【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


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自信過剰の落とし穴

「気づき」というのは、コンサルティング用語なのです。人間が、自分や自分の会社を改善するためには、この気づきが必要とされており、問題点に気づかないと反省も、対処もできないのです。

問題点に気づくことによって、品質や、生産性や、組織の改善をしようとする原動力となるのです。

人間で言えば、自分の問題点に気づくということは、対人関係を向上させたり、交渉力や折衝力をアップしたりと、少しでも成功体験を増やすための成長の源なのです。

気づきがなければ、成長も進歩はないのです。だから、素直になって、気づこうとする気持ちを持つことは重要なのです。

失敗や嫌なことばかりが重なってしまうと、愚痴を言ったり、機嫌が悪くなったりして、素直な気持ちが薄らぐものです。いつも、他人のせいにしたり、イライラしたりするのは、自分の問題に気づこうという意識が欠如しているのです。

しかし、最も成長したり進歩したりするのは、むしろ、そのような失敗や嫌なことばかりが重なってしまっている時なのです。上手く行って有頂天になっている時は、気づこうという気持ちなど生まれないのですから。

だからこそ、反省というのは重要なのです。失敗や嫌なことがあった時には、「自分は悪くないのに」とか「自分は一生懸命やっているのに」とかと自己防衛、自己保身して、誰かや環境、状況のせいにせず、ただただ反省するのです。

自分のせいだと思えば良いのです。悔しいかも知れませんが、そのように反省の気持ちが生まれるような、考え方に自己暗示するのです。

そうすれば、反省から感謝が生まれ、やがて素直になれるでしょう。そして、その時こそ最大の気づく機会を得られることでしょう。

これは、自己暗示を通じた訓練です。しかし訓練というほど大げさでなく、それほど難しいことでありません。愚痴を言う前に、反省すれば良いだけですから簡単です。

問題は、失敗や嫌なことが起きている時ではなく、上手く行って有頂天になっている時のほうです。どんなに気づけと怒鳴りつけても気づけないのです。これが一番厄介なことです。

このことは、上手く行って有頂天になっている時だけでなく、自分は他の人より優れていると自惚れている時も、同様に気づくことができません。

何れの場合も、気づく必要を感じていないのですから当然なことです。しかも、上手く行っているだとか、自分はやっていると思っているのですから、気づきなど頭の片隅にもないのでしょう。

どうやら、自分には他より優れた力があると勘違いしているのでしょう。勘違いするのも仕方ありません。経験が浅いせいか、社内など自分の周囲の中で、比較して、背伸びして見比べているのですから。

もしこれが勘違いでないとしたら、それは自信過剰です。自信過剰家タイプは、使いづらい、使えない部下の代表格です。しかも、プライドが高く、それでいて口が達者ですから、面倒な存在です。仕事の出来ない部下よりも、はっきり言って面倒です。

仮に、一歩だけ他より優れていたとしても、納得するまで説明するのにも手間がかかり、議論の時間を費やされ、トータルではマイナスの存在なのです。面倒くさい存在なのです。それを気づいていないのは、本人だけなのです。

自信過剰というのは、厄介な存在です。折角の魅力が半減どころか、嫌な存在になってしまうのです。

例えば、人がうらやむほどの美人で、スタイルも才能もある素晴らしい女性がいるとします。

誰もがそれを認めるとしましょう。それなのに、あえて自分から「私は美人で、才能もあります」というような人だったら、周囲の人はどう思うでしょう。

綺麗な人かも知れませんが、性格が綺麗ではないですね。可愛くありません。これは、部下と上司でも同じなのです。可愛くない部下は、例え優れていても使いたくない存在なのです。

上司は、少しばかり煙たい存在の部下でも、上手に使わなければなりません。煙たいから使いたくないというのはいけませんが、自分の実力以上に自信過剰で、自己中心的なものを使うことが組織にとって良いはずがありません。

また、好きだ嫌いだという理由で、部下を選ぶのもいけません。しかし、それは能力がある人間なのに嫌いだからという理由で使わないことはいけないのであって、大した能力もないのに、あるふりをしている自信過剰で可愛くない人を誰が好んで使うでしょうか。

いたずらに自信過剰ぶりを発揮すると、イヤ味のある人間だという印象を与えてしまうことになるのは言わずと知れたことです。

そして、そのような人は自分より優れた人を認めたくないのか、人と接する場合でも、常に自分と比較するとことがあります。相手の人が自分より劣っているところがあったりすると、何となく軽蔑したような態度をとってしまうものです。

自信のある人は、自分から「自信がある」とは言いません。「自信がある」という言葉は、自信がない人が強がっている時に口にする言葉です。

「自信がある」と言わないまでも、自信過剰な態度で、他人を上から見下ろすような姿は、誰もが嫌に思っているのです。自分で「自信がある」と言って歩いているように見えるのです。

本当に自信がある人は、笑顔が素敵です。そして余裕があります。

自信がないよりも、自信があるほうが良いです。しかし、強がるのと自信とは違います。自分の背丈以上に見せようと背伸びをしても、周囲の人は背伸びをしている様子を滑稽に見ることでしょう。

自信があるということは、自分を信じることができるということです。自分に偽りなく、信じることができるということです。自信を見せ付けることが自信ではないのです。

自信過剰というのは、厄介な存在です。折角の魅力が半減どころか、嫌な存在になってしまうのです。

それは、自信がある人が陥る罠なのです。その落とし穴に落ちると、自分は穴に落ちたことに気づかないまま、周囲の人が離れて行ってしまうのです。気づかない、これこそが、自信過剰家の人の問題なのです。

気づかないのですから、反省しようとしません。気づかないのですから、感謝もしません。気づかないということは、怖いことです。本人が認識していないのですから、周囲にとっては厄介なのです。

ただ、本当に能力があるとしたら、それはもったいないことです。残念なことです。何とかして、気づかせてあげたいものです。将来のために、気づいてほしいものです。

それほどまでに、気づきということは、誰もが普段から意識していなければならないことなのです。誰だって、有頂天になっていると、気づきから離れてしまっている存在になりかねないのです。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2010年7月14日 05:36