【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


世の中について  「活・喝・勝」


働くことの意義

ある調査によると、お金のため、生活のためと答える人が8割を超えるそうです。恐らくそのような人は、宝くじが当たったら仕事を辞めてしまうのです。

では、野球選手のイチローは、既に高給取りであるのに、なぜあれほどまでに苦労をして努力を重ね、試合に出続けようとするのでしょうか。もはやお金だけのためではないはずです。

さらには、専業主婦の人は、お金をもらえないのに、掃除、洗濯をし、子供の面倒をみて、毎日食事の用意をするのでしょう。家事だって立派な仕事のはずです。

古代ギリシャでは、仕事は3つの考え方に分類されていました。

一つは、労働(labor)です。生きるために止むを得ずに働く人たちのことを労働者として捉えていました。決められた時間の間、決められた仕事をする人たちです。

もうひとつは、仕事(work)です。技術を持った職人や大工、彫刻家など、製作することで形に残るような仕事をする人のことを職人(職業人)として捉えていました。彼らは、依頼があった人が満足するように製作することで、それができた時に自分自身も満足します。

最後は、活動(action)する人です。人を相手にして活動する人を指します。子供と接したり、お客と接したり、部下と接したり、あるいは政治家や役人として市民と接したり、裁判間として罪人と接したりするような人たちです。

ギリシャの哲学者アリストテレスは、知識や情報を吸収したり、自分の役割が拡大したり、自分の行動範囲が広がったり、あるいは達成感が感じることができることが理想の生活だと言っています。

理想の生活が実現できるのは、人生の大半の時間を占める職を通じて得られると考えられています。

この考えは、現代社会でも通じるものです。

何のために働くのか、その答えによって、その人の人生観が判るような気がします。

働くことを労働して捉えるのは、仕事として捉えるのか、あるいは活動して捉えるのかで大きく変わるのです。

労働して捉えるとしたら、働くことは我慢することとしか言いようがありません。我慢ができなければ職を変え、我慢した分が報酬であり、生活するために我慢するのです。

仕事として捉えると、自己の満足をどう得られるかがポイントになります。お金ではなく、他人からの評価や、達成感などが左右するのでしょう。

働くことを活動して捉えることができると、もはやその時点で、活動することは働くことではないのかも知れません。時間に制限もなく、誰かのために、誰かと関わるために、自分を犠牲にすることができるような仕事です。

恐らくイチローも、仕事から活動というように変化し、もはや働くという概念で試合に出ているのではないと思います。野球という活動を通じて、自分の足跡を何かに残したいのでしょう。

このように働くことの意義を考えてみると、働くことが好きか嫌いかということに関しても、自然に回答が出るように思えます。

最終的には、自分に仕事が合うとか、合わないとかいうのではなく、結局のところ働く意義をどのように捉えているかどうかに尽きるような気がします。

このことは、子供の学校のPTA活動や、地域の活動などにおいても同様なことが言えます。

PTA活動や地域の活動は、ボランティア活動です。仕事を休んでまで参加しても、一銭にもお金になりません。

草むしり作業などは、誰でもやりたくない仕事です。夏の暑い時や、会社で仕事の予定が埋まっている時などは、できれば早く終わってほしいと思うはずです。

その時に、早く終わってほしいから、早く終わらせようと一生懸命にできるかどうかです。大抵の人は、早く終わってほしいと思っているだけで、それよりも、できるだけ楽をして草取りをさぼろうとします。

こんな人が多いから、益々草取りは進みません。早く終わらせようと一生懸命にやっているほうが空しさを感じてしまいます。

その姿を見て、大半の人は、仕事の内容がどうのこうのと言っているだけで、結局は働くことそのものが嫌いなのだと感じてしまいます。

本来、働くことは、仕事の内容には関係ないのです。

与えられて仕事を、仕事の内容が好きだ、嫌いだと言っているようでは、絶対にそれより大きな仕事を与えてもらえるようにはなりません。

上司から与えられた仕事を、雑用だと感じる人がいます。仕事の内容によって、それが雑用だと考えているようでは一人前にはなれないのです。

本当に雑用しか依頼されないような人だとしたら、それは雑用しから頼めるものがない人だからなのです。雑用ばかりさせられてと、雑に仕事をすればするほど、益々上司からの信頼は得られないでしょう。

雑用だと感じるのは、やりがいのない仕事の内容だからと勝手に判断しているからです。しかし、例え小さな仕事でも、その人に頼んだということは、理由があるのです。その人を信頼していたり、その人を期待しているからなのです。

例えば、社長がコピーを依頼したとします。しかし、考えてみれば、社長が依頼する文書は、社外秘のような文書もあるのです。

それを依頼されるということは、信頼がなければあり得ません。つまり、コピーという作業が無駄なのではなく、信頼されているかということが重要なのです。

仕事の内容で判断してはいけないのです。もし、そのような考えを持っていると、大切な仕事でもあるに関わらず、雑に仕事をすることになるでしょう。

雑用だからと言って雑に仕事をしてはいけないのです。どんな仕事でも雑にすれば、それは雑用になってしまいます。しかし、どんな雑用でも、真剣にやれば、期待に応える立派な仕事になるのです。

一つ一つの仕事の内容ではなく、何を期待されていて、自分は何を果たすのかを考えるべきです。それは例え草取りでも、それを行う使命がある限り、決して雑用ではないのです。

アリストテレスが言うように、理想の生活というのは、働くことに生き甲斐を持って、自分が成長することに楽しみをもって生きられるということなのでしょう。

人生の大半の時間が働くということに費やされます。ある意味で、人間は、働くために生まれてきたのかも知れません。どうせ働くのなら、働くことを前向きに捉え、会社のためというのではなく、自分自身にとってプラスになることだと考えてはいかがでしょう。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2010年5月15日 05:52