【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


障害者について  「活・喝・勝」


人との関わりを捨てることと得ること

最近、他人との関わりを煩わしく思う人が増えているように思えます。もし、人間が他人との関わりを捨てたらどうなることでしょう。

一方、できれば面倒なことには関わりたくないという心境になることも判らないわけではありません。

人と関わりを持つからこそ、嫌なことが起こったり、気分を害したりするわけです。もし、関わりがなければ、その嫌なことが起こる可能性を回避できるのです。

つまり、関わりを持つことで何かを得られるというメリットの可能性よりも、嫌なことが起こるかも知れないというデメリットの可能性を自ら絶とうとするのです。簡単に言えば、メリットなど要らないから、デメリットを避けたいということです。リターンよりリスク回避とも言えるでしょう。

このような考え、気分になることは、特別なことではありません。疲れている時や、病気で寝込んでいる時など、誰が好き好んで誰かと会おうとするでしょうか。面倒くさいというよりは、避けたいという気持ちになることのほうが自然なことです。

それはメリットやデメリットなどという計算高い考えではなく、気力の問題なのです。体が弱っていたり、気持ちが滅入っていたりすると、人と関わりを持とう、会おうという気力が湧いて来ないのです。気力が失せているのです。

このことは誰にでも起こることです。このように考えてみると、他人との関わりを煩わしく思うということは、関わりを持とうとする気力がないのだと言えるでしょう。逆に言えば、他人との関わりを持つには、気力が必要だと言うことです。

メリットとデメリットを天秤にかけて考えるというのではなく、精神的にも肉体的にも健康で、健全で、気力に満ちていなければ、積極的に他人と関わろうという意欲が起こらないのです。気力の問題なのです。

しかし、健常者の場合には、簡単に気力の問題だと片付けられますが、他人との関わりに障害を持つ場合には、事情が異なります。

アスペルガー症候群という発達障害があります。

アスペルガー症候群は、他人の情緒を理解することが苦手で、行間を読むことが苦手だという特徴があります。もう一つの特徴として、アスペルガー症候群の75%以上は男性で、自閉症の特徴と同じです。

私の長男は、自閉傾向がある知的障害者ですが、アスペルガー症候群は、言語障害も知的障害もない自閉症とも言われる高機能自閉症です。

古くは、アインシュタインやエジソンなどもアスペルガー症候群だったと言われ、最近ではスティーブン・スピルバーグ監督も診断を受けています。

原因はまだ解明されていませんが、天才型の優秀な知能を持った人に多いとも言われています。大学の研究室には相当数の人たちが該当するとも言われているのです。

仮に健常者の位置づけを、自閉傾向も知的障害も持たない人たちとすると、それ以外の少数派の人たちを、自閉傾向を持つ人と位置づけられます。さらに、自閉傾向を持つ人たちを、知的障害を持つ人と、知的障害を持たない人とに別けられるのです。

何れにしても、健常者からすると、少数派の人たちですが、彼らの目線で見ると、違ったことが見えてくるように思えます。

健常者の見方では、他人の情緒を理解することが苦手で、行間を読むことが苦手だと、決め付けますが、自閉症の人から見ると、相手が発した言葉通りに純粋に受け止め、裏に隠された他人の情緒を理解する必要がないと言えます。

また、行間を読むことが苦手なのではなく、健常者は行間を読まなければならないような面倒なコミュニケーションをする不思議な動物と受け止めることもできます。

私たちは、彼らのことを自閉症というレッテルを貼って、心が閉ざされているかのように考えがちですが、実際には、感情がないのではなく、健常者とは違ったコミュニケーションの方法を取っているのです。

先日、障害者の集まりに、アスペルガー症候群の男の子がいました。

彼は、健常者や障害者という区別なく、積極的にコミュニケーションを取ろうとしていました。しかし、彼は、健常者の言うことが理解できず、何度も何度もイライラしていました。

なぜ、自分が話をしようしている時に、突然話を遮られるのか、相手が話しをしている時に、なぜ自分は直ぐに自分の考えを言ってはいけないのか、など、自分の思うように進まないことに苛立ちを感じているようでした。

それでも彼は、私たちのような不思議な動物を相手に、何度もコミュニケーションを試みようとしていたのです。まるで、地球人と宇宙人が、言葉とテレパシーというそれぞれが異なった手段を用いて会話を成り立たせようとしているようでした。

彼を見ていると、明らかに、コミュニケーションに対する意欲を感じました。これこそが、気力だと思ったのです。

私たちが、もし逆の少数派の立場だったらどうなることでしょう。全くかみ合わず、自分の気持ちや考えが一つも通じないと思ったら、耐えられるでしょうか。それでも、何とか理解してほしい、理解したいと思うでしょうか。あなたが宇宙から地球にやってきたら、地球人と会話できますか。

私は、これまで日本語も英語も何も通じないような国に何度も行きました。身振り手振りで何とかしようとしたこともありました。何を注意されているのかさっぱり判らないことも沢山ありました。

しかし、それでも何とかしなければなりません。言語が異なっても、必死でコミュニケーションしようとすれば、同じ人間なのだからきっと判ってもらえるはずだと思いました。その時は、理屈も気力も関係ありません。メリットもデメリットもありません。

それなのに、言葉も通じ、行間も読め、相手の感情も理解できると、どうして人は嫌な思いや、億劫になったり、面倒になったりするのでしょう。いっそのこと、言葉など通じないほうが良いのでしょうか。口は災いの元というくらい、時に言葉は厄介なものなのです。

私は、アスペルガー症候群の男の子の姿を見て、他人との関わりから、必死で何かを学ぼうとしていることを感じました。理解したい、理解しようとするのがコミュニケーションだと思いました。言葉ではないのだと痛感したのです。

如何に知的に優れていて、多くの書物を読もうとも、学べないものが沢山あるのです。彼ら少数派からすれば、私たちのような動物は、他の動物と明らかに違い、心という目には見えないテレパシーを送って会話する特異な生き物なのです。我々のほうが動物の中では、少数派なのです。

この特異な動物は、人に対する思いやりや、自分の感情の扱い方、他人への洞察力、機微を察した行動など、人と関わりを持てば持つほど成長していくのです。関わりを持たなければ成長できないのです。

だから、コミュニケーションという道具を持った特異な人間という動物は、コミュニケーションを捨てて、一人で生きて行けないのです。

アスペリガー症候群の男の子が、他人との関わりから、必死で何かを学ぼうとしているのに、コミュニケーションを取れる私たちが、意図的に意識して、他人との関わりを避けていたらどうなることでしょう。恐らく、多くの何かを失い、衰退することでしょう。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2010年7月22日 06:39