで行ってやれば良いのに。」と言われる。
なるほどと思ったおじいさんは、ロバの四本足を綱で縛って棒でかついだ。この様子を見た町の人に「この暑いのに、ロバをかついで行くなんて、ばかだな。」と言われながらも、「市場はもうすぐだからがんばろう」と歩き続ける。
市場の手前の橋の上についた時、つるされて苦しかったロバが暴れ出し川に落ちてしまう。
私はかつて、この話を取り上げ、これからのビジネスは、ニーズからシーズへの転換が重要だと述べた。
しかし、改めて、この経済状況の中で、ニーズとシーズとを考えてみる。
消費者の志向を常に感じ取りながら、消費者の移り気に対応して行くのがニーズ志向マーケティングである。
例えば、デフレ経済のような流れをいち早く捉え、低価格路線を打ち出すというようなもの。高景気の高級志向と正反対に一気に舵を取る戦略である。
これに対し、シーズ志向というのは、新たな市場を開拓するようなもの。
例えば、環境ビジネスなどはこれに近いかも知れない。顧客が求めているよりも、顧客に新たな考えをもたらすようなものだ。
さて、私はかつて、ニーズからシーズへの転換が重要だと述べた。この考えは、今でも変わっていない。
しかし、変わったことがある。
それは、『ろばをかついだ親子』のように、人の話に一喜一憂して、考えがコロコロと変わることが、必ずしも上手く行かないことばかりではないという点である。
さらに付け加えれば、ニーズからシーズへの転換が重要だが、ニーズ志向マーケティングが悪いという点もである。しかも、ニーズ志向は決してなくなるものではないし、時代の流れを読みながら、コロコロと変えてと言われながらも、顧客の要望、経済状況に対応することは、必要なことである。
もっと言えば、ニーズ志向を理解していなければ、シーズなど生み出せるはずもないとも言えよう。シーズを生み出すにあたって、ニーズを否定するということなどあり得ないからである。
さて、今回、私が述べたいのは、ニーズやシーズのことではない。
私が、子供を連れた粉屋のおじいさんだったらどうするであろう。
粉屋のおじさんは、粉が売れずに、生活に困り、そのために、粉を乗せて運ぶロバが不要になる。泣く泣くロバを売ろうとしたのだろうか。それとも、粉に変わる売り物が見つかったと思ったのだろうか。何れにしても、ロバを手放さなければならない苦しい状態であったに違いない。
ロバは大切な商品だからできるだけ疲れないように、二人はロバを引いて歩いた。恐らく、多くの人はそうするであろう。
そんな時、「子供に辛い思いをさせて」と言われたら、あなたならどうするか。それでもロバが大切だからと、気にせず平気で子供を歩き続けさせられるであろうか。
迷わないか。ロバを手放さなければならない苦しい状態にいる家族、そして自分の子供。これ以上、子供に苦労をさせたくないと迷うであろう。
こうして考えていくと、粉屋のおじさんが、その場、その場で判断したことを、自信を持って非難できるであろうか。自分だったら、一旦売ると決めたら、どんなことがあっても、一切耳にせず、貫くことができるであろうか。
そんなに大切なロバなら、最初から歩かせずに、吊るして運んでやろうとは考えないか。吊るされるのは、ロバにとって苦しいと断言できるか。
経営と似ている。
後になってから、そのやり方はおかしい、考え方を変えるのは問題だ、と言うのは誰だってできる。
その過程、過程で、最善の策を考えることは当然である。かつ、どんなに最善な策であろうが、結果が悪ければ判断ミスであり、結果が良ければ先見の目があるということになる。
私は『変化し続けることが変化しないこと』の中で、『変わり続けることこそが、変化に対応できるからだと考えているからである。世の中は、放っておいてもどんどん変化して行く。変化していく中に、変わらずにいれば、取り残されてしまう。だから、私は、最低でも世の中の変化についていけるぐらいの変化は必要だと思っている。』と述べた。
私は、状況に応じて、変えることがあるのは当然だと思う。
その判断は、その時に置かれた状況でなければ、評論家のように簡単に語ることはできない。変えようが、変わらないであろうが、その判断によって生じる結果を受け止めるのみだ。
それは、決断できず、ただ迷ってしまう優柔不断とは違う。その過程、過程で、最善の策を考え、速やかに判断し、その判断した結果に責任を持つことである。
「この暑いのに、ロバをかついで行くなんて、ばかだな。」と言われながらも、「市場はもうすぐだからがんばろう」と歩き続ける。最後の最後に、このおじさんは、自らの判断で、ばかだと言われても、自分の考えを信じ、それを貫いた。
その後に起こることは、もう後悔しても仕方あるまい。残念ではあるが、私は、自分で判断したことに後悔はしない。
後悔しない覚悟さえあれば、どんな結果が待ち受けていようとも、寛容するしかない。結果より後悔しないほうが遥かに重要だ。
起きた結果は残念でも、失敗でも、やったこと、判断したことに後悔しなければ、それで良い。私は、そういう生き方をしたい。
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投稿者 :堀田信弘: 2010年3月 2日 05:17