キリストは、「悪人に手向かってはならない」。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」という戒めの後に、「誰かが、あなたの右の頬を打ったなら、左の頬を向けなさい。」と言っています。
キリスト教の観念の根源には「許すこと」があります。過ちや罪や悪行を決して忘れてはならないが、それは許されるべきであると考えられているのです。聖書には、敵をも愛しないと書いてあります。
しかし、中々そう簡単に許せるものではないのですね。特に、仏教徒の多い日本では、どうやら「許すこと」が苦手な人種のようです。
国連規約人権委員会は、日本政府に対し、世論調査に関係なく死刑制度の廃止を検討すべきだと勧告しました。
日本の死刑制度の世論調査によると、1975年には死刑廃止に賛成する人が20.7%であったものが、年々減少し、2009年には5.7%まで下がっています。
日本国民は、死刑制度の継続を望むほうが圧倒的に多いばかりではなく、益々増えており、これは他の諸国では見られない現象なのです。死刑廃止をする国が増えて行く中で、国連から勧告されるほどに、異常なまでに「許すことができない」国民なのです。
これはどうしてなのでしょうか。
自分の子供が殺されたら、犯人を殺したいと思うでしょうと言われます。死刑というのは、自分が直接手を出すのではなく、それに代わるものだから必要だというのが大部分の意見なのです。実に国民の95%がそのように思っているのです。
ただ、実際に自分に経験がないので、理解できないのですが、もし、殺したいほど憎い犯人が、死刑になったとしたら、気持ちは晴れるのでしょうか。少なくても、殺された子供が戻ってくるはずが無いことは明らかです。
そのような国民が、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と言われても、中々理解できるものではないでしょう。
恐らく、キリスト教の信者でも、身内のことだったら、そう簡単に許せないという感情が生じるのは誰しも同じことでしょう。
一方、仏教には、諦観という考え方があります。なぜそのような結果になったのかを考え、その原因を明らかに観ることです。
これを悟って諦めると言います。ところが、現代では、悟ることがなくなり、単に、物事をそこで止めてしまうという意味の諦めるだけになってしまいました。
本来、諦めるということは、現代のようなネガティブな意味ではなく、原因を明らかにして次に備える、次に向かうということですから、ポジティブな意味なのです。
このように考えると、悟って許すということと、悟って諦めるということは、何となく感覚的に似ているような気がしませんか。
どちらも事実を受け止め、受け入れて、次に向かうということなのです。起きたことに捕らわれて、いつまでも嘆き悲しみ、動けない状態でいるのではなく、その苦しみから一歩抜け出すことなのです。
宗教的な考えを論じるつもりはありませんが、宗教には人間が、優しく、前向きに生きられるようにするための考え方が込められているのです。
このことを知ることは有意義なことです。
牧師や坊主ではないですから、他人を許しなさいだとか、悟りなさいなどというようなことは言いません。自分自身で、そのようなことができるはずもないのですから、言っても意味がないことです。
ただ、生きるための術として、どうせ生きるのなら、前向きに生きたほうが遥かに幸せだと思うのです。
しかも、幸せだと思えることこそが、幸せなことなのだと知ることもできます。幸せだと思えば、幸せなのです。不幸だと思ったら、とことん不幸なのです。そのように前向きに考えれば、大概のことは小さなことだと思えることでしょう。
幸せな状態にいる時というには、幸せだと感じることができないものです。嫌なことや辛いことが起きて始めて、その前が幸せであったことを知るものなのです。
幸せと同じようなものに、幸運というものがあります。チャンスというように言い換えることもできるでしょう。
イギリスのことわざに「幸運の女神には前髪しかない」というのがあります。一度チャンスが通り過ぎてしまったら、後から追いかけて後ろ髪を掴もうとしても、 チャンスを掴むことはできないと言う意味です。
さて、幸運の女神というのは、どこに現れるのでしょうか。
チャンスを与える側の考えを知れば、判るかも知れません。そこで、会社の中では、どのようにチャンスを与えるか考えて見ましょう。
上司は、何人かの部下がいるとき、誰にチャンスを与えようとすることでしょう。
上司は、間違いなく、チャンスをものにしてくれそうだと思える人に与えることでしょう。チャンスをものにしてくれそうだという意味は、二つあります。
一つは、能力があり、結果が期待できる人です。
もう一つは、信頼でき、信用できる人、あるいは、好きな人です。
この二つが合致しなければなりません。能力があっても、上司が信頼できない人には、チャンスを与えようとしないでしょう。もちろん、嫌いな人にもチャンスは行きません。
その逆に、どんなに好きな相手でも、能力がなければ、失敗するような人にチャンスを与えることはできないでしょう。
また、チャンスというのは、その時のタイミングも重要です。どんなに適任な人がいても、どうしても外せない仕事を行っている最中であったり、あるいは、家族の事情などでどうしても担当できない場合もあることでしょう。
つまり、チャンスというのはいくつかの条件が揃わなければならないのです。
総じて言えることは、幸せな人にチャンスは回ってくるということです。幸せな人ほど幸運の女神がやってくるのです。後は、そのチャンスが通り過ぎないようにしっかりと掴むことができるかどうかです。
いつも前向きで、柔軟な人は、どんどんチャンスを掴むことでしょう。しかし、どんなに条件が合致していても、リスクばかりを考え、慎重になっていれば、女神はそんなに長い時間待ってくれません。
最も知らなければならないことは、一度チャンスを逃すと、再びチャンスが訪れるまでは相当な時間を要するということです。その逆にチャンスを掴むと、再びチャンスが回ってくるものです。
チャンスをものにした同じ人にチャンスが行くということは、チャンスを逃した人には、しばらくチャンスが行かないという単純なことなのです。
運も実力のうちと言いますが、上司の視点からすると、なるほどそうだなと思えるはずです。また、幸せの条件は、前向きだということです。後ろ向きな考えで幸せになどなれないのです。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2010年6月 8日 05:50