自分が相手に時間を守ってもらえなかったとき、自分のスケジュールだけでなく、その後のお客さまのスケジュールまで影響を与え、時間を気にしない、仕方ないでは済まないことを経験します。
このような経験は、会社に入って、外の人と接するような仕事をしなければ中々経験できないのかも知れません。社内だけにいて、相手と時間を合わせるというようなことがないと、時間を守らないと相手に迷惑をかけるということを理解できないのでしょう。
これまでは「規則が厳しい」と不満を言っている社員がいましたが、そのような人に限って、遅刻が多いものです。ベトナム人だから全員が守れないのではなく、最初からずっときちんと出来ていた社員もいるのです。
時間を守るというのは、約束を守るということの基本なのです。時間を守れない人が、約束を守ることなどできないでしょう。約束を守れないということは、規則も守れないということです。
約束を守れない人は、自分との約束も守れません。自分との約束が守れない人が、他人との約束など守れるはずがないのです。
自分との約束とは、自分がやると決めたことや、自分がやめると決めたことを、継続することができないということです。つまり、意思が弱いということです。
会社や上司から、遅刻するなと言われて、しぶしぶ仕方なく「次回からは遅刻しません」と答えている間は、恐らく再び遅刻することでしょう。それは、ある意味で仕方ないことです。本人が納得して何が何でも遅刻しないと思っていないのですから。
厄介なことは、誰からか言われたのではなく、自分自身で、「よし、明日からは早く出勤しよう」と自分に約束したのに、それを守れないことです。自分でやると決めたのに、それを継続することができないのですから、他人に言われても治るはずがありません。
人間は、他人に対して、約束を守れない、言ったことと違うではないかと問い詰めますが、そういう自分は、自分が自分とした約束を守れているのでしょうか。自分に問い詰めてみてください。
他人に言うことは簡単です。このように言えば、言ったことは、そのまま自身に跳ね返ってきます。「そう言うお前はできるのか」と、言われるのです。
上司やリーダーというのは、部下に対して、言う側です。その言う側は、「そう言うお前はできるのか」といつも言われているということを認識しなければならないのです。
他人に言う前に、自分ができていなければならない、そのことは、上司やリーダーだけでなく、誰しもに言えることでしょう。
散々約束を破っている人に、「あなたは約束を守らない」と言われても何の説得力もありません。泥棒に泥棒をするなと言われているようなものです。
しかし考えてみれば、他人との約束を守ることよりも、自分との約束を守ることのほうが難しいのです。
他人とは、約束を破れば迷惑をかけるし、大きな問題にもなることでしょう。しかし、自分との約束を破っても、自分に迷惑をかけるわけでもなく、大きな問題にもなりません。
そもそも、あなたは、自分と何か約束をしていますか。
どんな約束をしていますか。今でも、それを守れていますか。それとも、何も約束していないですか。
何ら自分と約束をしていないという人は意外にも多いようです。なぜ約束をしないのでしょう。守れないからですか。約束をするものがないからですか。それとも自分と約束をする意味も必要もないからですか。
多くの人は、自分と約束して、堅苦しく、息苦しいようなことなどしたくないというのが正直なところではないでしょうか。それは、私も同じです。
100ドル紙幣に描かれているアメリカの独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンは、次のように言っています。
「人との約束を守る前に、まず自分との約束を守れ。自分をコントロールできれば、自分を高めることはたやすい。しかも、自在感が気持ちいい。自分をコントロールできるようになるには、自分と小さな約束をいくつも結び、それを守ること。」と言っています。
さらに、「忍耐ができる人は、欲するものを得ることができる」。あるいは「怠けているのを自分自身に見られていることを恥じなさい」とも言っています。
つまり、自分との間で小さな約束を作り、それを守り、忍耐できる人は、何かを得られ、一方、自分との約束も守れず、怠けている人は、そのことを自分が一番知っているのだから恥じなさいということなのでしょう。
自分のことは、自分自身が一番知っています。天から神さまでさえ見えていないことも、自分自身では十分に見えているのです。
自分が頑張っているか、自分を磨こうとしているか、あるいは、怠惰で、堕落した、退屈して人生を過ごしているかは、自分自身が知っているのです。
その自分を、誰からか言われるでもなく、自分のために、自分をどう変え、どう成長しようとするかは、自分次第なのです。そして、それを成し遂げるには、自分をコントロールできる意思と、行動力が伴わなければならないのです。
初めから立派な人間などいません。どんなにどんなに自分を磨き、見直しても、他人からすれば、まだまだ欠点だらけに見えるのも自然です。ただ、他人からどう見られるかということが重要なのではなく、自分の人生をどう楽しむかだと思うのです。
楽しいという意味は、それぞれにおいて価値観は異なることでしょう。フリーダムのように、何の規制も束縛もなく、笑って、気楽に暮らせれば良いと思う人もいることでしょう。
どちらかと言うと、私もその一人です。しかし、それを実現するには、何の規制も束縛もなく、笑っていれば気楽に暮らせるかというと、全くその逆になるのが、この世の常なのです。
ベンジャミンが言った「忍耐ができる人は、欲するものを得ることができる」という言葉が端的に表しているようです。忍耐できない人だから、怠惰で、堕落した、退屈な人生を送ってしまうのではないでしょうか。
一般の人が、宗教家のように自分自身に戒めを課し、哲学者のように自分の信念を貫くというような高貴な生き方など、そう簡単にできるはずもありません。私だって、偉そうなことは言っていますが、完璧な人間であるはずもないことは十分に認識しています。
けれども、自分との約束を持つということは、戒めというよりも、自分の理想を追い求めて歩いているような気がして、ほんの僅かですが、爽やかな気分になるものです。
(次回に続く)
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投稿者 :堀田信弘: 2010年7月10日 05:35