【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 8日 『中身じゃないよ見た目だよ。中身がしっかりしているのなら、見た目もしっかりすれば良いんだよ。見た目がしっかりしていても、中身がないんじゃ話にならないが。』


ビジネスについて  「活・喝・勝」


世界を相手にする

韓国のIMF危機と日本のバブル崩壊とでは、その危機の大きさ、重大さが全く異なりました。恐らく、この危機に対する考え方の違いが、やがて日本と韓国の違いになって行くのだと思います。

1997年の韓国の経済危機は、朝鮮戦争以来の最大の国難と言われ、IMFが韓国に介入して財閥解体まで行われました。韓国民の多くが、これまでの発想、これまでのやり方では生き残れないと感じたはずです。

一方、日本は、バブルが崩壊したと言っても、泡が弾けて元に戻っただけですから、国が崩壊してしまうかも知れないというまでの危機意識はなかったのかも知れません。

韓国は、日本の人口の1/3ほどしかおらず、しかも国土も狭いです。これまでのように内需中心の考えでは、自ずと限界が来るというのは誰しもが感じたことでしょう。

そのため多くの韓国人が世界に飛び出しました。世界中のあちこちには、チャインタウンと並んでコリアタウンができるようになりました。日本人よりも遥かに多くの韓国人が海外に住んでいます。

海外に行って気づくことは、日本人は会社として海外に行きますが、韓国人は、個人で海外に行っているのが多いということです。このことは、韓国と同様に、小さな国土しかもたない台湾も同じです。

韓国は、自分の国が崩壊するかも知れないほども危機を感じ、狭い国の中でシェアと取りあうよりも、大きな世界を相手にしたほうが良いと考えたのでしょう。

恐らく韓国は、人口あたりの海外移住者の数が世界一ではないかと思います。それほどまでに韓国人は、世界のあちこちで活躍しているのです。

現在、サムスンなどの韓国を代表する企業は、様々な国から有能な社員を求め、採用しています。そして、社員の半分以上は、韓国人も含め、海外で勤務することを前提に教育を受けて、様々な国で活躍しています。

韓国企業では、世界中から優秀な人材を採用する時、英語ができることを条件にしています。韓国語を条件にすることはしません。

それは、狭い韓国のためにわざわざそのスキルを求めて人材を絞ってしまうよりも、韓国語を求めない代わりに有能な人材を取りたいからです。

ところが日本では、日本語ができる外国人を求めてしまいます。

普通の国では、日本と同様に、母国語の他に、英語を外国語として学びます。つまり、日本語を学ぶというのは、第二外国語なのです。その第二外国語として、日本語が堪能な人を求めているのです。

日本人で、第二外国語が堪能な人はどれほどいるでしょう。英語もできない日本人が多いのに、外国人には、第二外国語である日本語を求めるのです。それで本当に優秀な外国人を採用できるはずがないのです。

そもそも日本企業では、日本人が最も優秀だと思っているのかも知れません。それに対し、韓国企業は、本気で世界をマーケットにしようとしているのです。

韓国の経済危機は、国民の意識を180度変えるくらいに大きな転機を迎えたのでした。

しかし、日本がバブル崩壊後にとった対応は、アメリカ型の企業経営方法を取り入れることだったのです。韓国の取り組みが革命と称するとすれば、日本の取り組みは、改善や改良という程度でしょう。

その代表的なものが、年功序列や終身雇用制を廃止し、成果主義型にするというようなものです。

韓国は世界をマーケットにすることを標榜したのに対し、日本は、働き方とその評価制度を変えることを考え、まだまだ豊富な内需の中で、他国との戦いよりも国内の他社との競争を優先したのでした。

そのために日本には、国内で同じ製品を扱う同業のメーカーが複数存在するようなことになったのでしょう。複数のメーカーが国内で、シュア争いをしていればわざわざ海外に出る必要がなかったのかも知れません。

その結果、成果主義の導入により、組織よりも個人の成果が重視されるようになりました。

そのため、自分の成果のみを考えるようになり、利己主義が台頭する結果を招いたのです。自分が担当する仕事をミッションと呼んで、その境界線を明確にすることで、自分が関わらなくても良いものをも明確にして余計なことはしないようになりました。

誰だって余計な仕事はしたくありません。まして評価に値しないものは関わりたくもないと考えるのは自然です。

しかし、一般的に多くの仕事は、たった一人で行うものではありません。組織で動き、誰かが補完したり、監督したりしながら、それぞれの力が発揮できるようにするのです。

ところが、個人の成果にのみを評価の対象とすると、組織の成果は自分の問題ではないということになります。

わが社の場合、営業職においては、ベトナムも日本も組織と個人の両方を考慮する評価制度を取り入れています。

個人目標の前に組織目標があります。組織目標は個人目標の総和となっています。個人目標を全員達成すれば、当然組織目標も達成できるようになっています。

ある人が達成しなくても、別の人が余計に目標を達成すれば、合計で組織目標を達成することもできます。もちろん、その逆に、自分が目標を達成しても、誰かが達成しなければ、組織の目標を達成できないこともあるのです。

組織目標を達成した場合には、その目標を超えた部分について、個人の成果に応じてインセンティブが与えられるようになっています。例え、組織目標を超えても、個人目標を達成できなければ、その人には手当はもらえません。

一方、どんなに自分の目標を達成したとしても、組織の目標が達成できなければ、達成した人へのインセンティブはありません。

恐らく、目標を達成した人からすれば、「自分だけはやったのに」と不満に思うことでしょう。しかし、組織運営を考えてみると、組織の目標を超えていない状態で、一部の人に手当を与えれば、その分はさらに組織にとってマイナスになるのです。

これはボーナスで考えてみれば判るでしょう。

本来ボーナスは、会社の業績に応じて支払われるものです。会社の業績が良ければ、会社への貢献度によって、ボーナスが配分されます。

しかし、そもそも赤字でボーナスなど出せない状況なのに、個人の目標が越えたからと言ってボーナスを出せば、さらに会社の赤字は増えるのです。

これと同様な考えを、わが社の場合には、組織単位に評価しているのです。その意味は、単に赤字が増えるのが嫌だという理由で導入しているのではありません。それは、利己主義が台頭し、責任感を失わせたくないからです。

(次回に続く)

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

感謝。 毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。

この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。

※このブログは日本最大級の社長動画サイト賢者.TVのランキングで堂々第一位となりました。

投稿者 :堀田信弘: 2010年5月 7日 05:46