浄土真宗は、親鸞が開祖したということは学校の授業で習ったから知っているようなもので、浄土真宗がどのようなものであるかなど全く知識がありませんでした。
親鸞と言えば、僧侶として最初に肉食妻帯を敢行したことで知られています。型破りなことをした僧ですから、世間からは非常識だと批判されたかも知れません。
以外にも実際には、最初に肉食妻帯をしたのは親鸞ではありませんでした。
親鸞は、4歳で父親を亡くし、8歳で母親を亡くしました。両親の死によって、まだ9歳という幼さで比叡山に出家したのです。
その後、親鸞は比叡山で20年もの間修行をします。親鸞がそこで目にした他の僧たちは、自分たちの煩悩による行動は公表せずに隠しているという事実です。陰で女人戒を破り、妻帯しても判らないように隠していたのです。当時は秘密であると言いながらも、そのようなことが行われていることは多くの人が知っていたようです。
親鸞は、嫌気をさして、比叡山を下山します。親鸞は、堂々とすべきだと思ったのでしょう。事実でありながらそれを隠し、その上で人々には厳しい戒律を設けるということに疑問を感じたのでしょう。
親鸞が比叡山を下山する時、同じく下山したのが年上の法然です。
法然は43歳の時に、浄土宗を開きます。当時、仏教・天台宗は、貴族や出家した僧のためのものでした。そこで法然は、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、誰でも極楽往生できるとして、庶民にまで仏教が広がったのです。罪を犯した者さえを救うものであったので、その広がりは一気に早まりました。
この様子は、現代のイスラム教が一気に増えているのと似ているかも知れません。
親鸞の教えがどうだと言うことは、正直言って詳しく判りません。それよりも、親鸞の生き方に共感を覚え、自分でも同じような行動を取るだろうなと共鳴します。
妻帯するということは、人間として特別なことではありません。それを悪いことと定義され、しかも堂々と破られているにも関わらず、建前を優先して隠すというようなことは、何が道理か判りません。
同じようなことは、現在のイスラム教の社会でも起きています。イスラム教徒の国であるバングラデシュでは、酒を飲みません。
ところが熱心な信者であるにも関わらず、政治家や会社の社長など上流社会の人間は、秘密クラブで毎晩のように酒を飲んでいます。人々を指導する側の上層部が、末端には戒律を求め、自分たちは優雅な生活をしているのです。
このような矛盾は、日本においてもあちこちに見受けられます。これまではそれを『怒』という形でここで取り上げ批判してきました。
瞋(しん)という、怒り、他人を批判したり、思い通りにならなかった時に起こる感情は、他人にとっても、自分にとっても毒であることに、やがて気が付き始めます。このまま『怒』を持ち続ければ、怒りの炎は何れ自分に降りかかり、自分自身をも焼けつくすことになるでしょう。
でも自分自身がその怒りの炎によって、焼けつくされることを恐れているのではありません。
親鸞のように、自分が肉食妻帯をするのに、それを禁止したり、あるいは、肉食妻帯するような人を批判するような資格はないのです。
自分にとっても毒であることに気が付き始めたというのは、毒が恐ろしいのではなく、毒によってもっともっと悪い人間になって行くような気がするのです。自分が望まないことに、どんどんとその方向に引きずられて行くような感覚なのです。
法然が開いた浄土宗は、戒律が厳しくなく、誰でも念仏を唱えれば、極楽往生できるというものです。その考え方は、貴族や公家だけでなく、一気に庶民にまで広がりました。
「ここに入れば、きっと救われる。」、あるいは「きっと良いことがある」と思われたのでしょう。流行のように広がっていったのです。
信仰は朝廷内にも広がり、公家である後鳥羽上皇も浄土宗の信仰者になりました。
面白くないのは、他の仏教界です。
誰でも入信できることから、中には問題を起こすものまで現れるようになります。それに対し、他の仏教界は、教団の解散を求めるようになっていったのです。
そんな矢先、後鳥羽上皇の女房たちが、法然門下の僧侶に心を奪われてしまい、無断で宿泊するという承元の法難という事件が起こります。このことが後鳥羽上皇の怒りにふれ、法然と親鸞などの弟子に厳しい処分が下ることになります。
後鳥羽上皇からも認められていたのに関わらず、この問題のために、法然は土佐に、親鸞は越後に流罪とされます。流罪以降、法然と親鸞は二度と会うことはありませんでした。
このようなことは、現代社会でも起こります。
わが社のベトナムの子会社は、会社を設立した際、ほとんど規則といった規則はありませんでした。
できるだけ自主性を重んじ、ベトナムにおける外資系企業らしく、自由で自立した組織にしたかったのです。
日本と同様に、土日も、日本の祝日も休みとしました。これほどまでに休みが多い会社は、ベトナムでは他にないというくらいの自慢でした。その甲斐あってか、社員は一気に増えました。
他社と比べて特段に高い給与ではないにも関わらず、優秀な大学を卒業し、日本語を学んだ人たちが沢山入社してくれたのです。
しかも、日本の仕事のスタイルや考え方を学んでほしいと、社員を日本に呼んで研修させるようにしました。ベトナムから、無償で会社が研修に行かしてくれるようなところは少なく、社員は楽しみにしていました。
ベトナム人が日本に行けるというのは、夢のような出来事です。日本行を告げられた社員は、さぞかし嬉しかったことでしょう。
ところが日本からベトナムに帰国すると、直ぐに辞めてしまうものが現れました。
折角、日本で研修させても、その経験を持ってもっと良い会社に移ってしまうのです。とても悔しい思いをしました。同時に、多くの費用が無駄になったという思いを持ちました。
そこで次に日本に行く社員に対しては、帰国後に一年間は辞めないようにと誓約書を書かせるようにしました。選ばれた社員は、喜んで誓約書にサインし、日本に行きました。
ところが、それでもまた直ぐに辞めてしまいます。何とも悲しいことでしょう。信じても裏切られることはあるのです。
でも後から振り返ってみると、それほどまでに魅力がある会社では無かったのかも知れません。ただ、その時点では裏切られてしまったという意識が強く、自らを振り返れなかったのも事実です。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2010年4月 5日 05:55