ベトナム人との交渉は必ず長引きますし、煩雑になります。そして、簡単には首を立てに振りません。「私はサインできません」と交渉のテーブルにすら乗らない強気な構えをするのは一般的なことです。
やがて双方が妥協しあう形を見せることができると、やっと何とかして合意することができます。
しかし、今度は一転して、そこまで拘った契約内容であるにも関わらず、簡単に契約は破られるのです。
サインするまではサインの意味が重く、サインした後は、サインの意味がなくなるのです。笑い話のようですが、これが普通です。
そして、そのやり方はしたたかです。
これがあのような悲惨な戦争を経験し、勝ち抜いて、生き残った人たちの強さなのかと痛感するのです。貧しさの中で、必死なのかも知れませんね。
このようなことは日本では考えられないことでしょう。
でも、人間は、考えられないようなことを経験すると、普通に考えられるような場所に戻ると、チッポケなところに見えてくるものです。
宇宙飛行士が、宇宙に滞在し、地球に戻ると、何て地球の出来事がチッポケなことも見えるというのと同じです。
宇宙から見る地球は、国境という線もない、青い海に囲まれた小さな小さな星のひとつで、宇宙に存在する何万もの星のひとつにしか過ぎないのです。
その小さな星の中に、さらに小さな国土の中で、さらに小さな村や会社の中で起こっていることは、宇宙からはゴミにも見えません。顕微鏡で見るウィルスよりももっと小さな原子同士のぶつかり合いです。
これと似たような感覚が、外国でしか体験できないような貴重な経験をすると、日本でのやり取りが実に小さなことに思えるのが不思議です。
ましてやつい最近まで戦争や内乱にあったような場所や、最貧国のようなところを見ると、日本のぬるま湯漬けの状態に嫌気さえ感じることがあるのです。
日本人は、海外の人から、まじめで勤勉で、働くことが大好きな働き蜂だと思われています。私もその典型かも知れません。
しかし、今の日本では、恐らくそのような人は少数派になったことでしょう。残業もしないし、会社のために必死で働くというような概念など微塵もないことでしょう。
土日も夜間も進んで働くような人は稀になっています。しかし、海外の人から、働き蜂と思われるくらい懸命に働いた時代は存在しました。
それが高度成長期なのでしょう。それから40年以上が経って、その姿は、もはや日本ではなく、アジアの姿そのものとなってしまいました。
だから今のアジアの人は、とても懸命に働き、必死で生きようとしている姿が手に取るように見えるのです。
さてそれに対して、現実の日本はどうでしょう。権利ばかりを主張し、政治家の悪口は言えても選挙には行こうともしません。口だけで行動が伴わないのです。
政治家の悪口を言うのは簡単ですが、それを選んでいるのは、だらしない国民です。国民がだらしないから、だらしないリーダーしか生まれないのです。
そのことは企業にも当てはまります。
部下の出来が悪いと言う、上司は、決まって出来が悪いです。ダメ上司の下で、突然変異のような有能な部下が生まれるはずがありません。
社員の悪口を言う経営者がいます。ではその社員は誰が採用したのですか。自らに見る目がなかったのか、その程度の社員しか入社しないような会社だからではないのでしょうか。
私はたった一人で会社を設立した時、社員を募集しても、そんな小さな会社に誰も来てきれませんでした。
採用することができないどころではなく、応募がないのです。だから、どんな人が来ても誰でも全員採用するつもりでいました。仕方ありません、そのような会社の規模と、その程度の会社だったのですから、何の魅力があるはずもないのです。
自分が入社する側の立場だったら、誰だって同じことを考えることでしょう。それは当然のことです。だからそのようなことも判らないのでは経営にはならないのです。
しかし、その経験があることはとても貴重なことだと思っています。ゼロからの出発だからこそ経験できるものであり、自分の成長と会社の成長が一体であることを痛感させられるからです。
ところがそのような経験をしていないと、良い人を採用しようとします。良い人を採用することは当たり前であり間違っていませんが、自分の会社の姿よりも、良い人というのは来ないのです。
こちらが良いと思っても、相手が良いと思ってくれなければ意味がないのです。
だから私は、採用には全く拘っていません。どんな人であろうとも、わずか1時間たらずの面接で人を見抜くということなど、最初から不可能だと思っていますから、相手のやる気だけで判断しています。
「是非、やらせて下さい」というたった一言の言葉が言い出せるか、そして、そこの意気込みとやる気が感じられるかだけです。後は、能力など大差ないのです。
私はいつも来る者は拒まずと言っています。それには二つの意味が含まれています。
一つは、来たいという気持ちを持った人、言い換えると、やる気がある人なら受け入れるというものです。
私は、これまで多くの社員を見てきた経験から、人間を見抜くことは不可能だと確信しています。
学歴もないし、経験もないのに、急速に伸びる社員を何人も見てきました。それに対し、学歴も高く、様々な資格を持っているのに、全く成長しない社員もいました。
面接の時はやる気があるように見えても、実際にさせてみたら、全く気力が感じられないという者も沢山います。
しかし、それは結果論です。事前に数ヵ月後、数年後の姿が想像できたら、何の苦労もいりません。判らないのが人間だから面白いのです。入れてみて、実際に働かせて見なければ判らないのです。
それには相性も影響します。入社してくる側にも言い分があるのです。入社するまでは、やる気満々でしたが、実際に入社してみると、社内に活気がなく、やりたいことと全く異なっていたということだって十分にあるのです。
だからお互い様なのです。こちらが試用期間を設けているのと同様に、入社する側も会社に対して試用期間を設けているのです。
そのことも知らずに、「辞められた」とあたかも辞めていったほうが悪いように言うことは問題なのです。多くの場合、こちらから辞めさせようと思わない限り、辞めて行ってしまったのは、会社に魅力がなかったからなのです。
(次回に続き)
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投稿者 :堀田信弘: 2010年9月 8日 05:16