あの人とは価値観が違うという人がいますが、そもそも価値観とは何なのでしょう。
あるモノを見た時に、同じ価値観を持つということでしょうか。辞書で価値観を調べると、『いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断。』とあります。
つまり、価値観が違うということは、物事に対し、一方は価値を認め、一方は価値を認めないということなのです。
でも、生きていると、様々な事象が起こります。テレビや映画を見てもその感想は異なることでしょうし、食べ物の好き嫌いだって異なることでしょう。
いつもいつも価値観が同じだ何てあり得ないのです。
一旦価値観が違うと決め込んでしまうと、相手のやることなすことが、嫌に目に付くようになることでしょう。
そのことはひるがえってみれば、自分にも同じことが言えるはずなのに、相手にだけそれを感じてしまうのは、如何なものでしょう。詰まることころ、お互い様の気持ちがあれば、何とか乗り越えられるのに、それが中々できないのですね。
人生を生きていく中で、お互い様という気持ちはとても重要だと思います。
他人に迷惑をかけてはいけない、とよく言われます。迷惑をかけるような行為は悪いに決まっています。
しかし、迷惑かどうかは、受け取る側の主体的なものであり、客観的なものではないのです。
例えば、事務所の中の電話。仕事に集中しようとしている時に、隣の席の人が電話をしていたら、迷惑なことでしょうか。
集中しようとしている側から考えれば、集中できずに迷惑だと感じる人もいるかも知れません。しかしだからと言って、会社の事務所というところで、電話で話すことを禁止することが妥当なのでしょうか。
今度は電話で話す側から考えてみて下さい。電話でお客さまと話すという行為は、仕事に集中しようとしていると何ら変わりのない、仕事の一部です。その仕事をするのに、禁止されたり、外で話すようにというのは、仕事にならないということでしょう。
そもそも迷惑というのは、受け取る側が主体的に感じるものなのです。勿論、意図的に迷惑をかけるような行為はよくないですが、迷惑をかけずに生きている人などいるのでしょうか。
そんな人はまずいません。
毎月のように障害者のイベントに出かけますが、障害者は好きで障害者になった訳ではありません。好きで、不自由になって、好きで迷惑をかけようとなど誰も思っていないのです。
しかも、多くの人は、死ぬ直前には、障害者と同様になることでしょう。死ぬ直前ではなくても、明日にでも交通事故に巻き込まれて障害者になることだってあるのです。
痴呆症の老人だって同じです。好きで痴呆症になったのではないのです。好きで痴呆になり、迷惑をかけているのではないのです。そして、自分だって必ず年老いるし、痴呆症になるかも知れないのです。
「私は他人に迷惑をかけていない」と言う人がいますが、本当にそうなのでしょうか。
そんなことはありません。
その人は自分が迷惑をかけている自覚が無いのです。繰り返しますが、迷惑というのは受け取る側が主体的に感じるものなのです。
だから、どんなに自分が迷惑をかけていないと思っても、相手が感じることですから、自分は迷惑をかけていないなどということは言えないのです。
例えば、買い物をして、大きな荷物を両手に持ってゆっくりと歩いているとします。両手に重い荷物を持っているのだからと当然なことです。
しかし、その後ろに、とても急いでいる人がいたとしたら、急いでいる人の側から見ると、前を譲らずゆっくり歩いている邪魔な人と思えるかも知れません。
大きな荷物を持ってゆっくりと歩いている人は、特段のマナー違反をしている訳でもありませんし、後ろに目がついている訳ではないですから、急いでいる人がいることに気がつかないのです。
もちろん、客観的に捉えれば、荷物を持ってゆっくりと歩いているからと言って、迷惑をかけているとは言えないでしょう。しかし、迷惑というには、相手が勝手に主観的に感じることなのです。急いでいる人が感じることなのです。
他人に迷惑をかけていないと言うような人ほど、自覚がないのですから、絶対に反省しません。 反省できないのです。自分は悪くなく正しいと思っているのですから、これほど迷惑なことはありません。
迷惑をかけないで生きることなどできないのです。誰もが迷惑をかけながら生きていると言っても過言ではないのです。だからこそ、お互い様の気持ちが重要なのだと思います。
人に迷惑をかけないというのは、他人に借りを作らないという気持ちが働いているのではないでしょうか。そして、自分だけは完璧な人間だと自負し、他人と自分とを線引きをしているように思えます。
それは、少し離れて見てみると、冷徹にも見えますし、損得勘定で生きているようにも見えます。
人間は、生きていたら絶対に迷惑はかけます。だから、迷惑をかけたという自覚ができることが大切なのではないでしょうか。お詫びをしたり、感謝をしたり、反省したりできるということが、人間らしいのです。
それが、お互い様という考え方ではないですか。 その考えを持てれば、互いの違いを乗り越えることもできることでしょう。
一方が悪い、良いと言っても始まらないのです。強いて言えば、相手を認めることができないほうが悪いのです。お互い様という気持ちが持てないことが悪いのです。
人生、お互い様だらけです。
人間は一人では生きて行けないのですから当然です。
お互い様という言葉は、良い言葉だと思いませんか。
本当に困っている時に、「お互い様だから気にしないで」と言われると、目頭が熱くなってしまうくらい感動する時があります。
このことは、多くの障害者とそれを支える家族、そしてボランティアの人と出会ってから、お互い様という精神の大切さを感じさせてくれました。これを知ったのは、本当に宝物です。
お互い様という意識を持つようにすると、寛大になり、寛容になり、相手の立場なれ、相手を許すことができるようになります。
そして、今、起きていることを在りのままに受け止めることができるのです。すると、生きていることで、人々の関わりが温かく、優しく感じることができるでしょう。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2010年6月30日 05:58