【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


若者について  「活・喝・勝」


何を他人事を言っているんだ、冷たいんだよ、軽いんだよ。

コンピュータのプログラムを作成する時の手順は、実現すべき要件をまとめ、そしてその要件が実現できるように全体像を設計する。そして、その設計書に従って、具体的なロジックをプログラム言語を用いて表現して行く。

つまり、プログラムとは、様々な状況を分析し、考えられる状況に応じて、その後に何を成すべきかをルール化する作業と言えよう。インプットという形で与えられたデータをルール化された内容に従って処理し、アウトプットという形で結果が出される。

"様々な状況を分析し、考えられる状況に応じる"対応を考えるのは人間だ。人間だから、分析が中途半端で、考えられる状況に不足があることだって十分に考えられる。その割合が多ければ多いほど、そのプログラムは使いものにならない。

プログラムというのは、与えられたデータに対し、そのデータを処理するための起こり得ることを予めルール化しておくものだ。しかし、現実の社会では、プログラムのように、与えるデータの形もルール化されておらず、しかも、予めどう対応するかルール化しておけるものばかりでもない。

そして、何よりも、いつ、どんな形で、どれくらいの量が発生するかも規定なく、かつリアルタイムでその対応と結果が求められるものである。簡単に言えば、現実の社会では、コンピュータのプログラムのように単純にルール化できるものではないのである。

しかも相手は人間だ。感情のないデータやコンピュータと異なって、感情のある人間は、同じ事象をインプットデータとして処理しようとても、過去の事例に基づいて分析しようとも、同じ結果が出るというものではないのである。

先日、元プログラマーという若手経営者と話をした。

実に論理的で、理路整然としている。話の流れ、段取りが形式的で、かつ、一つ一つ段を追って進んで行くような感じである。始めの数分間、私は、この青年社長のことを頭が良く、着実で、堅実で、効果的に経営をするようなタイプに思えた。

しかし、彼が話をしている場面から一転して、こちらが話しをして彼が聞く側に回ると、その印象は一変した。

コンピュータのように機械的で、プログラムのように形式的で、その話を聞く様子は、冷たさを覚えるくらいであった。

彼が元プログラマーだからという偏見があるのではない。プログラム作成を生業としていたのだから、思考方法やそれに基づく行動が、ルール化してロジカルに処理しようとしてしまうのはある意味で自然なことなのかも知れない。

ただ、プログラムを作成することと、人と接することは違う。プログラムを作成する技術力が高く、経験が豊富でそれに対する信頼感はあったとしても、初めて出会った人にとって、そんなことは関係ない。

私の話を聞く彼の様子は、一言で言えば、他人事である。

そもそも他人なのだから仕方ないことではあるが、それはすなわち、そこから一歩踏み込んで親しくなろうという気もないように思えたりするものである。冷たく、軽く感じる人を信用したり、信頼できるか、それを本人は気づいていない。

さて、他人事に対する言葉として、当事者というのがある。

当事者というのは、自分のことであり、他人事というのは、自分のことではない。

人間関係の中で、関係を築こうとするには、当事者意識を持ったもの同士でなければ確立されない。

あるチームの中に、たった一人、チームの一員としての意識がなく、チーム内の他のメンバのことは他人事だから無関係だというようなメンバがいたら、残りの9人が当事者意識を持っていたとしても、そのチームは決してまとまることはなく、そしてチーム力も発揮できないであろう。

それはチームとまでではなくても、ある目的を持った仲間、あるいは県人会のようにある一定の共通点をもった人たち、さらにはビジネス関係など、どのような人間関係であれ、そこに集う当事者意識がなければ関係は上手く行かない。

他人事というのは、自分には関係ないということである。

相手の話を、鼻から他人事という感情で聞いていれば、それに対するやり取りは会話は、無機質で、正論で、時には軽く、そして冷たく感じるものである。

上司と部下の関係でも同様な場面がある。

部下が上司に相談する時、上司が部下の身になって当事者意識を持っていなければ、上司からの指示は、無機質で、正論で、時には軽く、そして冷たく感じるものである。そのように受け取った部下は、その上司を好きになるはずもなく、そればかりか信頼も信用もしないであろう。

一方、上司が部下に指示する時。部下は、組織のおかれた状況、組織全体の問題点を、自分の問題点として当事者意識を持つことができれば、その部下は、自律的に、自発的に本気で知恵を出し、問題解決に向けて本気で行動しようとするであろう。しかし、当事者意識がなく、他人事のように上司の指示を聞いていたら、絶対にその部下は指示を忠実に守ることなどしないであろう。

このように当事者意識を持つという姿勢は、人間関係を円満に構築する中で、とても重要なことである。逆に言えば、他人事になってしまうということは、それと関わりと持ちたくないという心の表れであり、当事者になりたくないということを暗に表明していることなのである。

会社の中では、報・連・相というのがある。

報告、連絡を通じて、上司は部下の、部下は上司の当事者意識を感じる。もし他人事のような感じを受ければ、その上司とは、あるいはその部下とは決して相談できる関係にはならない。なぜなら、自分と関わりと持ちたくないと表明している人に、誰が相談しようか。

つまり、相談とは、当事者意識を持てる人にしなければ無駄ということである。

無駄ならまだしも、他人事のように話しを聞くような人に相談してしまうと、無機質で、正論で、時には軽く、そして冷たく感じ、相談したことほうが空しく、そして悔しくがっかりすることであろう。当事者意識を持てない人とは、人間関係が構築できないということなのである。

人の話を聞く時は、聴くのである。相手が何を言いたいのか、何を伝えたいのか、身を入れて聴くのである。ただ、口が動いているのをただ眺めて聞いているふりをするのではない。自分本位で、自分が言いたいことだけに夢中になり、人の話には他人事では、信頼できる関係にはならないであろう。

ところが、そのような人であっても、相手には当事者意識を持って、自分の話を聴いてほしいと思うものだ。人の話は聞かなくても、自分の話は聞いてほしいと考える、それも自然なことなのかも知れない。

彼もそうだった。

一生懸命に、会社のサービス内容について、技術的な高さをアピールし、質の高さに妥協しないという理念を伝えたかったようだ。

「それは素晴らしい。そのようなサービスを、御社ではどのような組織体制で実現しているのですか」と私は尋ねた。

「社員は3名しかいないので、体制などありません。」

「それはまた素晴らしい。そんな少ない人数で、このサービスを実現したのですか」

「いえ、実はまだ開発途中で、構想をまとめただけです。3名も先日入社したばかりで。開発は私が自ら行っています。社員が中々定着しないものですから」

どうやらその彼は、結果として当事者意識を持った組織が構築できないことに気がついているようだ。

自分が当事者意識を持って相手の話を聞くことができず、他人事のような態度を見せるような社長が、当事者意識を持つ社員を集められるはずもない。それに気付いていないのだから、そのサービスの実現も、あるいはその会社の組織も構築できるはずもなかろう。

その社長が、元プログラマーだからそうだというつもりはない。

プログラマーであれ、そうでなくても、現実の人間社会というのは、プログラムのように、与えるデータの形もルール化されておらず、しかも、予めどう対応するかルール化しておけるものばかりでもない。そして何よりも感情がある人同士のやり取りなのである。

過去の経験や形式、正論を並べても、無機質で、軽く、そして冷たく感じるものである。それは単純に言えば他人事を唱えているに過ぎないのである。

「何を他人事を言っているんだ、冷たいんだよ」

と思われたら、何年も付き合っている人でも、例え今知りあったばかりの人でも、その人とは当事者意識を共有することはできない。つまり、信頼関係は築けないのである。

「何を他人事を言っているんだ」と言われていないか、あるいは相手に思われていないか。もし、無機質で、軽く、そして冷たく感じられているとすれば、それは過去に、自分はそのことに関わりを持ちたくないということを、他人事という姿を通じて表明したことがあるのである。

一度でも「あの人は他人事しか言わないから」と思われたら、信頼を勝ち取るにはそれなりの当事者意識を見せなければならないであろう。それはそう簡単なことではない。

「何を他人事を言っているんだ、冷たいんだよ、軽いんだよ。」

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2010年3月30日 05:33