【堀田信弘の今日の語録】 『この会社は、きっと伸びるだろうな。他の会社と違うことができること自体に可能性を秘めているから。』


障害者について  「活・喝・勝」


体験と知識の両方が大切です

障害を持つ男の子のお母さんは、自分の子供だからその男の子の気持ちや考えが判ったのです。

それは、障害者を持つ親だからというのではありません。私の息子も、あの男の子と同様に知的障害者を持つ親です。

私の息子も話をすることができませんが、彼がトイレに行きたい時は、彼なりのサインで把握できるのです。

つまり、障害を持っている、いないということではなく、人それぞれには個性があるのです。私たちのような共通の言語を持っていないのですから、トイレに行きたい時のサインはそれぞれであり、個々の個性を理解しなければ、気持ちも考えも把握できないのです。

障害者と関わると、健常者同士の関係では全く気づかないようなとても些細なこと、敏感なことについて、とても深く考えさせられる機会を頂きます。

恐らく、このような機会を得る背景には、ある日突然に全く言葉も通じない外国にたった一人で行き、こちらが戸惑っている様子を知ってか、ほんの僅かな街の人が来て、少しでも手助けになろうと優しく手を差し伸べるような状況が生まれるからだと思うのです。

この時、自分がその外国人と同様な場面に遭遇したことがあり、さらには、そのような外国人を街で見かけて、手振り身振りで手助けしてあげたことの両方を経験していないと、中々、健常者だけの中で生きている環境では、理解できないことだと思います。

もし、自分が外国に行った時、全く言葉が通じず、相手の言葉も理解できず、しかもどこにどうやって行ってよいのかも判らないような、心細く、辛く悲しい経験をした人ならば、その体験は、次は街で外国人を見かけた時、手助けできる側になることができるでしょう。

もしこのような体験を一度もしたことがなければ、仮にこのような文を読んでそのような場面を想像することができたとしても、それは頭で理解したことであり、体で体得したものではないのです。

体験しなければ、体得できないのです。本を読んで知識を得ることも重要ですが、自分の身を通じて、目の前で起きたことを体験しなければ、直感的に肌で敏感に感じ取れるような体得にはなれないのです。

障害者との関わりや、外国人との関わりは、私にとって異次元の世界を体験させてくれる貴重な場面なのです。それは、地球人である私が、宇宙に行って、宇宙人と出会い、何とか仲良くなりたいとするようなものなのです。

それは地球という小さな星の中では当たり前の重力が、全くないような宇宙に行って、衝撃的なほどに、これまでの常識や考え方は通じないということを痛感させられるのです。

重力もないような想像もできない場所に行くと、何て自分はちっぽけな存在なのだろうと思うのです。そして、これまでの経験が通用しない、全てが新しいものであり、異なったものであることが、新しい自分を発見させてくれ、気づかせてくれるのです。

だから、人間にとって、体験するということは非常に重要なことだと思うのです。百聞は一見にしかずというのは、まさに聞いた知識よりも、目で見た体験のほうが重要だということを意味しているのです。

ただし、だからと言って、百聞を全く拒否するのも問題です。つまり、体験だけでなく、本を読んだり、人から情報を得たりして、知識や教養を得ることは、とても重要なことなのです。

例えば、私の母、つまり私の息子の祖母は、私たち家族と同様に、同じ家に暮らしています。しかし、母は、知的障害者に関する知識がありません。それは、母に限らず、普通の人は、知的障害者に関して、十分な知識を持っていないことでしょう。

端的に言うと、障害者というのは、病気ではありません。病気でないということは、根治することはできないのです。

しかも、知識障害者と、知恵遅れ、あるいは精神疾患の人というのは、誤解して混同して理解されていることがあります。

知的障害者というのは、脳に障害を持つ人です。脳の一部が機能しなかったり、通常ではない働きを持っていたりするのです。

杖をついている目が見えない人のことは、目が見えないことを聞かずとも知ることができます。車椅子に乗って歩けない人を見かければ、足腰に障害があることを想像できることでしょう。

しかし頭の障害と言われても、全くピンと来ないのが実情です。中でも、自閉症という障害者は、つい最近まで、育て方が悪いとか、心の病気だと言われていました。

障害者と暮らす母でさえも、孫は病気で、きっと良くなると思い、何度も何度も同じ言葉で話しかけ、きっといつの日か理解してくれるはずだと思っているのです。

しかし、自閉症というのは、そのネーミングが誤解を与えることになっていますが、決して心の病気ではありません。精神疾患とは異なるのです。脳の障害なのです。

自閉症を持つ親なら誰もが知っています。しかし、それを知ったのは、誰もが自分の子供が自閉症だと判ってからなのです。つまり、私も含め、自分の子供が自閉症だと知るまでは、自閉症というのは心の病だと思っていたのです。それが実情です。

だから母のように自閉症に関する知識がない人には、心の病気だと思うのは仕方ないことなのかも知れません。一緒に住んでいても、知識を得ようとしなければ、障害のことを理解することはできないのです。

どんなに母が、可愛い孫のことを気遣って、何度も何度も言葉で話しかけても、自閉症というのは、言葉で理解することは困難なのです。困難でなければ、障害者ではないのですから当たり前なのですが、もしそのことを知っていれば身振り手振りで示すはずなのです。

自閉症の人には、言葉よりも目で見える文字や、あるいは身振り手振りのほうが遥かに理解できるのです。彼らのサインを理解できるようになれば、言葉でコミュニケーションするのと似たような感覚で通じることができるのです。

このように、どんなに体験しても、それを裏付ける知識が伴わなければ、それを活かすことができないのです。

知識だけでもだめですが、体験だけでも足りないのです。知識と体験の両方を持って始めて、あることを理解したということになるのでしょう。

私は常々、若い社員にできるだけ多くの本を読みなさいと言っています。小説でも歴史書でも何でも良いから、好きなものからどんどん読むようにしたほうが良いのです。

例えばそれが小説だとして、仮にその小説が映画化されているとします。映画を見れば、あたかも小説を読んだような錯覚を起こしますが、本を読んで、頭の中で擬似的に映像化するのと、映像化されたものを目で見るのとでは、頭を働かせる力が異なるのです。

(次回に続く)

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投稿者 :堀田信弘: 2010年8月25日 05:32