ノーベル文学賞を受賞したドイツの小説家ヘルマン・ヘッセは、「愛されるより愛するほうが幸福である。」と言った。最近、若い女性の中で、「愛するより愛されたほうが幸福である」、という全く逆のことを言う人がいるが、私はそれに対し、ヘルマン・ヘッセの言う通りだと思っているから異を唱える。
人間は、愛されたいという欲求、つまり願望を持ち、それを幸福だと感じる。それは自然な感情なのかも知れないが、欲望を満たしたいという自我であり、自分本位である。つまり、他人よりも先に自分のことを考えているということである。ある意味、傲慢である。
愛されたいということは、相手に自分が幸せになることを求めていること。しかし、本来、恋愛の始まりは、お互いである。
こちらが相手を気にいるから、相手からも気に入れられたいと思う。好きだという感情が生まれるから、好きになってほしいと思うのである。
それを、好きでもない、あるいはむしろ嫌いだと思っている人から、好きだと言い寄られても、「愛するより愛されたほうが幸福である」と言い切れるのだろうか。そんなはずがない。だから、私は、「愛するより愛されたほうが幸福である」という考えは、矛盾しており、しかも傲慢で、わがままそのものである。
愛憎という言葉がある。
愛と憎しみ。全く相反することである。
愛すれば愛するほど、その反動で、相手に対する憎しみが生まれる。それは、求めるからだ。
人間は、自分が愛しているだけでは満足しない。相手からも愛されないと、場合によっては憎しみにさえ変わるものである。愛すれば愛するほど、相手にも、それに比例して、愛してほしいと求める。求め、求め、与えたことに対して、与えてほしいと求める。そして、憎む。
さて、私たちには、別の愛もある。国を愛す、郷土を愛す、あるいは子を愛す。それらの感情は、主体的に愛するという感情を持つだけであり、その分に比例して、こちらも愛してほしい、何かを与えてほしいという、求める欲求は生まれないであろう。
それなのになぜ、男女のような人間関係では、求めあうのであろう。与えあわずに、求めあうのであろう。それは、対等という意識があるからではないであろうか。
このことは、男女関係だけでなく、上司と部下の関係でも同様なことが言える。
上司は部下に求め、部下は上司に上司らしさを求める。本来、求めあう関係ではない。私は、むしろ、与えあう関係でなくてはならないと思っている。しかし、現実には、受け取り側との関係で、与えたつもりが、させられたということにもなり、上手く行かないことも多かろう。
上司は、部下に求めるのではなく、与えるのだ。仕事を与え、与えた仕事を通じて部下の成長を願うのである。愛する部下ほど、現に仕事を多く与えることになる。つまり、与えることができる部下は、愛する部下なのだ。
与えることができる部下は、結果を上司に与えるということを行う。仕事で結果を出すということである。これは部下として当然のことである。この当然のことを、上司の期待に応えて出来るから、仕事ができる部下なのである。このような部下を愛さないはずがない。
愛せないない部下というのは、仕事を与えても、結果を出さないばかりか、与えられることより、させられるという意識を持つ。こんなことをさせられてと不満を持ち、やがて、その不満は、上司そのものへの不満となり、上司に、もっと良い仕事を与えるよう求めるようになる。
そんな部下のことを上司が愛せるはずがない。だから、その後、次第に与える仕事は少なくなり、かつ陳腐になる。やがて、部下の不満は、上司が能力がないから自分に仕事がこないと、自分のことを棚に置いて考えるようになるわけだ。
一方、部下の側からも言い分はある。
どんな仕事でも一切不満を言わず結果を返しているのに、上司が正しく評価しているのか不安になる。自分ができもしないくせに、あるいは威張っているだけの上司に対し、もっとしっかりしてほしいと思う。上司のためにこんなにやってあげているのに、上司はちっともこちらの苦労を判ってくれないと、上司に求めるのだ。
そう、人間関係は、与えある関係から、求めあう関係になったらお終いなのだ。どちらがどうという次元ではなく、お互いなのである。
求めるから、求められる。求められるようになると、誰だって窮屈になる。
しかし、神でもあるまいし、与えるだけで、求めないということは簡単ではない。
だがそれでも、私は、与えあう関係でなければ上手く行かないのは事実だと思っている。まずはそのことを知っていれば良い。
そして、自分が与えても、相手から与えられなくても、不満に思わないこと。中々できないことだが重要だ。
そして、例え相手から与えられなくても、相手に求めないこと。これが一番重要なことである。
上司であれば、部下に対し期待はしても、出来ないことを求めても仕方ない。だから、上司は、部下ができるようにリーダーシップを発揮し、リードするのである。そうダンスが出来ない人に、少しだけステップができるようにリードするのが上司の仕事だ。
部下であれば、上司に対し期待はしても、出来ないことを求めて仕方ない。だから、部下は、上司の足りないところをフォロワーシップを発揮し、フォローするのである。そうダンスが出来ない人に、少しだけステップができるようにフォローするのが部下の仕事だ。
つまり、上司も部下も、互いに求めず、互いに与えるのである。そして、与えられたことに不満を感じるようでは論外なのである。しかし、それでも、相手に求めないこと。そうすればきっと上手く行く。
求めるな、求められるような人になろう。
与えられるより、与えることに幸せを感じよう。
求めるな、求めるより求められよ。求められるほうが、求めるほうよりも幸せである。私は、人には求めず、求められるような人間になりたい。
ただ、求められることは、決して楽なことでない。むしろ辛い、だが、人から求められることは、誇りであり、認められていることに幸せを感じることである。
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投稿者 :堀田信弘: 2010年3月14日 05:25