【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


企業経営について  「活・喝・勝」


許す心と許せない自分

タイムカードの不正を行ったと思われる社員と、交渉することになりました。

「不正をやっていない人は、ここにやっていないということをサインして下さい」と誓約書にサインを求めました。

しかし、タイムカードの不正を行ったと思われる社員は、誰一人ともサインをしません。

日本に研修に行く時は、あれほど簡単にサインをする人たちが、なぜかサインしません。サインをしても簡単に誓約したことを破るのに、なぜサインをしないのか判りませんでした。

もしサインをすれば、例えそれが嘘であっても、不正をした証拠はないのです。不正をしていないということになるのです。

もし、サインをしなければ、不正に加担したと言われても仕方ないと判っているのに、それでもサインをしません。

考えられることは、全員が不正をしているか、あるいは、不正をしている人をかばおうとしているのかのどちらかです。

ベトナムでは、全体主義的な考えが強く、仲間を裏切らないような意識が強いのかも知れません。もし、仮に自分は不正をしていなくても、他の人が不正をしていることを知っていたとすれば、裏切り者扱いされるのかも知れません。

何れにしても、彼女たちは、会社に戻るつもりはないようでした。不正したことを認めて退職金が出なくなるよりも、何とかして退職金も含め有利な退職となるようにしたいとの思惑だったのです。

ベトナムでは会社の都合で社員を辞めさせる場合には、2カ月分の退職金と残っている有給休暇の残数を買い取らなければなりません。

彼女たちの要求は、会社の就業規則が法律に抵触している部分を変えるようにすることでした。既に彼女たちは、労働局に訴え、公安にまで連絡していたのです。

ベトナムでは、労働者に対する保護が非常に高い国です。日本の常識では考えられないものも沢山あります。ベトナムの労働法のほうのが、実は日本よりも進んでいるところもあって、フランスなどヨーロッパ諸国と変らないところもあるのです。日本の常識が必ずしも世界の常識とも言えないのです。

しかも私たちの会社は外資系の会社です。裁判になれば、ほぼ100%勝つことはできないと言われています。それどころか、経営者は裁判に振り回され、経営どころでは無くなってしまうのです。

彼女たちだけでなく多くのベトナム人は、そのことを十分に知っているのです。

こちらの目的は、タイムカードの不正を暴くことよりも、労働局への訴えを取り下げ、無事に退職してもらうことになって行きました。

結局、交渉の結果、労働局への訴えは取り下げ、無事に退職してもらうことになりました。

元々は、遅刻や欠勤を隠ぺいしようとしておきたタイムカードの不正です。余程、遅刻になることが嫌だったのでしょう。タイムカードを不正してまでも、勤務時間を多く見せかけようとしたのです。

彼女たちは、最後の最後まで認めませんでした。不正が起こったのは、会社が法律を守らないからだ、会社が遅刻に厳し過ぎるからだということなのです。

急きょ、会社の規則を全面的に見直し、法律に抵触しないようにしました。本来であれば、当然なことです。当然なことができていなかったのは、社長である私の責任です。規則を厳しくすることばかりを考え、自らが法律の抵触していることを放置していたのでした。

このようなことは、ベトナムだけで起こるようなことではありません。

先日、ある小学校の校長先生と話す機会がありました。

校長先生によると、学校には、遅刻に厳しい先生と、やや寛大な先生がいるそうです。厳しい先生は、遅刻した人の名前を黒板に書き出したそうです。寛大な先生は、数分の遅刻は遅刻にしませんでした。

やがて厳しい先生のクラスで、不登校生が出ることになります。遅刻は減って、休みを取る生徒が増えて行きます。遅刻して名前を書き出されるのが嫌で、遅刻しそうになると、体調を崩したと言って休んでしまうからなのです。繰り返しているうちに、休みが続くとやがて不登校生が出てしまうことになったのです。

遅刻という些細なことを許さないために、学校が嫌いになる生徒を生み、あるいは、数分の遅刻で済むところを、丸一日学校を休んで勉強が遅れてしまう生徒まで生んでしまうのです。

遅刻は決して良いことではありません。ただ学校生活全体から考えれば、実は些細なことなのかも知れません。

毎日、毎日、遅刻することは良くありません。時には何かの事情で仕方なく遅刻してしまうこともあるでしょう。たった一人の人が、毎日遅刻するために、止むを得ず遅刻してしまった人まで認められなくなってしまうのです。

ほとんどの人は何ら問題ないのに、ほんの僅かなたった一人が問題を繰り返す場合もあるのです。もし、数分の遅刻は遅刻としない寛大な先生だったら、毎日、毎日、繰り返し遅刻するたった一人の生徒にどう接することでしょう。

寛大で、優しい先生が良いとも限りません。実際に、寛大な先生のクラスは、繰り返し遅刻する生徒に対しても厳しくしなかったため、他の生徒も次第に遅刻するようになり、やがて学校で最も遅刻が多いクラスになったそうです。

このことを教師である妻に話しをしました。

妻は、この校長にも問題があると言いました。

校長は、個々の内容を教師だけの責任に押し付けず、学校の長として、学校全体の問題として、統一した見解を出すべきだと、妻は言うのです。

校長は、このような二つの事象が起きていることを知っていながら、黙認し、現場の教師に対応を任せたのです。その結果、一方は不登校児まで生むことになったのです。

果たして、遅刻に厳しい教師と、寛容な教師とでは、教師としてどちらが正しかったのでしょうか。

どちらが正しいか、自分だったらどのようにしたら良いか、現時点では判りません。

これまでベトナムで取り組んできた方法が、正しくなかったということだけは判りました。厳しくすることだけを考え、逃げ場を無くし、しかも法に抵触するような状態にしているようでは、誰もそれに従うはずがないのです。

ただ寛容な先生が行ったように、遅刻しても、それをしなかったと容認するということはできません。仮にそれが正しい方法だとしても、今はまだそれを受け入れるまでには到底なれていないです。まだまだ時間に関しては、器が小さいのかも知れません。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2010年4月 9日 05:56