【堀田信弘の今日の語録】 2010年9月 8日 『中身じゃないよ見た目だよ。中身がしっかりしているのなら、見た目もしっかりすれば良いんだよ。見た目がしっかりしていても、中身がないんじゃ話にならないが。』


悲しい出来事  「活・喝・勝」


生と死と

行動するということを、突き詰めて考えてみると、出会いとでも言えるのではないでしょうか。

例えば、新しい何かを身につけようとします。最初の行動は、本を読んで知識を得ようとするところからかも知れません。それなら誰の力も借りずにできるでしょう。

次に、どこかのスクールやサークル、あるいはセミナーに参加しようとします。本を読むだけでなく、体験者の話を聞いたり、同じ目的を持つ人がいるところに参加することは大きな意味があります。

そして、そこで出会いがあります。元々何かを身につけるための一歩でしたが、それを通じて出会いがあり、新しい世界が開けるのです。

極端な言い方をすると、出会いがなければ行動していないのと一緒とも言えるでしょう。

人は、行動すれば、必ず出会いがあると言っても過言ではないからです。

人生という時間は、容赦なく過ぎて行きます。どんなに忙しくしても、暇でベットの上に寝転んでいても、時間は刻一刻と過ぎて行くのです。過ぎ去って行くのです。

過ぎ去った時間は、二度と取り戻すことはできません。苦労して辛い思いをするのなら、じっとしていたほうが良いと考える人もいるでしょう。でも、それは、死ぬ前に、病室のベットに寝かされて、カウントダウンを待っているのと何ら変わらないではないですか。

先日、ある人の娘さんが、お腹がいたいと病院に行きました。すると、その場で癌であることが告げられたそうです。

しかも、余命数ヶ月。

昨晩まで楽しい団欒を過ごしていたのに、まさかこんなことが起ころうとは夢にも思わなかったそうです。

「自分の娘だったら、どのように伝えますか」と尋ねられました。

そんなこと考えてもみなかったので、答えることができませんでした。

しかも、もし自分自身だったら、僅かな余命期間を知らされて、どうするだろうか、と考えさせられてしまいました。

恐ろしいことでしょう。泣いて、嘆くことでしょう。発狂するかも知れません。

現実に真剣に考えたことがない人は、「そんなに長生きしたいと思っていないから」と平気で答えるでしょう。しかし、それは余りにも軽率で、思慮の浅い考えです。死を直面していない証拠です。

死を考えることは重要なことです。死をしっかりと真剣に考え、死を軽んじていないということは、生を真剣に考えていることの裏返しなのです。

どう生きるかということは、どう死ぬかということなのです。生と死は一体なのです。

人生という時間は、容赦なく過ぎて行きます。どんなに忙しくしても、暇でベットの上に寝転んでいても、時間は刻一刻と過ぎて行くのです。

いざ病に倒れ、いつ死ぬかも知れない状況におかれた時、自分の人生をどのように振り返ることでしょう。

やり残したことが沢山あるはずです。まだまだやりたいことが沢山あることでしょう。それは、どんなに一生懸命に生きていたとしても、好きなことだけをしていたとしても、寝転んでいたとしても、同じです。

簡単には、死ぬ直前に、自信を持って悔いがないなどと言えないはずです。ただ、できるだけやらなかったことで悔いることのないような生き方はしたいものです。

死を考えて、やらなかったことを悔いることのないようにと、今、生きている間に、できることは何でもやってみようという気持ちになることでしょう。

今やれることは、明日では遅いのです。今、やれるのを明日に引き伸ばしていたら、明日やることは、さらに翌日になることでしょう。それで、悔いのない生き方などできるはずがないのです。

今やれることは、今やるのは当然ですが、明日やれることを、今からやれないかを考えるべきなのです。明日は、何が起こるか誰にも判らないのですから。

そんなに生き急いでどうするのという考え方もあるかも知れません。でも、それは、自分の寿命が永遠に続く、あるいはまだまだ残り沢山あるという前提に立っているからでしょう。

それとも、そんなに焦ってどうするのと思っているのかも知れません。でも、焦るってどういうことでしょう。慌てているということでしょうか。ジタバタしているということでしょうか。

それは全く逆です。死ぬ前にジタバタしたくないのです。死を目前にして、つまらない人生だったと思いたくないのですよ。それに、いつその日がやってくるのか誰にも判らないのですから。

しかし、誰が寿命を予測できますか。1年後の自分を、10年後の自分を予測できますか。

父の時もそうでした。2時間前では何でも無かったのに、突然に、その時はやって来たのです。

人間は、死を選ぶことはできません。いつ、どこで、どんな状態で死ぬかは、誰も判らないのです。しかし、死を選ぶことはできなくても、どう生きるかを選ぶのは自由です。しかも誰でもできるのです。

どう生きるか。それは、やったことを後悔するより、やらなかったことに後悔しないような生き方をすることではないでしょうか。そして、何をやるかは、誰もが自由に選べるのです。

人生という時間は、容赦なく過ぎて行きます。時間は刻一刻と過ぎて行くのです。何も大それた生き方を論じる、考えることを言っているのではありません。

ただただ、一日の時間を大切にしたいのです。砂時計の砂が少しづつ無くなって行くのをボーっと見ていても、もったいないのです。時間を捨てるようなことしたくないのです。

だから外に出て、行動したいのです。辛いことも、悲しいことも、嫌なことも、それは、人生を生きている証なのです。それも含めて、人生を楽しもうではないですか。

人生なんかつまらないと考えているとしたら、それは、つまらないことばかりしているか、何もしていないかです。

人生には楽しいことも嫌なこともあって、様々なことが起きるのです。それを承知で面白いと思えれば、人生面白いはずです。面白い生き方をすれば、面白いことが次々に起こるのですよ。

その中で、嫌なことが起きても、後から振り返れば、間違いなく面白いことですよ。それが面白い生き方というものです。起きること全てを受け入れれば良いだけなのです。簡単なことです。

人生が楽しくなると、もっともっと時間がほしくなるはずです。やることが一杯あって、とても時間が足りなくなるはずです。無駄な時間など全くないはずです。それが、充実した生き方というものです。

限りある人生、刻々と進む時間、それを意識するということは、生きるということを意識するということなのです。死を意識すればこそ、真剣に生きることができるのです。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2010年6月12日 05:52