宇宙飛行士の選抜試験には、指示を出す能力と、指示を受けて作業をする能力をテストするというものがあるらしい。指示を出す側は、ボードに書かれた絵柄を、別の部屋にいる指示を受ける側に、無線を用いて、できるだけ正確に再現できるように言葉で指示する。
このテストは、指示する側の指示能力と、指示された側の指示遂行能力を図るためである。
わが社は、日本とベトナムとの間で、業務の遂行を"共同"で行っている。
先週まで私はベトナムに滞在したが、どれほどまでに日本側がこの"共同"という認識を持っていないか、痛感する。
宇宙飛行士の試験も、仕事の"共同"認識を図るものなのである。"共同"は、コラボレーションと訳され、どちらかがこの意識が乏しいと、前述の"共同"作業は上手く行かない。
つまり、どんなに指示する能力が高くても、指示される側の遂行能力を図りながらでないと上手く行かないのである。あるいは、どんなに遂行能力が高くても、指示する側の能力が低ければ、当然、それも上手く行かない。
両方の能力が高いことはもとより、相手側の状況、能力を推測し、時には補うつもりでいなければ、この"共同"作業はできないのである。その要因が、作業が"共同"で行われているという認識を、どれだけ共有できるかということなのである。
わが社の場合、日本側が指示を出す側である。つまり、どれだけ確実に、かつ判り易く、そして、相手の環境がどんな状況で、どのような体制、どのようなスキルの状態かを図りながら、指示しなければならない。
一方、ベトナム側は、指示を受ける側である。指示を受ける側は、仮に指示が不明瞭な場合には、できるだけ明瞭になるように、勝手に判断せず、指示側の指示にできるだけ正確に着実に例外なく無条件で従わなければならない。
宇宙飛行士と、わが社のような仕事の違いは、指示を出す側が上、指示を受ける側が下という主従関係に陥り易いことだ。しかも、これに対し、対価が発生するとすれば、それは発注側と受注側という関係になり、もはやその時点で"共同"などという意識など微塵もなくなる。
しかも、一方は母国語である日本語を使い、片方は外国語である日本語を理解して作業をしなければならない。つまり、最初から対等な関係になれない状況であるにも関わらず、そのことを理解されずに進めば、当然上手く行くはずがない。
指示を出す側は、ボードに書いてある絵柄を、どのようにしたら相手に正しく伝わるのかを考えなくてはならない。しかも、どのようにしたら誤解されず、そしてどの順番で指示したほうが書きやすいかを考えるのである。
指示を受ける側は、複雑であろう絵柄を想像しながら、受け取り側が誤解していないかを随時確認する必要がある。指示通りに行ったとしても、必ず勘違いがある可能性があるからである。そうして、片方しか見えない絵を、言葉や文を用いて、どこまで見えているかを伝えながら進めるのである。
障害者と健常者に例えることもできよう。
指示を出す側は、目は見えるが、指示を受ける側は目が見えない。これはどんな仕事でも当てはまる。上司と部下との関係でも同じである。上司には完成後のイメージが目で見えるが、初めて仕事をする部下は、当然イメージできない。
仕事を出す側と受ける側というのは、このような関係なのである。
このことを理解している、仕事を出す側の人間はどれほどいようか。
受ける側は、いつも評価を受ける側で、いつも立場の強い指示を出す側に何とか喰らえつこうと必死である。そう、指示を受ける側は、いつも弱い立場なのだ。
さて一方、今度は、仕事を受ける側にも問題がある。
私は、上司として多くの部下に様々な仕事を指示する。つまり、指示する側の人間である。指示された仕事を、快く引き受けてくれる部下は、皆無に近い。
それは少し厳し目の表現であるが、内心を図れば、誰だって新しい仕事が舞い込むことに抵抗があるからだ。自分で生んだ仕事ならまだしも、人から指示される仕事というのは決して嬉しいものではない。
受け取った仕事に値段がついていて、それを行えばその分が自分の取り分になるのであれば話は違うであろう。しかし、多くの場合、上司からの指示があった瞬間、その時点で仕事が増えることになる。それを快く受け取る人はいないのである。
もし、それが私の部下だけだとしたら悲しいことであるが、人間の本心を考えれば、当然なことだと思う。そして、そのことは、100%顔に表れる。かつ、言葉に表れる。
できるだけ受けたくない心を抑えながら、どれほど重要で、どれほど自分の責任範囲なのか、頭の中で計算している様子が手に取るように判る。
特に、私が指示する部下は、全員が部下を持つ幹部である。そのような幹部は、基本的に仕事を指示する側であるのだ。その指示する側に、私からの仕事を受けなければならない時、とっさに、どのようにしたら部下に仕事を指示できるのかを考えるのであろう。
もし、私からの指示を受け取って、さらに部下に指示できなければ、仕事が溜まる一方になるからだ。だから余計に、私からの指示は快く受け取れる状態にはないのである。
中でも、仕事を部下に指示することが下手、あるいはできない人、あるいは部下に仕事を任せられない人ほど、仕事を受け取ることができない。そして、仕事を指示される度に不満が募り、仕事も溜まる。簡単に言えば、仕事を指示できない人は、仕事を受け取れない人と言えるのである。
前半では、仕事を指示する側の問題点を述べたが、最も知ってほしいことは、仕事を受け取ることができない人が、仕事を指示する側になるということは、組織にとって致命的だということである。
自分で仕事を受け取れず、仕事が溜まってしまうような人が、仕事を的確に指示する側になどなれるはずがないのである。
仕事を指示する側と指示される側、詰まる所、指示される側のことを十分に配慮できなければ、上手に指示することができないということだ。
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投稿者 :堀田信弘: 2010年3月 8日 05:22