【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 8日 『中身じゃないよ見た目だよ。中身がしっかりしているのなら、見た目もしっかりすれば良いんだよ。見た目がしっかりしていても、中身がないんじゃ話にならないが。』


リーダーについて  「活・喝・勝」


言葉を生業にする人の言葉の重み

口は災いの元とは良く言ったものだ。私はかつて『意味と意図と意思』の中で『口は災いの元と言われる。まさに、何気ない言葉が、相手を傷つけたり、相手を怒らせたりすることを表している。だから、どのように受け取られるのか判らないことを前提に考えて言葉を使わなくては、言葉というのは大変危険なものになるのである。

ましてや、リーダーたるもの、言葉の持つ力は極めて大きいことを知る必要がある。単に、言葉は、意味を表すのではなく、リーダーの意図を示すものなのである。』と述べた。

「それはあなたの仕事でしょう」と言ったとする。この言葉を主が妻の場合、夫はどのように感じるだろうか。あるいは、この言葉の主が姑だとすれば、嫁はどう感じるだろう。またあるいは、この言葉の主が上司ではなく部下だったらどうか。

このように全く同じ言葉であっても、言う人、言われる相手によって、さらにはその二人の信頼関係、あるいは言葉を発した時の環境、その場の雰囲気、言われた時の心理状態によっても相当に変わるものだ。

まさに口は災いの元である。以前言った同じ言葉でも、何気ない一言でも、言われた相手はただ一方的に不満を持つものである。それが言葉だ。

そんな怖い言葉であるが、その言葉を生業(なりわい)とする職業がある。

生業というのは、それで生計を立てるということである。私は、言葉を生業にするということに関して、「言葉が他人に大きな影響を及ぼす」というように定義してみた。さてそれでは、「言葉が他人に大きな影響を及ぼす」ような職業とはどのような職業、あるいは仕事がであろうか。

さてそれでは、「言葉が他人に大きな影響を及ぼす」ような職業とはどのような職業、あるいは仕事がであろうか。

言葉の失言によって、失職してしまうような最も言葉が重要な職業は、政治家であろう。政治家は、有権者に語りかけて賛同を得て選挙に勝つ時もあれば、軽率な言葉を発したために辞任にまで追いやられてしまうことさえある。まさに言葉を生業としている代表的な存在である。

政治家にとって、言葉とは最大の武器であり、最大の自殺行為でもあるのだ。

同じように、言葉を通じて、自分が理解したり、理解することで悲しんだりするような職業、仕事は他にもある。

例えば、医者。お医者さんから告げられる言葉によって、患者は一喜一憂する。悲しみ、驚き、嘆き、戸惑う。医者の診断結果を告げる時、どれほどまでに患者のことを考えて、患者に判り易く、そして患者自身が判断し易いように、患者に語り掛けられるかによって、患者は同じ言葉でも、言葉遣いによって医者の言葉の受けとめ方が異なる。

それは、学校の先生も同じだ。先生の言葉は、日々、生徒に響く。全く同じ言葉でも、先生の言い方一つで、子供たちが反感を持ったり、誤解したりする。時には、先生の一言が、生徒に重大で深刻な気持ちにさせてしまうことがある。

私は、言葉を生業にする人について、「言葉が他人に大きな影響を及ぼす」ような人だと言った。つまり、たった一言で、その言葉によって、相手に大きな影響を及ぼしてしまうような人である。

このことをもう少し絞って見ると、1対nという形で、日々複数の人と言葉で接するような人とすることができよう。政治家も医者も、先生も該当する。

従って、言葉を生業とするということは、「日々複数の人と接し、葉が他人に大きな影響を及ぼす」可能性がある仕事をしている人と断じることができるのではないだろうか。

周囲を見渡せば、そのような仕事をしている人は意外にも多いはず。

例えば、上司もそうだ。

一人の上司に複数の部下がおり、言葉を通じてコミュニケーションを図る仕事をしているはず。

上司がイライラしている時に、その感情のまま部下に接すれば、部下は何らそのイライラに関係なくとも、決して良い気分にはならない。どんなに上司が言っていることが正しくて、論理的にあっていても、部下にはその上司のイライラが伝わり、上司が部下のことなど微塵も考えないで接しているということは自然に伝わるものだ。

そして、経営者。

国民にとって政治家が言葉を生業とする第一位だとすれば、経営者というのは社員にとって、言葉を生業にする第一位の存在である。

経営者の言葉によって、社員は夢を感じ、あるいは、将来を悲観して不安になったりする。経営者の言葉は、社員を一喜一憂させ、そのことを強く意識していなければ、社員の心を簡単にもてあそぶ結果となる。

政治家が、失言したり、軽い言葉を発すれば、こぞって批判するであろう。国民の代表である政治家が、責任感のない軽々しい言葉を使うなという怒りを覚えることもあろう。一国のリーダーであるのに、あまりにも教養もなく、思いやりもないと情けなく思うこともあろう。

そのように感じる感情は、そのまま社内では、その経営者、つまり私に向けられる。

当事者である私が、私はきちんとやっているなどというような愚かなことを言うつもりはない。しかし、私はそのような立場に置かれているのと同時に、私の周辺にいる幹部には、私と同じような立場にいることを知らしめなければならない立場でもある。

言葉の重みを知らせなければならないのである。簡単に「やる」だ「やらない」だと軽々しく無責任な言葉を発するべきでないことを、知らせなければならないのだ。

しかし、それを知らせることとよりも、「お前だって出来ていないじゃないか」と言われないようにする自分と葛藤する。

私が知ってほしいことは、このことである。

「お前だって出来ていないじゃないか」と言われる立場にあるのは、私だけではない。幹部や管理職など、上司と言われる人は全て該当する。それらは、私から言われるのではなく、その部下から、責任感のない軽々しい言葉を使うなと怒りを覚えられ、あまりにも教養もなく、思いやりもないと情けなく思われるのだ。

つまり、リーダーというのは、政治家がそうであるのと同じく、たった一言の言葉の失言によって、失職してしまうくらいの重大な影響を与えるのである。そして、その影響によって、泣き、悲しみ、怒り、戸惑い、失望し、落胆してしまう人がいるのである。

言葉によって、傷つけられる人がいるのである。

そして、そのような位置にいるのが、私であり、あなたなのである。

そう、私たちは、言葉を生業とする仕事をしているのである。その自覚を持つことである。できる、できないではなく、自覚を持っているかということが問われているのである。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年3月26日 05:31