国際労働機関(ILO)憲章の前文に、同一価値労働同一賃金が書かれており、最も重要な原則の一つである。この国際条約を批准した日本だが、実現されていない。
つい最近になって同一価値労働同一賃金が叫ばれ始めた。同一価値労働同一賃金とは、同一職種であれば同一の賃金水準を適用させる賃金政策である。男女間や雇用形態間などの違いによって、賃金格差が生まれないようにすることだ。
日本では、労働基準法第4条に、「使用者は、労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱いをしてはならない。」(男女同一賃金の原則)と規定されている。
しかし、ここでは「女性であることを理由として」と、男女同一賃金の原則のみが規定されているのみであり、派遣やパート、あるいは年齢など、同じ価値を生む同一職種全体に同一の賃金を求めている訳ではない。
なぜ、日本は、同一価値労働同一賃金の導入が遅れたのだろうか。
一つは、正社員とは別には、新しい雇用形態として派遣という形が誕生し、労使間において双方がその形態を容認するような事情があったからであろう。
企業側は、正社員を雇用する際、長期的な保障などがあるために、景気による需給バランスを考えると、どんなに人材不足であっても大量に採用することはできない。景気が悪化したからと言って、一気に大量解雇することは困難だからである。
そこで派遣会社が誕生する。必要な時に必要な量の人材が供給でき、需給調整できるという訳だ。そこで起こったのが、景気が悪化した際の派遣切りというものである。
一方、労働団体などの労働者側は、正社員の権利を守るための組織である。派遣社員よりも正社員を守ることが使命だから、契約社員が正社員と同じような待遇を望むことに難色を示す。
このように労使間の両者の利害が一致し、雇用形態の違いによる同じ価値を生む同一職種での同一賃金の導入が遅れているのだ。
しかし、私は、雇用形態の違いによる問題が解消され、同一価値労働同一賃金が実現できたとしても、それは、最初に男女同一賃金が実現されたのに続き、その範囲が少し広がったに過ぎないと思う。
もし、完全な同一価値労働同一賃金を目指すのであれば、先ずは年齢に関係なく同一賃金が実現されるべきだと思う。そしてもっと言えば、学歴も経験年数も、国籍も関係ない。同じ職種で、同じ価値を生む仕事をするのであれば、その賃金は同一であるべきである。
しかし、現実には、この考え方を導入するには程遠い。
それは、同じ職種で、同じ価値を生む仕事をしているにも関わらず、同一賃金になっては困る人が反対するからであろう。
私は、もう何年も前から、採用にあたっては、年齢、性別、国籍、経験の有無、学歴など一切関係ないと言ってきた。つまり、同一価値労働同一賃金に賛同しているのである。しかも、"完全な"同一価値労働同一賃金を実現したいと考えているのである。
ところが、現実には、成果主義が導入されたと言いながら、未だに年功序列的に、年齢、経験の有無、さらには個人の家庭事情などにより、給与が決まってしまう。それは、働く側が、"完全な"同一価値労働同一賃金を望んでいないからであろう。
私は、もし二人の社員が、同じ職場で机を並べ、同じ業務、同じ責任、同じ権限という同一の価値を生み出す仕事をするとすれば、それは年齢や経験年数に関係なく、同一の賃金にすべきであると思っている。
そして、その上で、利益など会社への貢献度を鑑み、同一価値労働を行う者同士で、その生み出された成果によって、毎月、あるいは四半期、あるいはボーナスなどでその成果に応じた手当を支払うべきだと思う。
同一価値労働を行う者同士でありながら、そのベースとなる給与に差があったら、そもそも同じ評価などできるはずがないのである。給与は同一にして、生み出された差で、評価を行うべきなのだ。
ところが、年俸制であれ、現実には、"今の"ではなく、"過去の"実績などを元に、最初のベースが異なってしまう。そして、それが既得権益となる。
本来、賃金とは、同一という条件が異なることで、賃金も異なるべきなのである。管理職であるから給与が高いのではなく、管理職という責任が重い職につくから、責任の低い人よりも高いのである。
あるいは、仮に、後輩よりも先輩のほうが高い賃金をもらうとすれば、それは、後輩よりも先輩のほうが仕事ができるからではなく、後輩を指導するという後輩にはない別の責務を負うからである。但し、指導するという責務が明確でないのであれば、先輩であれ後輩であれ、机を並べて同じ仕事をするのであれば、それは同じ賃金にすべきであり、生みだされた成果の差によって手当に反映すべきなのである。
先週私は、ベトナムに行って、ベトナムでは、末端の社員が、同一価値労働同一賃金を意識しているということを知った。
先輩は、後輩よりも高い給与をもらうのは当然であるということは一緒だが、高い給与をもらう人ほど多くの仕事をすべきだという意識を持っているのである。
後輩たちは、先輩がどんなに忙しくても残業しない。残業命令を出しても、先輩と同じ給与なら満足するも、先輩と同じだけ働いて、先輩よりも低い給与なら残業はできないと主張するのだ。
管理職に対しても同じである。管理職のほうが、一般職よりも多く働き、多く苦労するのは当たり前であるという認識がある。責任の重さという目に見えないものではなく、行動によって仕事をしている姿に納得できなければ、その管理職は不適格だと言い放つ。
日本よりも、仕事の成果、量など、目に見える形で、同一価値労働同一賃金を意識している。ベトナムは、共産圏であることから、労働者に対する権利意識は、私が知る限りどこの国よりも遥かに高い意識を持っていると言えよう。
結果が同じなら、対価も同じである。対価が異なるのであれば、その違いに見合った分の結果を考える。もっともな考え方だ。ある意味で、日本よりも先行していると言えよう。
だが、この光景は、ベトナムが特有ではなく、国際労働機関(ILO)憲章の前文に記載されているように、同一価値労働同一賃金とは国際標準であることを理解できないのは、日本人のほうなのかも知れない。
私は、ベトナムがどうだ、日本がどうだというのではなく、国際的にどうだということを、これからも追い求めたいのである。
日本は、過去に縛られ過ぎている。
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投稿者 :堀田信弘: 2010年3月22日 05:29