感情と気分とは、時間的に短い、長いだけでなく、目の前の人に対するものと、全く関係ない人に対するものとに別けることもできるのです。実は、一瞬の感情と、長期的な気分というように分類するよりも、もっとこちらのほうが遥かに重要なのです。
目の前の人に伝わるのは感情であり、周囲の人に伝わるのが気分なのです。対象が異なるのですから、感情と気分とでは、気持ちをコントロールする意味も方法も違うということに気づくのです。このことはとても重要なことです。気持ちを隠すということとは違うのです。
そして、もう一つ、外国人リーダーと接していると、ユーモアがあり、サービス精神が旺盛だということを強く感じます。
もっと簡単に言うと、いつでも相手を楽しませようと、笑わせようとしているかのように思えるのです。
以前、シンガポール人の友人から、「ユーモアとは、Human(ヒューマン)が変化してHumour(ユーモア)になった」という話を聞いたことがあります。
ユーモアとは、人間的に滑稽なことを寛容に表す人間性そのものなのです。その人が持つ、人間としての面白さ、魅力とも言えることでしょう。
ユーモアとは、ヒューマン性の表れなのです。
私の近所に、小学校の校長先生までなされて、退職された方が住んでいます。とても、大きなお屋敷に立派な蔵があり、周辺の土地を所有する古くからの地主さんの方です。
その本家の隣には、新宅と呼ばれるその校長先生の弟さんの家があります。その弟さんも、最近校長先生になったばかりの方で、お二人とも教員一家なのです。
私の家は、田舎にありますから、近所での噂話が直ぐに聞こえてくるようなところです。
先日、近所の方から、「○○さんは、とても親切な方で、楽しい方ですね」という話を聞きました。
どうやら、朝早く散歩をしていたら、偶々帰り道で出会い、一緒に家まで戻ることになったようなのです。ほんのわずかな時間だったらしいのですが、その方は、健康を気遣ってくれたり、楽しい話をしてくれたりして、とても楽しい人だと改めて感じたというのです。
しかし、田舎での話しには、必ずその後に尾ひれがついていて、「本当に弟さんは、ご立派な方ですけど、お兄さんとは比べものにはならない」という話が続きました。
健康を気遣ってくれたり、楽しい話をしてくれたのは、弟の校長先生のほうで、退職されたお兄さんのほうではないことがわかりました。
「あの人は、すれ違っても挨拶もしないで、あれで学校の校長先生をしていたとは思えない。地区のゴミ拾いにも参加せず、地主さまのつもりでいるのか、いつも人を上から小ばかにしたような目で見ているようだ」と厳しい言葉が次々に出てきました。
「だから余計に弟さんが立派な方で、ユーモアがあるように見える」と同じ兄弟でもこうも違うのかと言いたい放題でした。田舎というのは本当に狭いところだから怖いものです。
それにしても退職された校長先生の評判は、これまでも悪いことばかり聞こえてきました。
校長先生という地元では、尊敬されるような職業をしていたからこそ、余計に、近所付き合いや、取りまとめ役などが期待される存在なのです。
勝手に一方的ではありますが、近所のリーダーのようになってほしいとの願いがあるようなのです。校長先生までしたような方だからこそ、きっと親切で、話が上手で、頭が低い人なのだろうという勝手なイメージがあるのでしょう。
それなのに、見事にそれを覆すかのように、話もしないし、近所付き合いもしない、まったく詰まらない人で、そればかりか、地主で大きな屋敷に住んでいるから、妬みさえもたれ、冷たく威張っている人と映るのでしょう。
それを知ってか知らないではか判りませんが、どうやら弟さんのほうは、低姿勢で、それでいて話好きのユーモアな人らしいのです。
この話を聞いて、人というのは、どんなに立派な人であっても、どんなに力や能力、才能があっても、ユーモアがない人は人々から好かれない、愛されないのだということを知ったのです。まさに、ユーモアというのは、ヒューマン性を表すのです。
しかもそのヒューマン性というのは、立場によっては、人々を勇気付けたり、明るくさせたりができる能力なのです。だからこそ、人々の上に立つリーダーには、ユーモアのセンスが求められるのでしょう。
ユーモアのセンスが良い人の特徴は、知的であり、知識や教養が豊富なように思えます。
単に人を笑わす笑いのセンスではなく、自分の経験や体験に基づいたなるほどと思わせる拍手を送りたくなるような微笑ましいものなのです。そして、自分自身を滑稽にできるのも特徴です。
失敗談や、むしろ辛く悲しいことであろう出来事を、ユーモアな表現で笑い飛ばしてしまう大らかで、寛容な人間味が、魅力的に映るのでしょう。
このようなユーモアのセンスというのは、その人の生き方、まさに人間性そのものです。身に着けようとして簡単に身につくようなものではなく、経験や体験などを経て、生きている様子を明るく表現できる能力なのです。
そして、単にその能力があるだけでなく、それをサービス精神たっぷりに、惜しみなく、無償で提供できるのです。しかも、カラオケなどで歌を歌うようなパフォーマンスではなく、相手を喜ばし、微笑ますような、相手のためのサービスなのです。
もう一つ特徴的なことは、ユーモラスな顔をしているという点です。それは面白い顔をしているという意味ではなく、明るい顔をしている、もっと言えば、目が笑っていると言えるでしょう。
楽しい話をしている本人のほうが、最も楽しい顔をしており、目が喜んでいるように見えます。
これまで何人も政治家と出会いましたが、政治家の中には、このような特徴を持った人がいるように思えます。勿論、話の詰まらないユーモアがない政治家も沢山いますが、ユーモアのある人でないと、一流の政治家にはなれないのではないでしょうか。
国を率いる政治家がそうであるように、企業を率いる経営者にもユーモアのセンスは重要なポイントと言えるでしょう。そして、ユーモアとは、他人への思いやりであり、リーダーが、メンバへの深い愛情の表現方法でもあるのですね。
(次回に続く)
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。
この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。
投稿者 :堀田信弘: 2010年8月 3日 05:21