人間の顔は変化します。自分の生き方、考え方、行動した結果が、顔を変化させるのです。一年前、五年前の自分の写真を見比べて、どのように見えるか考えてみてはどうでしょう。
そして、他人から自分の顔がどう変化したか聞いてみるのも良いかも知れません。
今の顔は、一年前の顔よりも、どのように成長しているでしょうか。温和になったのでしょうか、神経質になったのでしょうか、器量が大きくなったのでしょうか、勇気がついたのでしょうか。そして、少しは、前向きに生きられるような考え方を持てたでしょうか。
一年前と比べ、自分はどう成長したことでしょう。
一年前の今日、6月2日の自分と比べ、自分の何が、どれだけ強くなったのでしょう。この一年間で、様々な出来事があったことでしょう。それは、あなたにとって、とてもラッキーなことです。
様々なことが起きたと感じられた時点で、様々なことを経験したことの全てが、嫌なことも、辛かったことも、悲しかったことも含め、成長するための材料だったのです。
考えてみて下さい。この一年間、全く何も無かった、穏便で、楽しいことばかりで、辛いことなど無かったとしたら、この一年間で得られたものは何なのでしょう。
仮にそのような人がいるとしたら、それは不幸の始まりかも知れません。それは、自分を成長させるための材料が何も無かったと言えるからです。
過去は何のためにあるのでしょう。
過去を振り返るメリットは、成功や、上手く行ったこと、楽しかったこと、嬉しい思い出でに浸ることではないのです。その逆に、辛かったこと、そしてそれを乗り越えたこと、これを感じられることが最大のメリットなのです。
辛いことを、笑い飛ばして、思い出話のように語れるようになれば、これほど過去の出来事が有意義なことはないのではないでしょうか。
それが、自分の一年歳を老いたという成果だと思うのです。成長した証だと思うのです。
『他人と比較して、他人が自分よりも優れていたとしても、それは恥ではない。しかし、昨年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。』
これは、イギリスの探検家ラボックの名言です。
他人と比較するよりも、自分と比較しなければならないのですね。とても印象に残る言葉です。他人と比較するのが、どれほど無意味かを教えてくれているのです。
人間は、なぜ、自分と比較しないで、他人と比較するのでしょう。他人と比較することで、優越感に浸りたいのでしょうか。
いつも傍にいる社員と比べる人がいます。「自分は○○さんよりも頑張っている」と、上司に自分のほうが高い評価をするように訴えているのです。
しかし、他人と比べて頑張っているということがどんな意味があるのでしょう。仮に、他人よりも明らかに頑張っていたとしても、自分自身と比較して頑張っているのでしょうか。
他人と比較するのではなく、一年前の自分と比べ、頑張っているのでしょうか。あるいは、今の自分は、自分の力を出し切るぐらいに頑張っているのでしょうか。
他人と比べて、しかも身近な社員と比べても小さなことです。どうせ比べるのなら、社外の人と比べるべきです。どうせ比べるのなら、世界の人と比べるべきなのです。
これまでの経験上、他人と比べて自分の評価を高くしてほしいと言い寄る社員は、決して優秀ではありません。自分で、自分のことを正しく評価できないばかりか、自分に偽って自分を実力以上に装い、評価ばかりを気にするような人間が、優秀なはずがないのです。
そもそも評価とは、自分が評価するものではありません。他人に評価されるものです。もし、上司が、自身の自己評価よりも低い評価をしたとしたら、正しい評価がされていないと嘆く前に、自己評価が高すぎると反省すべきなのです。
そして、その反省ができる人ほど、上司の評価が高いということを知るべきなのです。そもそも優秀な人は、どんなに出来の悪い上司であっても、そうでない上司であっても、きちんと評価されるのです。
しかも、優秀な人というのは、どんぐりの背比べのような低い次元での評価など意味がないことを知っているのです。
できれば正確に評価してほしいという人がいます。しかし、それはできません。正しい評価はできたとしても、正確な評価をするのは不可能です。
人間が人間を評価するのに、数点刻みの細かくて正確な評価など意味がないのです。自分と3点だけ違う人と比べ、3点分の給与の差を持たせることがどんな意味があるのでしょう。
30点も40点も違わなければ、差をつける意味がないのです。ほとんど差がつかないような評価制度など評価していないのと何ら変わりありません。上位20%と下位20%以外の人は、どんぐりの背比べて全く差がないのです。
しかも上位20%の人であったとして、昨年と比べどれだけ成果が上がったのかが重要であり、学校の成績のように成績順に並べれば良いというものではないのです。
但し、このような評価に対する考え方は、評価する側の論理なのですね。評価される側は、できれば少しでも高く評価されたいと考えるでしょうし、本当に正しく評価されているのだろうかと疑問に思うのも自然なことでしょう。
評価される側は、一方的に評価する側の考えで左右されてしまい、評価する側に気に入られるようなふりをする人が表れるかも知れません。評価者におべっかを使った人のほうが高い評価がされると考えることでしょう。
評価されるというのは、気持ちの良いものではありませんね。勝手に他人が自分を評価し、自分は頑張っているつもりなのに、優劣をつけられるということはやりきれないこともあるでしょう。
評価する人は、そのことを理解しなければならないですね。評価する人は、必ず自分も過去に評価される側にいたのですから、評価される人の立場になって、公平に評価できるようにする必要があるでしょう。
そして、他人と評価するのではなく、昨年の自分と比べて成長したかを、評価すべきなのだと思います。
ちなみに、社長の場合、社長自身は、社内から評価を受けるものではありません。業績という形で、顧客の評価と、社内全体の評価を受けるのです。
そこには人事考課のような面接があるはずもなく、明確な評価システムがあるのでもないのです。
前年度と比べて伸びたのか、悪化したのか、比較対象はあくまでも前年度、それが社長の評価なのです。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2010年6月 2日 05:48